鵜飼清『山崎豊子 問題小説の研究』

山崎豊子 問題小説の研究―社会派「国民作家」の作られ方

山崎豊子 問題小説の研究―社会派「国民作家」の作られ方

 副題に『社会派「国民作家」の作られ方』。山崎豊子原作の小説はいまもTBSで「運命の人」が放映されているが、テレビや映画になるものも多く、読んでいても正直、面白い。でも、その一方で、過去に数々の盗用問題があり、さらに、現実のモデルがいる小説ではどこまでが現実で、どこまでがフィクションなのか、わからず、一方的な描き方をしているという批判もあったりした。そんなこんなで、山崎豊子の小説というと、ストリーテリングの面白さと、その裏側でいろいろと聞く話の何となしの気持ち悪さの両方を感じていたのだが、そんなときに出会ったのが、この本。
 興味のあった盗用問題、モデル問題を二段組、400ページ以上にわたって展開する大著。盗用を指摘された山崎の小説と原典の比較対照、盗用をめぐる裁判(盗用問題を報道した朝日新聞を山崎が訴えたものだが)の記録など資料満載。山崎豊子の「小説の作り方」の原点が、集団による共同制作という大宅壮一システムにあるとは知らなかった。でも、これは読み捨てになりがちな週刊誌の記事をつくるのには効率的かもしれないけど、小説にはなじまない気もする。
 で、読み終わると、やっぱりモデルの扱い方やら、盗用というか引用の手法には問題があると思える(まあ、そういう趣旨で書かれた本ではあるのだけど)。でも、その一方で、これだけ問題が指摘されながら、大出版社、大新聞社、大テレビ局が許容してというか、重用するのはなぜか、そのあたりは今ひとつ、わからなかった。売れる小説を書くことは確かだし、制作手法に粗っぽいところはありながら、稀代のストリーテラーであることは事実だからか。実際、本当に面白いし、善悪はっきりしているし、メリハリがあるから、テレビにもしやすいのだろうな。
 でも、面白いから、かえって罪作りということもできるのかもしれない。フィクションと言いながら、小説で描かれたことが現実として記憶されていくわけだから。イメージが操作され、悪玉とされた側からすると、迷惑この上ないし、善玉とされた側から言うと、かっこうの宣伝材料になる。山崎豊子の小説を最もうまく利用して、自己のイメージを最大化したのは『不毛地帯』のモデルといわれる瀬島龍三なのだろうなあ。
 で、最後に目次で内容を見ると...

第 I 部
 第1章 盗用問題の発端『花宴』
 第2章 『白い巨塔』の制作方法
 第3章 『不毛地帯』と『シベリヤの歌』をめぐって
 第4章 ネタ本があった? 『二つの祖国』
 第5章 『大地の子』と中国残留孤児
 第6章 『沈まぬ太陽』と事実の間
第 II 部 朝日新聞社と和解した『不毛地帯』裁判
 第1章 「朝日」報道と山崎豊子の提訴
 第2章 裁判はどう展開されたのか
 第3章 不可解な「和解」とその後
第 III 部 山崎豊子は「戦争」をどのように捉えたのか
 第1章 シベリア抑留と瀬島龍三の軌跡
 第2章 戦中派が『不毛地帯』を賛美する背景
 第3章 『二つの祖国』と東京裁判をめぐって
 第4章 国家主義礼讃の物語が汲み出される
第 IV 部 山崎豊子を生む戦後日本の土壌
 第1章 山崎豊子は戦後社会のどこに「人間ドラマ」をみたか
 第2章 マスコミによって山崎豊子の温床が作られるという構造
 第3章 山崎豊子という国民作家の作られ方とその役割

 目次を見ても、筆者が山崎豊子批判に燃えているのがわかる。この執念を生み出したものは何なのだろう。あとがきの最後には、こんなことが書いてある。

 実は本書には「大義」がある。それをここで明らかにすることはできないが、いずれその「大義」を明らかにできる日がくることを祈ってやまない。

 思わせぶりだなあ。「大義」って何なのだろう。