ロバート・ケネディ『13日間』

13日間―キューバ危機回顧録 (中公文庫BIBLIO20世紀)

13日間―キューバ危機回顧録 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 ケネディ政権の司法長官だったロバート・ケネディが書いた「キューバ危機回顧録」(原題は「THIRTEEN DAYS; A MEMOIR OF THE CUBAN MISSILE CRISES」)。この本を読むと、ケネディ政権と現ブッシュ政権は随分違うものだと思う。例えば、キューバに対して封鎖よりも先制攻撃をかけるべきだという意見に対して

 封鎖よりも攻撃を選ぶという軍事的および政治的議論が正しいかどうかはともかく、米国の伝統と歴史は、そのような行動を許さないだろう。アチソン氏らがどのような軍事上の理由を並べることができようとも、彼らはしかし、結局のところ、非常に大きな国が非常に小さな国に奇襲攻撃をかけることを主張しているのだ。われわれが国内において、そして地球上において、道義上の地位を維持すべきであるなら、米国はそのようなことをしてはならない。全世界にわたるわれわれの共産主義との戦いには、単なる肉体的生存以上のものがたくさんある。その本質をなすものはわれわれが受け継いだ伝統であり、われわれの理想であって、これらを破壊してはならない。

 ケネディ政権は、政治問題、軍事問題だけでなく、道義について議論の多くを費やしたという。この知性はいまはあるのだろうか。
 この本は、危機管理、意思決定の教科書とも言われているが、そこで重要だと言っているのは、ひとつは時間。もうひとつは多様な意見、反対意見を出せる環境だ。

もし討議が公表されたり、あるいは24時間以内に決定しなければならなかったとしたら、結局のところは、全く違った、そしてもっともっと大きな危険がいっぱいな道を選んでしまっていたに違いない。われわれが語り合い、議論し、意見が一致せず、さらにもう少し議論することができたからこそ、結局はあのような道を選べたのである。

 議論には反対意見が不可欠だとも言う。

意見というものは、対立と討論によって最も良く判断される。事実そのものでさえそうである。全員の見解が一致しているときは、重要な要素が欠けているのである。しかも全員一致ということは、起こり得るどころではない。合衆国大統領に勧告が行われる場合には、満場一致はしばしば実際に起こるのである。

 これは会社でも同じだなあ。どんな組織でも「長」と付く人は同じような状況に陥りかねない。だから、

(ピッグス湾事件の後)私は、反対意見が何も出ない場合にも、カトリック聖徒の審査における反証提出官のように、わざと反対意見を述べる人を用意すべきだと提案した。

 同盟国も国連もないがしろにしない。このあたりもブッシュ政権と大分違う感じがする。

 わが友人たち、同盟国たち、そしてトーマス・ジェファーソンが言ったように人類のもろもろの意見を尊敬することが、すべて極めて大切なのである。われわれは、たとえ望んだとしても、孤島であることはできないのだ。また世界から、自らをうまく切り離すこともできないのである。

 戦争は誤解から始まるという。

 計算違い、誤解、そして一方的なエスカレーションは、反撃を招く。強力な相手に対して行動する時、真空の中でやるのではない。政府とか国民とかがこのことを理解しないとき、大きな危険をおかすことになる。なぜなら、これが戦争−−だれも望まず、意図せず、そして勝者のいない戦争−−の始まり方なのである。

 ケネディ大統領は第1次世界大戦の歴史描いた、バーバラ・タックマンの「8月の砲声」という本を読んで、特に大国のミスコミュニケーションを恐れていたという。ブッシュ政権の野蛮さ、傲慢さとは随分違うなと思う。
 しかし、これほどの知性があっても、ベトナム戦争の泥沼に落ちていったわけで、歴史というのはわからない。