R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(下)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

アルタード・ステーツ 未知への挑戦 [DVD] ともあれ、ハチャメチャな半生記。ラスベガスでの冒険やら、マッサージ・パーラーの絵を描いた話やら、ドラムの話やら、映画「アルタード・ステーツ」に出てくる「感覚除去タンク」による幻覚実験とか、とてもノーベル賞物理学者の自伝とは思えない内容が次々と出てくる(もちろん物理学の発見の話も語られているが)。しかし、最後に掲載されたカリフォルニア工科大学の卒業式の挨拶を読むと、やはりファインマンは科学者の中の科学者だと思う。この挨拶も最初は、神秘主義のメッカでのアヤシイ話から始まるのだが、核心は誠実さ。かつての呪い師の時代同様、現代も「カーゴ・カルト・サイエンス」(えせ科学)が横行すると語った上で、

 カーゴ・カルト・サイエンスで必ずぬけているものがあります。それは諸君が学校で学んでいるうちに、きっと体得してくれるであろうとわれわれが皆望んでいる「あるもの」なのです。その場でそれが何であるかは取りたてて説明しないけれども、とにかくたくさんの科学研究の例を見て、暗黙のうちに理解してくれるだろうとわれわれが心から願っている「そのもの」です。(中略)「そのもの」とはいったい何かと言えば、それは一種の科学的良心(または潔癖さ)、すなわち徹底的な正直さともいうべき科学的な考え方の根本原理、言うなれば何ものをもいとわず「誠意を尽くす」姿勢です。たとえばもし諸君が実験をする場合、その実験の結果を無効にしてしまうかもしれないことまでも、一つ残らず報告すべきなのです。

 韓国や日本の大学のデータ改ざんが問題になっている現在、真の科学者とは何かを思い起こさせてくれる。そして、こうも学生たちに語りかける。

 諸君に第一に気をつけてほしいのは、決して自分で自分を欺かぬということです。己というものは一番だましやすいものですから、くれぐれも気をつけていただきたい。自分さえだまさなければ、他の科学者たちをだまさずにいることは割にやさしいことです。その後はただ普通に正直にしていればいいのです。

 この言葉は今でも重みを持つ。むしろ、現代のほうがさらに重いかもしれない。人間は弱い。それは科学者でも変わらない。そして、こうも語る。

 もう一つ、これは科学にとってはさほど重大なことではないが、私が信じていることを申し上げたい。それは諸君が科学者として話をしているとき、たとえ相手が素人であっても、決してでたらめを言ってはならないということです。(中略)科学者として行動しているときは、あくまで誠実に、何ものもいとわず誠意を尽くして、諸君の説に誤りがあるかもしれないことを示すべきだということです。これこそ科学者同士の間ではもちろんのこと、普通の人たちに対するわれわれ科学者の責任であると私は考えます。

 これも心して聞く必要がある。やはり、ブラジルでサンバに溺れていただけの人ではない。