福島原発事故、放射線被曝の学校安全基準をめぐり論争。政治も科学も、未知との遭遇

  内閣参与を辞任するという小佐古敏荘氏の発言を読んでいたら、こんな部分が...

小佐古氏は会見で、年間累積放射線量が20ミリシーベルトを上限に、学校の校庭利用を認めた政府の安全基準について「(同程度の被ばくは)原発放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めるのは受け入れ難い」と見直しを求めた。

 各メディアは辞任記事の中で、さらっと触れている話だが、その内容は恐ろしい話。政府は反論して...

細野豪志首相補佐官は29日夜、TBSの番組に出演し、辞任表明した小佐古敏荘内閣官房参与が甘すぎると批判した学校の校庭利用制限に関する放射線量の基準について「われわれが最もアドバイスを聞かなければならない原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトが適切と判断している。政府の最終判断だ」と述べ、変更しない方針を示した。

 要するに福島原発事故のようなレベルの放射能汚染について科学者としても定説がない、あるいは、意見が対立しているということか。いろいろな見解がある中で、政治が決める。それはそれで仕方がないとは思いつつ、この話、怖いなあ。安全基準を厳しくとれば、地域に与える影響が甚大だから、政治力学としては、甘くみる方向に圧力が働くだろう。放射線の影響は時間をかけて出てくるから、短期で見れば、責任を問われるリスクは小さい。となると、政治家は厳しい判断は避けたいだろう(避難範囲を決めたと時もそうだった。海外各国は、政治圧力と無縁だから、安全基準を厳しくとる)。
 ただ、科学者は科学者で当然のことながら、自分の信念に従って意見を発表する人が少なくないから、対立する意見がそのまま世の中に流れることになる。まして、今回のように政府サイドにいたはずの人が異議を唱えると、気分は落ち着かない。結局のところ、福島原発の事故対策は前人未到の領域に入っていて暗中模索の状態にあるんじゃないか。政治家にしても科学者にしても未知との遭遇で、確実といえるほどの根拠もなく、仮説の領域の話が増えているんじゃなかろうか。素人にとっては、「仮説」と「風説」の境界線もあやふやに見えてくる。まあ、仮説と検証を繰り返すPDCAサイクルを地道に回し行くしかないんだろう。ただ、時間軸が長いことと人間の生命がかかるところが悩ましい。
★首相、小佐古氏辞任「見解の相違」 場当たり批判に反論:日本経済新聞 => http://s.nikkei.com/iBpOzm

原子力教科書 放射線遮蔽

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