「カンディンスキーと青騎士展」(三菱一号美術館)

Franz Marc: 1880-1916 (Taschen Basic Art) 三菱一号美術館に「カンディンスキー青騎士展」を見に行く。お目当てのカンディンスキーも良かったが、それ以上にフランツ・マルクやカンディンスキーの愛人だったガブリエーレ・ミュンターの作品に刺激を受ける。マルクの描いた虎や牛の絵は、その色彩と構図にインパクトがある。マルクは第一次大戦の際にヴェルダンで死んだという。ヴェルダンは独仏合わせて70万人以上の死傷者を出した激戦地。そのなかに、この稀有な芸術家も入っていたのだなあ。一方、ミュンターの作品はやさしく、ユーモラスで、ぬくもりがある。ちょっとイラストみたいな感じもする。クレーの作品も展示されていたが、こちらは暗い色調でクレーがクレーになる以前の自分自身のスタイルを模索している時代の作品という感じだった。
カンディンスキー NBS-J (ニューベーシック・シリーズ) カンディンスキーはこの企画展の主役だけに、展示点数も多く、色鮮やかな作品の数々を堪能する。ドイツで活躍した人だけに、これまでカンディンスキーはドイツ人だと思っていたのだが、この企画展でロシア人と知る。第一次大戦になると、ドイツでは敵国人というわけで、国外退去を余儀なくされた。ミュンターとも別離の時を迎える。青騎士の仲間だったマルクやアウグスト・マッケはドイツ兵として死んでいく。欧州というのは国境を越えた自由な芸術運動と友情が生まれる場所であると同時に、敵味方わに別れて戦い、恋人たちが引き裂かれる悲劇の歴史を背負った場所なのだなあ、と改めて思う。
青騎士  青騎士たちの拠点はミュンヘン。ドイツがインターナショナルなアートの拠点であったことはいま考えると不思議な感じがする。しかし、青騎士が活躍した第一次大戦前だけではなく、ワイマール時代も含めて、ヒトラーによって破壊されるまでドイツは国際的な芸術センターだったのだな。しかし、ヒトラー以後は冷戦もあり、完全には地位を回復できていないようにみえる。ユダヤ人には知識人も多かったし、それだけヒトラーが残した爪あとは大きかったのだなあ、などとも考えてしまう。
 年末12月29日に思い立って美術館に行きたくなったのだが、国立系はすでに年末年始の休館。そんななかで民間系の三菱一号美術館は通常通りオープンしていた。師走も押し迫った時期だけにガラガラかと思ったら、結構、人が入っていた。カンディンスキーはそれだけ人気があるのだろうか。
★「カンディンスキー青騎士展」オフィシャルサイト
 http://mimt.jp/aokishi/