杉森久英「大政翼賛会前後」

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

 本屋さんで、たまたま見つけて、読み出したら、面白かった。大政翼賛会の記録と言うよりも、大政翼賛会に勤めていた杉森氏の青春記といったほうが合っている。東京帝国大学から熊谷中学教師、中央公論社を経て大政翼賛会に入る。吉原の話も出てきたりして、興味深いのだが、ともあれ極私的な記録。しかし、それだけに見えてくるものもある。軍国主義、あるは戦前のアジア支配へ向けて全体主義の巣窟というイメージとは大分違う。はっきり言って、お役所。一応、それなりに理想を掲げてスタートするんだけど、次第に単なる「お役所」になっていく。右翼だけではなくて、隠れ左翼も大勢いる呉越同舟の集団。官僚主義を批判し、「新体制」を標榜しながら、結局、官僚OBが幹部を務め、要するに「特殊法人」のようになっていく。しかし、だからこそ、リアリティがあるし、日本という社会が本質的には何も変わっていないのではないかと思えてくる。官僚と、官僚主義は、日本の社会に深く根を下ろしている。だからこそ大変なんだなあ。こんな一節もあった。

 一下僚の私(杉森氏)が、何かで不審な点を見出し、異議を申し立てても、
 「局長が承知している」
 といわれれば、グウの音も出ない仕組みになっていた。それは天皇制の下における官僚社会の慣習だったのだろうが、戦後民主化されたと称する今日の官界でも、同じことが繰り返されているのではないかと思うのである。問題は、天皇制とか民主主義とかいう、もっともらしい歴史教科書的分析で説明できることでなく、太古以来日本人意識の中に潜在している「上の人にいわれた通りしていればいい」という、処世上の知恵にあった。いずれにせよ、私は自分のやっていることに責任を感ずる必要のない気楽な身分だった。

 そう変わらないんだなあ。この本、いろいろな有名人も登場して、平野謙など、ものすごく嫌な人物として描かれている。大政翼賛会の生みの親である近衛文麿の国民的人気って小泉純一郎みたいな感じだったのだろうか。まあ、近衛首相には、小泉首相ほどの度胸はなかったみたいだけど。いずれにせよ、面白かった。昭和研究会や大政翼賛会について勉強してみたくなる。