ミシェル・ルグランが死去。好きなのはやっぱり「風のささやき」かなあ

 また訃報です。

headlines.yahoo.co.jp ミシェル・ルグランが死去。大好きな作曲家のひとり。BS1のワールドニュースでフランスのテレビ局もトップで伝えていた。その際、ニュースで冒頭に紹介していたのは、この映画の主題歌。

  「風のささやき」をミシェル・ルグラン自身がピアノを弾きながら、歌っていた。ピアニストとしても有名なのは知っていたのが、歌もうまかった。そのピアノが独学ということは知らなかった。この曲で、ルグランはアカデミー賞をとっている。

 ルグランはアカデミー賞を3回をとっており、ほかは

  この主題歌も美しかった。もうひとつは

 こちらは見ていないので、曲のイメージがわかない。

 でも、有名なのは、この訃報の見出しになっている、こちらの音楽か。

  どの曲も美しい。カトリーヌ・ドヌーヴが可憐だった。でも、どちらかというと、好きなのは、こちらの映画の音楽かな。

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  ルグランのジャズの才能、ジャズへの愛が色濃く出ている曲が多い。フランスのニュースでも、ミシェル・ルグランの曲ということで「双子姉妹の歌」を歌っている不フランス人女性の二人組がいた。

 ともあれ、美しく、心に響く曲をつくる人でした。合掌。

ミシェル・ルグランの世界

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Legrand Jazz

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プラトン『ソクラテスの弁明』を読むーー真実を語り、哲学に殉じる

 古典というのは読んだような顔をして読んでいないことが多いものだが、この1冊もそうだった。やっと読みました。

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

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  ソクラテスが死刑判決を受けた裁判での弁明をプラトンが記録したもの。ソクラテスの弁明は内容はわかるのだが、その当時の状況がいまひとつつかめず、納富信留氏の解説が参考になった。弁明と解説がセットになって理解できるところがある。解説を読むことによって、当時、なぜソクラテスが嫌わていたかもわかる。

 弁明を読むと、ソクラテスは哲学に殉じたように見えてくる。無罪を求めて媚びることも、有罪判決後は命乞いをすることもなく、自らの哲学を主張した。ソクラテスを訴え、排斥しようとした人々は、うろたえ、許しを乞うソクラテスを見たかったのかもしれないが、反対にソクラテスは告発者たちを論破し、小バカにしたようなところさえある。

 ソクラテスの言葉が真実であったとしても、この当時の大方の人々には、ウザいやつと見られていたのだろう。そんな様子も見えてくる。そもそも真実は誰にとっても心地よいものでもないし、かえって神経を逆なでしたのかもしれない。

 実際、ソクラテス自身、こんな話をしている。

アテナイの皆さん、今まで述べてきたことが真実であり、皆さんにすこしも隠し立てせず、ためらうことなくお話ししています。しかしながら私は、まさにこのこと、つまり真実を話すということで憎まれているのだということを、よく知っています。そして私が憎まれているというまさにそのことが、私が真実を語っていることの証拠でもあり、そして、私への中傷とはまさにこういうもので、これが告発の原因であるということの証拠でもあるのです。

 自分でわかっていながら、真実を語り続けたから、結局、死刑になってしまった。それについても、こんな発言が...

なにか行動をする時には、そんなこと(生死の危険)だけを考えるのではなく、正しいことを行うのか、それとも不正を行うのか、善い人間のなす行為か、それとも悪い人間のなすことなのか、それを考慮すべきです。

 哲学者とは、知を愛し、求める人であり、智者は自分には知らないことがあるということを知っている人。人間が善く生きるとはなにか。ソクラテスの弁明は心に響くものがある。弁明と解説を読み終え、哲学というものにさらに興味を持ってしまった。

伊丹万作「戦争責任者の問題」ーー「だまされた」で済ます「悪の陳腐さ」

 伊丹万作って伊丹十三の父親で、映画監督だったなあ、と思いつつ、たまたま目について読んでみたら、なかなか深いエッセイだった。

戦争責任者の問題
 

  敗戦後、戦争責任を追及する声が各界であがり、映画界も例外ではなかった。映画関係の戦争責任者の追及、追放が主張されていた時代のエッセイ。伊丹は戦争責任の問題はわからないという。「多くの人が、今度の戦争でだまされてい たという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる」と伊丹。

 みんなだまされたというけど、じゃあ、だまされたと言っている人は他の人をだましてはいなかったか。本当はみんなで夢中になって、だましたりだまされたりしていたのではないか。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたよう な民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば 直ぐにわかることである。

 戦争中、街で人の服装をチェックして「非国民」と言っていたのは、あなたたちでしょうと。市民の生活を圧迫していたのは市民。戦争責任といういけど、戦時体制の締め付けに狂奔していたのが、あらゆる身近な人たちであったことは何を意味するのか、と、伊丹は問う。

 そして、だまされた側の責任について語る。

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 「だまされた」で、すべて免罪されるのか。伊丹は追い打ちをかける。

だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまさ れるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、さ れていないのである。

  伊丹万作、怒っています。

いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は 成り立たなかつたにちがいないのである。

  つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

  そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 痛烈です。伊丹は、日本国民は奴隷根性といわれても仕方がないという。だいたい、「外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかった」し。「個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった」じゃないかと。黒船が明治維新を、敗戦が日本国憲法をもたらした。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放さ れた。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。(略)

「だまさ れていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

 「だまされていた」といって平気な国民は何度でもだまされる。現代への警告にも聞こえる。相変わらずだまされていませんか、と。考えてみると、「だまされた」と言って済まして考えない人は、すべては他人事であって、自分の問題として考えない。内省も、反省もない。すべては他人の責任。結果、そうした人間の集団は何度でも同じ過ちを繰り返す。

 伊丹十三のお父さんって、どんな文章を書いていたのだろうか、と思って、何となく読み始めたのだが、思いの外、いまの日本にも通じる、考えさせられるエッセイだった。いまから10年、20年たって、あのときはだまされていたとか言ったりはしないのか。伊丹の言う「だまされる」という悪は、いまも日本にただよい続ける「悪の陳腐さ」かもしれない。そんな感想が残った。

S・レビツキー、D・ジブラッド『民主主義の死に方』を読むーー民主主義の自殺を防ぐために何が必要か

 オバマが2018年のお気に入りの映画として是枝裕和監督の「万引き家族」をあげて話題になっていが、こちらはオバマが本の部門であげていた1冊。

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

 

 独裁は革命やクーデターなど暴力だけで生まれるわけではない。時として選挙など民主主義的な手続きによって誕生した政権が独裁というモンスターに変貌することがある。レビツキーはラテンアメリカや途上国、ジブラットは19世紀から現代に至るヨーロッパの専門家。ラテンアメリカ独裁政権、ドイツのナチスやイタリアのファシズムなど、ふたりは民主主義の崩壊過程を研究してきたわけだが、気がついてみると、自分の国、アメリカもトランプという独裁気質の政治家が登場してきていた。そんなことから、この民主主義の自殺ともいえる問題をめぐる本が書かれることになった。

 選挙によって選ばれた独裁政権は、ナチスファシズムだけでなく、ベネズエラチャベス政権など様々な国でみられる。独裁政権化した各国の状況と同時に、独裁政権の誕生を未然に防ぐことができた国々についても紹介されるところが新鮮。また、アメリカについては民主・共和の対立が激化し、寛容さを欠いていく政治状況の変遷がデータをもとに詳細に語られている。これを読むと、トランプがいまの米国の分断をもとらしたというよりも、米国の二極化した社会的な亀裂と対立がトランプを生み出したことがわかる。特に共和党の変質がイントレランス(不寛容)な政治状況を生み出すうえで大きな役割を果たした。

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「青い春」ーー松田龍平と新井浩文の不良映画

 松田龍平新井浩文の共演というだけで、もう見る価値ありです。

青い春

青い春

 

 不良映画というのは、日本映画のなかの伝統的なひとつのジャンルといっていいと思うのだが、これも、その1本。松田龍平新井浩文が出ているのだから面白くないはずがない。さらに高岡蒼佑といったゼロ年代の不良物に欠かせない人も出ている。ほかにも、瑛太塚本高史の顔も見えて、みんな若かったなあ。青かったなあ、という楽しみ方もできる映画。

 不良モノといえば、

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 ちょっと古いか。あと...

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 とか

岸和田少年愚連隊

岸和田少年愚連隊

 

とか...。こうしてみると、やはり日本映画、不動のジャンルです。 

「スリー・ビルボード」ーー脚本と俳優で魅了する、アメリカの片田舎を舞台に語り口は英国テイストの人間ドラマ

 昨年見た映画の中では最も面白く、刺激的だった。

  娘をレイプ殺人事件で失った母親が、なかなか進まない捜査に激怒して、地元警察を批判する3枚の立て看板(ビルボード)を出したことから、街はざわめき出し...という筋書きは事前知識として知っていたのだが、そこからの展開は予測を大きく超えるものだった。読みを次々と外していく展開は見事。

 母親役のフランシス・マクドーマンド、署長役のウディ・ハレルソン。ともに大好きな役者さんで、このふたりを見ているだけでも飽きないのだが、それ以上に監督・脚本のマーティン・マクドナーの手腕を感じる。この人、劇作家でもあるという。脚本がしっかりしているのも納得。

 アカデミー助演男優賞をとったサム・ロックウェルをはじめ、登場人物一人ひとりの人間を上っ面だけでなく複層的に描く。善か悪か、人間とは複雑なもので、単純に決めつけられるものでもない。見ていて、舞台はアメリカなのだが、人間の描き方、ハードボイルドなストーリー展開は、英国の警察モノのムードに近いと思った。脚本は英国の人ではないかと思ったが、そのとおり、マクドナーは英国とアイルランドの2つの国籍をもっている人だった。他の作品も見てみたくなる。

 ともあれ、ストーリーは面白いし、ラストにも含みがあり、救いがある。なんでも善悪、白黒はっきりして、インターネットで検索すれば、あるいは、AIを使えば、すぐに解答がわかるような気になりがちだが、世の中、なんでも白黒判然として、わかるわけではない、と言っているようにも思える映画。ミステリーとしての面白さで一気に見てしまうが、いろいろな読み方ができる、奥の深い映画でもある。黒澤明は「映画には一に本(脚本)」と言ったというが、本当にそうだなあ、と。

 マクドナーの監督・脚本作品には、こんなものが...

セブン・サイコパス(字幕版)
 

 見てみるかなあ。

「ズカルスキーの苦悩」ーー忘れられた天才彫刻家のドキュメンタリー

 NETFLIXはドキュメンタリーが充実している。こちらも、そんなひとつ。

www.netflix.com

 ポーランド出身の忘れられた天才彫刻家、スタニスラフ・ズカルスキーの生涯を描いたドキュメンタリー。コミック作家などロサンゼルスのサブカル系アーティストたちがかつて天才といわれたズカルスキーがいたこと発見し、ビデオでインタビューを録画する。その映像をベースにしながら、世間からは忘れられた(あるいは、ポーランドにとっては忘れたい)天才の軌跡を追っていく。

 レオナルド・ディカプリオが製作に名を連ねており、不思議に思っていたら、レオナルドの父のジョージ・ディカプリオはヒッピーで、アンダーグラウンド・コミックの作家をしていて、ズカルスキーと交友があったらしい。小さなレオナルド・ディカプリオがズカルスキーとともにいる写真も出てくる。

 ズカルスキーはポーランド生まれでアメリカ育ち。神童であり、彫刻の天才として注目されていたが、唯我独尊の孤高の人で批評家嫌い。一方で、晩年は語りたがらなかったが、第一次・第二次大戦間にはポーランドに戻り、反ユダヤ主義の排外的な民族主義運動で指導的役割を果たしていた過去があった。ズカルスキーの芸術作品は運動の象徴にもなった。21世紀に入り、ポーランドで再び、排外的な民族主義の動きが高まると、ズカルスキーの作品は再びシンボルとして使われているという。ロサンゼルスのアーティストたちは当初、そうした忌まわしい過去を知らなかった。

 歴史の中に埋没していくことになったのは、そうした過去のためもあったのかもしれない。自分で独自の文字をつくったり、トンデモ世界観を語ったり、紙一重の人だったようだが、晩年は、歳の離れた多くのアーティストたちに愛されていたようだ。少なくとも、こうしたドキュメンタリー作品が残されることになった。忘れられた作家であり、過去を考えると、ポーランドでは忘れたい作家でもあったのかもしれない。

 世界にはいろいろな人がいるのだなあ、と改めて感じるドキュメンタリーでした。

 Amazonで、ズカルスキー(Szukalski)を検索すると、洋書ではいくつもひっかかってくる。いまは芸術としても再評価されているのか。もはや忘れられた天才ともいえないのだろうか。

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