大塚英志:「おたく」の精神史−−1980年代論

「おたく」の精神史 一九八〇年代論

「おたく」の精神史 一九八〇年代論

 知人に薦められて読んだが、これは面白かった。もろもろ刺激になり、日本と、日本の社会を考える手がかりになった。著者は編集者出身で、その体験(エロ雑誌編集者)を読んでいると、編集という作業は、その時代の社会と、その時代の人間とともにあることがわかる。この精神史を読んでいると、なぜ、いま雑誌が難しくなってきたのかが何となくわかるような気もする。

 ジャーナリズムの本質が事実よりもおもしろさを優先するスキャンダリズムにある、というのがミもフタもない事実だとしても、だからこそそれを抑止し、悪く言えば隠蔽するための線引きが必要だった

 とか

 むしろ「都市伝説」を許容したジャーナリズムの領域においては報道の虚構化が歯止めを失う形で進んでいった。

 というところは、なるほど、と思う。確かにジャーナリズムは変質してしまった気がする。

 『東京ウオーカー』と『ぴあ』が決定的に異なっていたのはその「情報」に対する態度だった。映画マニアだった矢内廣らが創刊したミニコミ誌を出発点とする『ぴあ』は、あらゆる情報を網羅することに執着した。映画に始まり、コンサート、演劇とジャンルごとの全情報を網羅し、それを提供しようとした。そこには都市とは情報の集積である、という80年代的な世界像が素朴に信じられていたようにも思う。(中略)細分化された情報の中から何かを選びとることなど本当は消費者には不可能なのだ、というミもフタもない真実に『東京ウオーカー』は忠実だった。

 これなどもなるほどと思う。だから、90年代に、東京ウオーカーに席巻されてしまったわけだ。編集者たちが、そこまで考えていたかどうかは別だけど。