佐藤俊樹『00年代の格差ゲーム』

00年代の格差ゲーム

00年代の格差ゲーム

 タイトルや目次が気になって何となく読み始めた本だったのだが、これが面白かった。2002年の出版だから、10年前に出たものだが、いじめの歯止めなき暴力化をはじめ、現代社会を予見しているところがある。もっと早く読んでおけば良かったと思うと同時に、こうした本がもっと政治、行政の人たちに読まれて、参考にされていれば、もうちょっと違った2012年があったのか、という気もしてくる。まあ、有名な本で自分自身、タイトルは知っていたが、本が出た時には何も感ぜず、読んでいなかったわけだから、他人のことは言えないけど。
 目次で内容を見ると…

1 大衆憎悪社会
2 階層の閉域 言葉の閉域
3 00年代の格差ゲーム
4 暴力の現在形
5 横断されるメディア

 で、印象に残ったところ、刺激を受けたところが多々あるのだが、いくつか抜書きすると…
 出版当時は小泉政権の時代。なぜ小泉改革路線が不利益を受けるであろう人々からも人気があったのか。なぜ改革反対の声は上がらなかったのか。

 第一は、このままいってもジリ貧だという意識である。思い切った改革が進めば、明日にはリストラされるかもしれない。けれども、改革をしなくても、明後日にはリストラされる可能性が高い。ならば、ぱっぱっとやってもらったほうがすっきりする。じわじわなぶり殺しにされるよりはまし、というわけだ。
 小泉人気の裏には閉塞感がある、とよくいわれたが、その中身はこういうものだろう。改革が進まないというよりは、改革してもしなくてもどうせダメという意識。貧富の差が解消しないというよりは、貧富の差を解消する処方箋がないという意識。現状がダメだという以上に、現状を打開できる手段が見つからないのである。
 第二の理由は、それでもひどい目にあわないだろうという期待である。痛みをともなう改革で血を流さざるをえないにしても、失血死にまでは至らないだろう、というわけだ。戦後の「ゆたかな社会」には、極端な貧富の差はつくるまいというコンセンサスがあった。その記憶にもとづく、曖昧な信頼感がまだあるのである。
 この二つの理由から、改革の「痛み」が実体化してこない。どこか他人事に見えてしまう。不利益をこうむりそうな人々は、改革がなくてもどのみち切り捨てられると思う一方で、切り捨てられても死にはしないだろうとも思っている。ならば、ずるずると先送りするより、何かアクションを起したほうがすっきりする。いわば曖昧な開き直りである。

 よく見ているなあ。みんな、このときの自分の曖昧さを忘れて、すべてを小泉改革のせいにしたところで、いま日本が直面している問題は何も解決しないだろう。改革があろうが、なかろうが、貧富の差は開いていたということを忘れてしまっている。地方の衰退についても….

 水が高きから低きへ流れるように、人間は住みにくい場所から住みやすい場所へ移る。大都市への人口集中が止まらないのは、結局、大都市のほうが地方よりも住みやすいからである。人口移動がつりあった時に、はじめて「住みやすさ」もつりあったといえる。地方に住めば、それは痛いほど実感される。
 その意味で、小泉政権の改革は地方の切り捨てにつながりかねない。にもかかわらず地方で明確な反対派が形成されにくいのは、それまでの地方優遇策が無駄だったと感じられているからだ。道路はできた、橋も架けた。空港もできた、立派なコンサートホールさえできた。それでも若者は大都市に出ていくし、地場産業は衰退していく。大都市と同じインフラを整備しても、大都市と同じ豊かさが手に入るわけではない。自民党補助金バラマキは、かえってそれを疑問の余地なく立証してしまったのだ。インフラをつくれば生活水準の落差が解消するという解決策が完全にゆきづまったのである。

 それが10年前の雰囲気だったけど、いまはまた、昔に帰ろうとしている感じがする。
 で、まとめて…

 これは均質化による不平等解消のゆきづまりといえる。不平等は強烈に感じられている。だが、所得の再配分やインフラ整備のような、均質化政策によって不平等を解決できるとも思えない。そのことが不平等を拡大しやすい政策に強く反対する気を削ぐ。現在の不平等をめぐる閉塞感とは、格差そのものへの不満というより、不平等を解消する手段についての無力感なのである。
 それが従来の保守/革新を超えて改革を求める声になっているわけだが、一方で、それほどひどい不平等にはならないだろう、とたかをくくってもいる。その意味でいえば、小泉内閣の改革路線を支えていたのは、かなり旧態依然とした、ぬるま湯的な楽観でもあった。戦後が実現した「ゆたかな社会」への信頼といいかえてもよい。

 的確だなあ。そして「ぬるま湯的な楽観」が、厳しい「新しい現実」に直面したとき、小泉改革への怨嗟の声となり、今度は何でもかんでも小泉改革が悪かったという話になってしまったともいえる。民主党は「所得の再配分」による均質化政策へ戻ろうとしたわけど、財政的には無理があるし、その効果も見えてこない。「不平等を解消する手段についての無力感」だけが充満しているのが現在なのかなあ。読んでいると、いろいろと考えさせられます。「無力感」がナショナリズムに火をつけているところもあるかもしれない。経済、社会面での問題解決は難しいので、別の舞台にカタルシスを求めているような感じもする。
 続いて、結果の平等から機会の平等の時代になって、弱者も変質するという話…

 結果の平等を掲げる社会では、「弱者がいる」は「正しくない」に直結する。それに対して、機会の平等を掲げる社会では「弱者がいる」が「正しくない」に直結しない。この社会で「正しくない」に直結するのは「不公平(アンフェア)」である。したがって、構造的に不利益をうけている人たちに訴えかけるのも、“弱者” ではなく、「アンフェアな目にあっている人」とよぶことからはじめるしかない。簡単にいえば、「弱者救済」というスローガン自体が耐用年数にきているのだ。

 なるほど。だから、米国では「アンフェア」に厳しいのか。で…

 “弱者” であれば、自らの「弱さ」を肯定できる。先に述べたように、結果の平等の下では “弱者” がいること自体が正しくないことであり、“弱者” イコール被害者である。弱いのは弱い当人のせいではない。結果の平等原理をきちんと実現できない社会の責任である。むしろ「貧乏な自分は正しい」「ズルをしないからこそ貧乏に甘んじている」といえる。
 それゆえ、結果の平等を掲げる社会では個人の責任が蒸発しやすい。弱さに限らず、というか、悪い状態はつねに「弱さ」に読み換えができるので、「自分が悪いのは社会のせいだ」といいつづけることができる。(略)弱さを肯定する社会では、個人個人が自分を否定される感覚を強くもたずにすむのだ。

 うーん。ぬるま湯の心地よさというか。経済が成長していれば、社会の安定化装置としていいのだけど…。その余裕がなくなってきたのだが、心情的にはどうしても「結果の平等」的な世界へ戻ろうとするんだろうなあ。
 続いて、若い世代(26〜35歳)と中年世代(46〜55歳)の収入格差をデータで見て…

 個人収入でも世帯収入でも、1955年以降、格差は拡大しつづけている。若い世代にくらべて、中年世代がどんどん裕福になっているのだ。世代間での富の分配では、日本は中年世代がとくに優遇される社会、いわばおじさん社会なのである。

 「パラサイト・シングル」などと言う言葉もあるが、若者は中高年に規制しているというのは本当なのか?

 バブル崩壊後の不況のなかで、企業は中高年の雇用を守るために新規採用を抑制した。コスト削減のかけ声のなかで真っ先に放棄されたのは、若い社員たちの育成だった。それをごまかすために、「社員の間にも競争が必要だ」「これからは自己責任だ」と唱えているのではないか。かつては会社の費用で手厚く育成され、バブルに舞い、そして現在は会社の中堅として自分たちの雇用を守っているのは、じつは中年社員たちなのではないのか。

 中年組の痛いところを突くなあ。大方の日本企業の能力主義の問題は、今のような厳しい能力主義の評価を受けずに出世してきた上司たちが、能力主義で厳格に部下を評価しようとしていることにあったりする。で、「パラサイト・シングル」に戻って...

 大都市のなかで、2、30代の男女がそれなりのプライヴァシーを確保しながら親と同居できる家庭は、かなり恵まれている。親の多くは(略)「中の上」と答える高収入層だろうし、子どもの多くも高学歴で、専門職や管理職につきやすい。どちらが寄生しているかは、コップのなかの嵐にすぎない。
 おじさん社会のなかで不平等にあえいでいるのは、パラサイトできる親をもたない若い世代である。「パラサイト・シンブル」という言葉が危険なのは、誰が寄生しているのかが疑問だからではなく、パラサイトできない若年層までもが楽をしているように思わせるからだ。
 それはこの言葉の発明者の罪ではない。機会の平等社会ではこれまで以上に平等を守る努力が課せられることを忘れ、ただ「競争を」「自己責任を」と唱えている人々の病理であると私は思う。

 鋭いな。
 日本社会の「気持ちのわかりあい」ゲームについて…

 日本では決め事は、対立する利害を相互に自発的にゆずり合い、段階的に妥協点を発見していく形でつくり出される。「あなたの気持ちはわかる、だから私の気持ちもわかってくれ」「ここはゆずるからあそこはゆずってくれ、お互いに痛みはわかち合おう」。対立する立場にある二人が一歩一歩近づき、最終的な妥協に至る。日常の会話で、会社の会議で、そして政治の場面で、人々はこうしたゲームをくり広げてきた。
 西欧や中国のやり方と比較した場合、この方法は関係者の自発性をそこなわず、すみやかに意思統一できる点でたしかにすぐれている。だが同時に、一つ大きな構造的弱点をもかかえている。こちらがゆずったのに相手がゆずらなければ、ゆずったほうの丸損である。それでは妥協しようという気にはならない。こちらが譲歩すれば相手も譲歩するという保証があって、初めてこの決め事プロセスは一般的に成立しうるのである。
 実際、日本人と中国人が交渉する場面ではこうした齟齬が起きやすい。日本人のほうは相手の譲歩を期待してまず譲歩する。ところが、中国人の側から見れば、それは日本人側の立場の弱さを示す。だから、自分の利害をいっそう強く主張する。ところが、それは日本人にとっては、相手の好意につけこむという最も許しがたい振る舞いなのだ。そこで当然交渉はご破算になる。kれでも、じつは話はここで終わらない。中国人にとっては、最初にゆずっておきながら突然強く出るのは、それこそ騙し討ちなのだ。

 いまの日中関係でもありそうな話。異文化の人と話し合うのは難しい。たしかに、「わかってよ」と思うのが日本の文化だなあ。「空気読め」の国だし。こうした相互依存・相互信頼の社会を、個人主義に対応して「間人主義」と言ったりするらしいのだが、この社会関係ができたのは、たかだか300〜400年。江戸時代の話だという。戦国時代は、日本も契約社会だったと。
 というわけで…

 そもそも「気持ちのわかりあい」が社会的コミュニケーションの主要モードになったのは、個人を一つの社会関係内に閉じこめる権力工学が働いていたからなのだ。「気持ちのわかりあい」は日本人固有の性質ではなく、この権力工学に対する適応の結果にすぎない。

 なるほどねえ。そして、この4世紀ほど続いた「気持ちのわかりあい」ゲームがいま、壊れつつある。なぜなのか。

 なぜこうなったのだろうか。細かな条件はいろいろあるが、最終的には日本社会が経済的に成功して、ここ近年急速に「ゆたかな社会」になったことに尽きる。従来、人々を一つの関係にどどまらせてきたもの、それは本当は「飢えへの恐怖」であった。この関係(たとえば会社)からはじき出されれば飢えるーーそれが日本人を関係に痙攣的にしがみつかせてきた真の機動力なのだ。

 昔、某大企業のインテリ役員氏から、日本の経済社会の根本にあるのは「雇用」だという話を聴いたことがある。敗戦後、海外の植民地からの引揚者も相次ぎ、小さな国土から溢れるほどの人口を抱えた国がどうやって飢えずに暮らしていくのか。そこに日本の原点があると言ってたのを思い出した。で、海外でいうと、ドイツはインフレへの恐怖(第一次大戦後にハイパーインフレに襲われた)、米国は株式市場崩壊の恐怖(1929年の「暗黒の木曜日」に端を発した大恐慌)が経済政策を規定しているとも言っていた。日本は「飢えへの恐怖」がキーワードか。
 しかし….

 ところが、いまや、ある関係からおりても別に飢えるわけではないことに、人々が気づきはじめた。いくつかの不便さえ忍べばとりあえず食っていける。それだけ社会がゆたかになったということだ。けれども、そうだとすれば、飲めもしない酒を無理強いされ、歌えもしないカラオケのマイクを握らされ、結局「自分たちもいじめられたのだから、お前たちも黙っていじめられろ」というだけの上司のお説教や自慢話に監視する必要が、どこにあるのだろうか? 学校の先輩の親分肌や、隣近所の覗き趣味や、親戚同士の口のはさみ合いに、仲良く付き合う必要がいったいどこにあるのだろうか?
 それとちょうど歩調をあわせて、企業や学校などの組織自体も変わらざるをえなくなっている。経済的に成功し本当の先進国になってしまった結果、日本はヒトマネではなく、自らの手でイノベーションを行うシステムへの転換を迫られている。日本的なコミュニケーションに基づくシステムは、既存の目標を集団的に達成するのには適しているが、目的自体を発見したり、斬新なアイディアを生みだすのには不向きである。それには、冒険する自由を個人に認め、そのリスクも個人に負わせるアメリカ型がやはり便利なのだ。
 要するに、個人を一つの関係に長期間閉じこめるという権力工学が、とうとう構造的な限界にきてしまったのだ。「気持ちのわかりあい」はそのうえに育まれてきた。それが壊れれば必然的に壊れざるをえない。

 確かに。しかし、その権力工学を維持させようという人たちもいて、まだ過渡期にある感じもするなあ。そして、「気持ちのわかりあい」が壊れた後の新しい社会の形が生まれず、むしろ、「社会でない社会」になろうとしているという。

 近未来の日本社会がいまの私たちを最も驚かす点は、アメリカ化でも「オタク」化でもなk,この眩暈のような「社会でなさ」ではないか。
 それは、従来の日本人の目には、きわめて異様なものに映るだろう。母胎のような暖かさと安らぎを与えてくれた身体の連続性が切断され、他者の身体がただの肉の塊にしか見えない人間たち、人と痛みを共有できない人間たちが社会のなかに増えてくる。いじめや犯罪は、はるかに暴力的なものになっていくだろう。

 不気味なほど現在を予言している。
 インターネットとメディアについて…

 脱中心化されればマスメディアでなくなるわけではない。むしろ、インターネットのなかで、誰でもマスメディアになりうる世界ができつつあるのである。そこでは、不特定多数相手ゆえの歪みや不平等は、かえって身近に再生産されていく。みんながマスメディアする社会、すなわち脱中心化された・一方的なコミュニケーションの世界ーーインターネットの変質はそういう未来を示唆している。ネットワークvs.マスメディアという二項対立自体が無効化しつつあるのである。

 これなども当たっているなあ。
 新聞を買う本当の理由は「みんなが読んでいるから」。それを突き詰めると、大衆紙にして高級紙という日本の新聞の特異性も見えてくる。「入試によく出る朝日新聞」というCMを入り口にして...

 入試に受かれば、高い学歴が得られる。高い学歴を手に入れればどうなるか。いうまでもない。専門職や管理職への途がひらかれる。クオリティ・ペーパーとして新聞を読む読者になれるわけだ。日本の新聞は、たんに大衆紙が高級紙であるだけでない。新聞を読むことで、大衆紙としての読者が、正確にいえば、大衆紙としての読者の子どもが高級紙としての読者になれる。それが大衆紙かつクオリティ・ペーパーという図式、すなわち「一般紙」なるものの中身である。
 戦後の日本の新聞は、そういう信憑に支えられてきた。この信憑こそが「みんな」感覚の本体であり、「みんなが読んでいる新聞を買わないと自分のグレードが落ちた感じがする」本当の理由である。みんな(の子ども)がクオリティ・ペーパーとしての読者になれる可能性を均しくもっているーーそういう意味での「みんな」なのである。

 うーむ。こうして考えると、新聞離れというのは、ネットだ、ケータイだ、というだけではなく、こうした「信憑」「平等」に関しる社会的信念が揺らいでいることのほうが大きいのかもしれない。新聞は大変だなあ。
 で、「みんな」について。インターネット世代には「みんな」感覚が弱まっているという。だが...

 だからといって、「みんな」がなくなるわけではない。自分が「みんな」になるのはごめんだが、自分を見せるための「みんな」はいてほしい。「みんな」でない自分を確認するためにも、「みんな」は絶対不可欠なのだ。平等ゲームの「みんな」から格差ゲームの「みんな」へと、「みんな」の位相がずれつつあるのである。
 これはかなりきわどいゲームになる。みんなが「みんな」でなくなれば、「みんな」も存在しなくなる。それでは困る。自分が「みんな」でなくなるためには、他の人が「みんな」であってほしい。魔札を押しつけあうように「みんな」を他人に押しつけあい、自分だけは「みんな」でなくなろうとする。
 その果てには、おそらく、小さな「みんな」が島宇宙のようにあちこちに散らばるのだろう。昔のような、大きな「みんな」はもうつくれない。たとえ一瞬できたとしても、すぐさま雲散してしまう。大きな「みんな」は「みんなでない自分になりたい」という一人一人の欲望に逆らってしまうからである。大きな「みんな」をつくるほどの強烈な個性は、文字どおりみんなの敵になる。そういう個性が気づかれた瞬間、足をひっぱられ、叩きおとされ、つぶされていく。
 だから、大きな一つの「みんな」ではなく、小さなたくさんの「みんな」が散乱する。「みんな」にされている側も、それなら我慢できる。小さな「みんな」しかもてない個性ならば、自分と大差ないと思えるからだ。そうであるかぎり、いつか自分も「みんな」でなくなれるという夢をつぶさずにすむ。

 面白い分析だなあ。それがSNSともいえるのだろうか。
 最後に日本社会について

 ここ数百年の間、日本社会は内と外との境界を巨大な壁にしてきた。外に対する激しい攻撃性と内に対する強固な一体感。それはあらゆる国民国家に見られるものだが、「気持ちをわかりあう」「痛みをわかちあう」といった文字どおりの身体感覚まで高めた。その点で、日本はやはりかなり得意な社会である。だからといって、実際にみんなが仲良くなっていたわけではなく、「みんな仲良く」という標語の下で、不都合な人間を外へ追い出してきたというべきだが、それが内への暴力を極小化していたのも事実である。
 その内/外の境界が、今、大きく変質しつつある。機会の平等をかかげる社会では、最も強い憎しみは隣人に向けられる。顔見知りだからといって、もはや安全だとはかぎらない。むしろ、顔見知りの人々の間で暴力が激しく噴出する。そういう社会に日本はなりつつある。
 逆にいえば、機会の平等原理への転換は、バブル崩壊や戦後体制の構造疲労によるものではない。たんなるアメリカ追随でもない。これは80年代からのメディアの転換や個的生活への憧れの延長線上にあるのであり、長い目でみれば、ここ数百年つづいてきた「日本的社会」がゆるやかに終わりつつある現れなのである。
 そのなかで「痛みをわかちあう」身体感覚はくずれ、〝弱者〟が〝敗者〟に読み換えられる。不平等感が増殖し、隣人への羨望と憎悪に苦しむ。言葉は伝わる安心感を失い、むしろ相手を切り裂いてしまう。
 しかし、それは誰から押しつけられたものではない。私たち自身がのぞんだことなのだ。これほどまでの軋轢と齟齬をうみだしながら、機会の平等社会への途を誰も捨てられない。機会の平等原理は、私が私であることの、いや私が私になることの奪われなさにつながっている。私たちのなかには、個であることとの快楽と欲望があるのだ。

 10年前の本だが、予言の書だなあ。そして、10年たった今も、新しい日本社会の形はまだ定まっていない。数百年続いたものが壊れて言っているのだから、新しいものがそんなに簡単にできるはずもないか。
 長々とした読書メモになったが、これでも書き足りないぐらい今でも刺激的な1冊でした。