「田中一村 新たなる全貌」展(千葉市美術館)

 千葉市美術館に「田中一村 新たなる全貌」を見に行く。田中一村の作品がこれだけの規模で展示されたことは初めてだと言うが、少年期から晩年に至るまでの収集作品に圧倒される。奄美大島田中一村記念美術館にも行ったが、そこをも遥かに凌ぐ。
 千葉に住んでいた時代の襖絵などの珍しい作品も展示されていた。昭和30年代の「草花図天井画」「薬草図天井画」「蓮図板地袋」などは新鮮で目を奪われた。絵画の「黄昏」は後の奄美時代への道程のような作品に思えた。
田中一村作品集 しかし、やはり圧巻は、最後の展示室にまとめられていた奄美での晩年に描いた「枇榔と赤翡翠(ビロウとアカショウビン)」「アダンの海辺(アダンの木)」「不喰芋と蘇鉄(クワズイモとソテツ)」「熱帯魚三種」「海老と熱帯魚」などの原色鮮やかな作品群だった。
 少年期は「神童」といわれながら、東京美術学校退学以降は恵まれなかった。実際に作品を見ていても、見事な日本画ではあるものの、何かが欠けている。田中一村記念美術館でも感じたのだが、今回、膨大な作品群を年代を追ってみていくと、奄美に至るまでの作品には、迷い、苛立ち、名声への渇望が仄見える。作品によっては、その絵筆の一部に投げやりな印象を覚える。
 東京美術学校で、東山魁夷と同期だったというのは不幸だったと思う。初期の作品を見ていても、風景画を描けば、東山魁夷にかなわない。一方、鶏の絵をいくつか描いているのだが、これなども、先日、この同じ、千葉市美術館で見た伊藤若冲にはとうていかなわない。自分自身のテーマ、色彩を求めながら,求められずに、彷徨を続けていたように見える。優れた日本画ではあったが、それ以上ではなかったように思える。
もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) それが奄美に出会ったことで、自分の色を見つけ、誰にもない画風へと進化し、自分自身の芸術へと爆発していったように思える。煩悩をすべて吹っ切った(名誉を求めることを諦めた?)ことで、自分自身の絵を描くということに純粋に集中することができたように見える。
 田中一村の作品を辿っていくと、そうした人生の変遷を体感してしまう。そして最後に、あの色彩豊かな作品群があることで、カタルシスを感じる。ともあれ、素晴らしい企画展。明日で終わりで、10月5日からは鹿児島市立美術館、11月14日からは田中一村記念美術館に場所を移す予定だという。
 しかし、千葉市美術館の企画力はすごいと思う。今日はNHKの「日曜美術館」で紹介されたこともあり、かなり混雑していた。図録は売り切れで、後日、郵送するサービスになっていた。先日の伊藤若冲展といい、これまでの展示会を見ても、千葉市美術館の企画展は時代が求めるアートを的確に捉えており、センスを感じる。誰がプロデュースしているのだろう。館長が逸材なのか、あるいは、素晴らしいキュレーターを揃えているのか。千葉県立美術館と、えらい違いだと思う。
 今回の企画展、田中一村が千葉に在住していたことと関係しているらしい。東山魁夷も千葉県市川市の在住だった。田中一村が千葉を離れたのには、どこか東山魁夷を意識したものはあったのだろうか。たまたまか。
【参考】
 千葉市美術館「田中一村 新たなる全貌」サイト
 http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2010/0821/0821.html
 田中一村記念美術館
 http://www.amamipark.com/isson/isson.html
【関連ログ】
 田中一村記念美術館」に行った http://t.co/cJaAc0p