清水真人『首相の蹉跌ーーポスト小泉 権力の黄昏』

首相の蹉跌―ポスト小泉 権力の黄昏

首相の蹉跌―ポスト小泉 権力の黄昏

 小泉政権を継いだ安倍、福田両氏がなぜ1年で首相の座を投げ出すことになったかをレポートした本。2009年の出版で、安倍元首相が自民党総裁に返り咲いたので、読んでみたが、面白かった。権力を小泉首相ほど知っていた政治家はいなかったし、総裁選をガチンコで戦い、総選挙で自らの地位を盤石にするという闘争を経験しなかった安倍、福田両氏はいくら間近で小泉首相を見ていても、権力の使い方も恐ろしさも知らなかったという感じがしてしまう。
 この本は、安倍、福田両政権の分析で終わるが、政権投げ出しに至る過程はどの政権でもかわらず、その後の麻生、民主党になってからの鳩山、菅、野田に至るまで、この本が描き出したパターンは変わらない気がする。党内における財政再建派と上げ潮(成長)重視派の闘争、支持率が下がると「官邸主導」の体裁をつくるために首相補佐官をやたらと置いたり、官僚たたきに出たりするのも、安倍政権から始まったのだなあ、という思いを新たにする。そして、仲間を集めた「お友達内閣」であったり、反対に、党内のバランスで閣僚人事を決めた結果、閣外の人間に頼ったり...。
 安倍首相の政権投げ出しは直接的には病気だが、その前から内閣は迷走、死に体状態だったんだなあ。この本で描かれたような過去をどのように教訓として新たに総裁として自民党を率いていくのだろうか(そして、総選挙に勝ったときには再度、首相として)。そのあたりが興味あるところです。他者に失敗を求めず、自らの失敗をどう認識し、どう考えているのか、だなあ。「党内、官僚の陰謀にやられた」「健康のせいだ」と考えているだけだったら...。次も厳しいだろうなあ。
 で、目次で内容を見ていくと...

プロローグ 首相たちの失敗の本質ーー善悪の彼岸から
序 章 麻生太郎 権力と改革の「脱小泉」
I  「強い首相」小泉純一郎の退場
第1章 小泉政治の本質とは何かーー官邸主導の再定義
第2章 小泉改革の遺産とは何かーー「自民党をぶっ壊す」の虚実
II 安倍晋三美しい国」の幻影
第3章 「戦略的あいまいさ」の賭けーー理念先行のマニフェスト
第4章 何でも官邸団の陥穽ーー議員内閣制と「チーム安倍」
第5章 継承から断絶への転回ーー郵政造反組復党の衝撃
第6章 「上げ潮」と「底上げ」のズレーー成長重視路線の裏側
第7章 参院選 折れた「三本の矢」ーー変質し始めた小泉改革
第8章 病と陰謀に沈んだ宰相ーー権力の空白14日間
III 福田康夫「背水の陣」の漂流
第9章 居抜き内閣の「話し合い路線」ーー旗印なき大連立工作
第10章 官邸主導の終わり?ーー衆参ねじれ国会の深層
第11章 小さな政府vs社会保障税ーー小泉改革後の対立軸
第12章 「大臣」知らぬケータイ宰相ーー安倍と福田の通奏低音
第13章 すれ違った「使命感」ーー小泉渾身のメッセージ

 小泉政権から安倍、福田と、改革路線から逆走していく様子がよくわかるし、衆参ねじれ国会となった時点で、与党が自分の意志だけで決める時代は終わったわけで、官邸主導そのものの前提が崩れていたという指摘も納得。任期に関係なく、国民の審判を受ける衆院の決定を参院は尊重するというルールが必要というのも、そうだなあ、と思う。衆院をチェックするのは大切だが、物事を進める暗黙のルールは要るだろう。党と党が戦う小選挙区制になって、公認を決定する総裁、資金を配分する幹事長の地位が高まり、派閥は自然と力を失っていく運命にあったというのも、なるほどと思う。
 で、印象に残ったところをいくつか抜書きすると、まず総選挙で選ばれた院を尊重するルール...

 マニフェスト型選挙の源流、英国には「ソールズベリー・ドクトリン」と呼ばれる不文律がある。下院の総選挙で選ばれた政権党がマニフェストで掲げた政策を法案化し、下院で可決した場合、選挙で選ばれていない上院(貴族院)は下院の意思を尊重してこれを否決しない。法案の骨格や基本原理にまで踏み込んで抜本的に修正することも控えるのが慣行だ。
 つまり、政権を生み出す機能を持たず、解散もない第二院は政権の死命を制しかねない議決は自制するという準則である。参院は英上院と異なって公選ではあるが、第二院としての位置づけはほぼ相似形だと考えれば、このドクトリンは重要な示唆を含んでいる。

 なるほど。ただ、この場合、第一院の政権は総選挙の洗礼を受けていなければならないのだろうな。その意味で言うと、自民党でいえば、安倍、福田、麻生、民主党でいえば、菅、野田の各首相は正統性を持っていなかった。で、小泉首相は、首相がいつでも総選挙に打って出られるように、幹事長には腹心を置かなければならないが持論だったというが、野田首相は、この小泉原則からいうと、失格なんだろうなあ。福田首相もこれで失敗したという。
 次に、小泉首相とマニュフェスト型選挙について...

 小泉も一見、マニフェスト型選挙には気が乗らない素振りを見せた。ただ、その核心は直感でわしづかみにしていた。第一に「時の党首の方針に沿って党内の政策を統一することが、有権者マニフェストを示す前提になる」という選挙前の政党ガバナンス(統治能力)への意識。第二に「マニフェストを通じて選挙戦で有権者と結んだ『契約』は、責任を持って実行しなければならない」という選挙後の政策の実行体制の側面だ。マニフェストを党内の統制を強化する道具として使えるとにらんだのである。
 「総裁選で私が勝った場合は私に従ってもらう。私の方針は国政選挙に望む党の公約になる。私の政策を支持し、改革に必要な人材には内閣で働いてもらいたい」
 小泉は「総裁選ー改造人事ー解散・総選挙」の順番に並べた政治日程を前に、こう宣言した。「私の方針」を総裁選での勝利を通じて「党の公約」マニフェストに昇華させ、マニフェストを支持する「改革に必要な人材」を改造人事で登用する布陣を敷いて衆院選に臨む。つまり、政局の連続する三つのヤマ場を、マニフェストという太い串でぐさりと刺し貫いてみせたのである。

 小泉首相は、まさに政治的人間だったのだなあ。自分のやりたいことのために権力を掌握するという強い意思があった感じがする。
 さて、首相という最高権力のマネジメントの3要素とは...

 第一は、時間をかけ、周到に準備したマニフェストで自らの基本理念や「どうしてもやりたい」政策の旗印を初めから明示し、有権者に向けて効果的に発信することだ。(略)
 第二に、野党勢力と対峙しながら、政権内をしっかり統制し、倒閣運動を跳ね返してでも首相の座を維持すると意思と、憲法上、本来的に備わっている「首相の権力」を目いっぱい行使して政争に立ち向かう力量がなければならない。それなしに、どのように立派なマニフェストや政治理念を掲げてみても実行のしようがない。(略)
 第三に、首相が各省大臣の経験を積むなどして議院内閣制の下での指揮命令系統や政官関係の仕切りを熟知し、「政治主導」に官僚を従わせ、使いこなす見識や度量を備えていなければ、現実の政策決定や行政実務を円滑には進められない。

 安倍、福田両首相の蹉跌は、この3つの起因すると言えるし、実務面では、この第3の要素、官房長官の経験はあっても、主要省庁での大臣経験がないことが大きかったという。
 安倍首相の権力の転機について...

 安倍が郵政造反組のうち、現職の衆院議員11人の復党を決断したのが(2006年)11月27日。仙論の逆風を察知し、あわてて道路財源の見直しで号令をかけたのが翌28日朝の閣僚懇談会だった。支持率の下落を「改革断行」の演出でV字回復させようとした急ごしらえの作戦は明らかだった。
 政府・与党の最終合意は、揮発油税の聖域扱いに風穴を開け、改革の突破口は開いた。「復党」と「道路」は確かに別次元の問題ではあったが、首相の権力のマネジメントから考えた場合、底流では密接に結びついていた。道路財源で「古い自民党」は公然と安倍官邸に反旗を翻した。なぜなら、復党騒動で「安倍はもう怖くない」のだと「古い自民党」が読みきったからにほかならなかった。
 なぜ、安倍官邸から「怖さ」が消えたのか。それは造反組の復党によって、小泉流の究極の権力のマネジメント術と言えた「対与党解散権」を安倍が放棄したからだ。安倍がここで失ったのは、高い支持率だけではなかったのである。

 「対与党解散権」というのは、党内の郵政造反組を一掃した郵政総選挙のときのように党内の反対派を総選挙によって排除しまうという首相の権力。小泉首相のそばにいて帝王学を伝授されたといっても、権力は持ってみなければ、わからないのだなあ。このときの安倍首相は、権力というものに未熟だったのだなあ。郵政造反組に、お友達が多かったことがあるのかもしれないけど、「泣いて馬謖を斬る」ことができなかった。で、こんな話も...。

 「私が任命した大臣なのだから、本人が辞表を持ってこない限り、辞めさせたりはしない」
 安倍は、松岡や柳澤の更迭論をこう言ってはねつけてきた。自らの任命責任論に火がつくのを警戒し、「部下を守る指導者」を演じるあまり、松岡をとうとう自殺に追いやった。例えば、小泉が、かついて政権奪取に貢献した外相・田中眞紀子をも、外が大きすぎると見るやばっさり切り捨てた非情さとは対照的な甘さではないかとして、閣僚の人事権を行使しきれない安倍自身の「首相の資質」を問う超えが広がり始めた。

 このあたりは後の首相とも共通しているところだけど、こうした点も変わったのかなあ。
 衆参ねじれ国会と官邸主導について...

 さらに衆参ねじれ国会の下では、元首相・小泉純一郎が強力なリーダーシップを発揮したような「官邸主導」の政治決定は難しくなった、という気分も強まった。「小泉改革の司令塔」を辞任した慶大教授・竹中平蔵もそうだった。所長を務める慶大グローバルセキュリティ研究所のニューズレター07年10月1日号の鼎談で、こう喝破した。
 「今回の参院選の結果、もはや官邸主導という形は取れなくなった。官邸主導は与党が衆参両院で安定多数を占めていることが前提であり、そういう中で『官』に対して政治のリーダーシップを強めるためにとられた方法だったからだ。今後は、国会の中での自民党民主党と中心とする政策協議にウエートが移る」

 このときは、衆院・自民、参院・民主が多数派だったのだが、今はこの反対。状況は変わらない。それでいうと、党と党の交渉に当たる幹事長が重要なのだが、自民党は輿石氏かあ。よう、わからん。
 安倍首相と福田首相。思想は右とリベラルで正反対だったが、首相としての行動様式は似ていたという。そんな姿...

 安倍と福田は、政治家も官僚もどこか信用していない。ハブ&スポーク型で側近を分割統治し、競わせる。その中心はただ一人、政権戦略の全容を知る宰相が携帯を握り締めて官邸内の密室に鎮座する。司令塔不在で情報が断片のまま上がり、それを基に全体像のパズルを組み立てるのも一人。前さばきや調整が不十分なまま、トップダウンで決断を下すのも一人。宰相の双肩に重荷がのしかかる政権中枢の実態は、よく似ていた。

 そして、こんな話...

 官邸主導とは、「お友達」を周りに並べたり、有識者会議をむやみにこしらえることを意味し知恵るのではない。議院内閣制の政治主導とは首相が選んだ大臣たちによる「内閣チーム」が指導力を発揮することであり、大臣を通じて各省を統制し、官僚をとことん使いこなすことだ。もちろん、政治が官僚を叩くばかりでは政策決定が進むはずがない。
 小泉は5年5カ月の間、安倍を官房副長官、幹事長、幹事長代理、最後は官房長官と一貫して引き立てて帝王学を学ばせ、安倍は各省大臣を経験せずに首相の座を射止めた。福田も官房長官を3年半、務めたが、大臣はやらなかった。党三役も未経験だった。
 55年体制下の自民党は、外相や蔵相といった重要閣僚、党運営の要である幹事長などの党三役を経験することを首相候補への道と位置づけていたい。小泉が切り開いた官邸主導の時代には、一見、官房長官ポストが首相候補への重要ステップになりつつあるかに見えた。
 いま、霞が関の官僚たちが安倍と福田に共通した問題点として一致して挙げるのは、「官房長官で『促成栽培』され、各省大臣をこなさなかったのが致命的に響いた」という点だ。
 長い官邸暮らしで、安倍が直属スタッフとして使った役所は、内閣官房内閣府。官邸主導を支える手足とはいえ、現実は各省出向者の寄せ集め部隊だ。安倍の眼には企画立案や調整能力に欠け、親元の意向ばかりを気にしがちで、面従腹背ではないかと映る官僚も少なくなかった。

 なるほどねえ。これは民主党にも通じる問題なのかもしれないなあ。で、こうした点も安倍氏は変わったのだろうか、どうなのだろうか。
 いろんな意味で興味深い本でした。小泉政権の話ももう一度、読み直してみるかなあ。今は「負の遺産」ばかりが語られるが、現代に生きる教訓があるのかも。
官邸主導―小泉純一郎の革命 経済財政戦記―官邸主導小泉から安倍へ