マイケル・ルイス『世紀の空売り』

世紀の空売り

世紀の空売り

 マイケル・ルイスというと、映画「しあわせの隠れ場所」の原作となった『ブラインド・サイド』の著者だが、そのデビュー作は、ソロモン・ブラザーズの新人債券マン時代の体験記『ライアーズ・ポーカー』。そのルイスがサブプライム危機を書くのだから、面白くないはずはないと思ったが、その期待は裏切られなかった。超絶面白い。
 自らもデリバティブを扱う金融マンだった経験もあるだけに、複雑な金融商品の説明もわかりやすいし、それ以上に金融界の人間たちの生態を熟知している。また、サブプライム危機を描くとすると、大手金融機関や救済した政府関係者などからアプローチするのが一般的だが、ルイスらしく、そうした当たり前の手法はとらない。副題に「世界経済の破綻に賭けた男たち」とあるように、サブプライム・ローンの虚妄を見抜き、空売りを仕掛けた人間たちを、その生い立ちも含め詳細に追うことで、この問題が決して予見されていなかったわけではなく、この異常な金融が今後も再生産されかない状況を描く。
 目次で内容を追うと...

序章  カジノを倒産させる
第一章 そもそもの始まり
第二章 隻眼の相場師
第三章 トリプルBをトリプルAに変える魔術
第四章 格付け機関は張り子の虎である
第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点
第六章 遭遇のラスヴェガス
第七章 偉大なる宝探し
第八章 長い静寂
第九章 沈没する投資銀行
第十章 ノアの方舟から洪水を観る
終章  すべては相関する

 空売りをかけたメンバーはいずれもウォール街アウトサイダーで個性的な面々。そして、ひとつの特徴は、空売りの主役となったスティーヴ・アイズマンもマイケル・バーリもバリュー投資の人ということだった。ウォーレン・バフェットもそうだったが、CDOとかCDSとか華麗に着飾った金融商品の虚構に見抜いたのは財務諸表などのデータを徹底的に読み込み、実体価値を探るバリュー投資のグループだった。
 一方で、この "最先端商品" を取り扱っていた大手金融機関の当事者たち、そのトップから担当者に至るまで、商品の内容もリスクも理解していなかったことが暴露される。ウォール街の伝説的エコノミスト、ヘンリー・カウフマンが『カウフマンの証言』という自伝の中で、デリバティブなどの金融商品は取引している本人たちもよく理解していないと書いていたが、その通りだったのだと改めて知る。
 そして、最後まで読んで暗澹とするのは、弱者を食い物にするようなウォール街の行動に反逆し、空売りをかけるリスクを負った人々が巨利を得たことは納得できるものの、金融機関に90億ドルの損を負わせ、破綻の危機に追い込んだ債券部門の責任者も数千万ドルの報酬を得ていたり、詐欺まがいのサブプライムにのめり込んだ金融機関の側でも高額の報酬を得ている者がいることだ。金融機関自体にしても、リーマン・ブラザーズ以外は救済される。Too Big Too Fail -- 大きすぎて潰せない金融機関の壮大なモラルハザードの風景がある。
 終章は、ルイスが『ライアーズ・ポーカー』を書いた当時、ソロモン・ブラザーズのCEOだったジョン・グッドフレンドとルイスとのランチとなる*1。まさに『ライアーズ・ポーカー』の20年ぶりの続編といったところだが、ルイスは金融危機の原因について問いかける。グッドフレンドは「投資家の強欲と銀行家の強欲」と答えるが、ルイスはそれだけではないと思っている。
 かつての上司への親愛の情で、本人の前では言わないのだが、ルイスは、グッドフレンドがソロモン・ブラザーズ合資会社から株式会社に変える決断をしたとき、ウォール街の金融文化が変わってしまったと思う。そこに淵源があるのではないかと。巨額の報酬への強欲だけではなく、株式会社となり、合資会社無限責任社員だったら全て自分で負わなければならない責任を株主に転嫁できるようになった。そこでレバレッジのタガも外れてしまう。どれだけ高レバレッジで、リスクのある勝負も平気になる。それが、どんどん賭け金を積み上げ、サブライムのような金融大惨事を起こしたのではないか。
 この部分を読んでいて、思い出したことがある。2008年の金融危機の頃、ある金融機関の幹部と企業の財務担当者が、ゴールドマン・サックスは株式会社になってから、社風が変わったと話していた。話の内容は、ルイスと同じだった。パートナーだったら、あんなにリスクの高いレバレッジはとらなかっただろう。そうすれば、こんな異常なことは起きなかっただろうという話だった。金融界に近い人たちは同じような空気の変化を感じていたんだなあ。投資銀行無限責任のパートナーシップにしか認めないようにしたほうがいいんじゃないか、とも言っていた。
 ともあれ、この本、サブライム危機、2008年金融危機、そして現在の金融問題を理解するうえでの必読書だと思う。そう振りかぶるよりも何よりも面白い。
 最後に、その他、面白かったところを書くと...。
 日本の農協(農林中金だろう)、みずほ証券がカモとして登場する。ちょっと情けない。サブプライム・ローンの証券化に関するスキームをつくった人々の源流には、ソロモン・ブラザーズやドレクセル・バーナムの関係者が多い。ドレクセル・バーナムといえば、ジャンクボンドの帝王、マイケル・ミルケンがいた会社。このあたりの人脈も興味深い。そして米国の金融ヒエラルキーの中で、格付け機関が、その責任の重さにもかかわらず、最下層にいたことも身も蓋もなく描かれている。
【関連ログ】
 マイケル・ルイス「ライアーズ・ポーカー」 http://t.co/3miDA5g
 ヘンリー・カウフマン「カウフマンの証言」 http://t.co/OnVhmis
 マイケル・ルイス「ブラインド・サイド」http://t.co/rCUZmOB
 マイケル・ルイス「コーチ」http://t.co/YdxJ5wu

*1:『ライアーズ・ポーカー』でグッドフレンドはカリカチュアされており、本人も快く思っていないのだが、よく出てきたと思う。ここはやはり20年の歳月のなせる技か