ポール・クルーグマン「格差はつくられた」

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略

パーフェクト・カップル [DVD] クルーグマンではなく、マイケル・ムーアが書いたのではないか、と思ってしまうような米国保守派を徹底的に攻撃した本。保守派がいかに共和党を乗っ取り、米国人の深層にある人種差別感情や恐怖心を扇動し、米国を誤った方向に向かわせているかを経済学の立場から批判する。で、これは説得力がある。そして、オバマも難しいなあ、と思う。平気で嘘をつき、人々の弱い部分を煽る人たちを相手にしたとき、どう戦うのか。ビル・クリントンの大統領選をモデルにした映画「パーフェクト・カップル」(原題:Primary Colors)で、選挙戦で汚い相手と同じように汚い手を使うのかどうかがクライマックスになるんだが、これはブッシュの時代になって、さらに深刻な問題になってきたなあ。マケイン陣営、特にペイリン副大統領候補の周囲にはブッシュ・チームが付いているといわれるだけに、クルーグマンが描く「汚い人々」とどう戦うかはオバマにとって厳しい問題だなあ。レーガンが大統領選を開始したのは、ミシシッピー州公民権運動家が殺されたところだったという。映画「ミシシッピー・バーニング」の舞台。保守派が、この場所を演説の舞台に選んだことは、公民権運動に対する抵抗という意味があるのだそうだ。
 ともあれ、米国は、ニューディール公民権運動に対する評価をめぐり、いまだに対立している。むしろ、いまは保守派が巻き返している。現在、貧富の差が1920年代当時と同じか、それを上回るというのも驚く。1920年代のバブルの原因について、富の偏在は、資金を投機に向かわせ、それが市場の過熱を生んだという説を読んだことがある(有り余ったカネはリスクを無視して、合理性を無視した奔流となり、市場を揺れ動かす)。90年代以降、過熱と崩壊に揺れ動く市場は、富の偏在のなせるワザかもしれない。もう一度、米国の保守派が主導する自由放任主義を見直す時期なのだろう。
 で、一方、この本で触れられていないのは、米国の保守派の「小さな政府」論が米国内にとどまらず、世界規模で指示する人が出ているのは、官僚制の腐敗があること。官僚制に対する不信が、この流れを後押ししている。官僚的統治機構の問題についても考えないと、保守派を超えられないだろうなあ。その意味で、米国と英国を比較してみることが必要なんだろうな。レーガノミックスサッチャリズムは、どこが同じでどこが違ったのか。あるいは、保守でもなく、といって従来型のリベラルとも言えない英国のブレアと米国のクリントンの政治とか研究してみる必要があるんだろうな。ともあれ、米国型資本主義を見直す時期に来ているんだなーーなどなど、いろいろと考えさせられる本だった。