連載中止となった佐野眞一氏の週刊朝日「ハシシタ 奴の本性」第1回を読んでみると…

 橋下大阪市長朝日新聞グループ取材拒否によって人権問題としてクローズアップされた佐野眞一氏の「週刊朝日」連載「ハシシタ 奴の本性」。一応、連載中止で、とりあえずノーサイドとなったのだが、ネット上では、橋下市長を応援する声が大きい一方、佐野氏を支持する人たちもいる。後者には硬派ノンフィクション系のメディアの人たちが目立つような気がする。両者の主張を知るには、まずは読んでみないことには、と思って、改めて、この記事を読んでみる。その感想は、というと、思ったほど、ひどい書き方ではないという印象はあるものの、それは第三者の見方で、書かれた側はそうではないだろうし、人権・差別の問題から考えても、このような形で載せるべきではなかったと思う。というか、編集部も煽って暴走させたのではないか、という印象さえ持つ。少なくとも編集部のチェックは効いていないし、意図的に橋本市長にケンカを売っている。それが金儲け主義のスキャンダリズムだったのか、憂国の情のためかはわからないが、ともあれ、派手にケンカを売った末に、自滅してしまった。
 ただ、読んでみると、ネット上で批判されていた内容の中には、一部分だけを取り出して、攻撃しているものがあったこともわかる。例えば、「初めに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない」にしても、この文章の後ろには「橋下にはこれといって確固たる政治信条があるわけではない」と続く。だから、検証しないというわけ。頭から政策を無視して、ルーツの問題に走ったわけではない。この政治信条に関する批判は以前からある。ただ、人によっては、この臨機応変・融通無碍な柔軟さが政治家として貴重な資質と思っている人たちもいて、このあたりは本当は議論のあるところなんだろう。検証を素通りできる話ではなかったかもしれない。
 さらに「一般的に子どもは親父の精子が80%、女の精子が20%の割合で結合する」というのは佐野氏の主張ではなく、日本維新の会の旗揚げパーティに参加していた男の話で、こんな怪しげな変な人が会場にいたという文脈のなかで出てくる。佐野氏の主張のように書いているネットの書き込みもあったが、これはミスリード。「橋下徹はテレビがひり出した汚物」という表現も、辺見庸氏の言葉。これに「我が意を得た思いだった」と佐野氏も書いているが、佐野氏自身が生み出した言葉ではない(まあ引用でも品がないが)。橋下市長の手法「ハシズム」は「ヒトラーに似ている」という話は出てくるが、これも文脈で見れば、ヒトラーを生み出したワイマール時代のドイツの政党の腐敗・混乱と社会的な閉塞が現代に似ているというところにワイマール論に主眼がある。
東電OL殺人事件 (新潮文庫) そんなわけで、週刊朝日批判のためにプレイアップされている部分はあるものの、全体として読むと、やはりメディアとして、この記事をこのまま載せることが適切であったかというと、否と思わざるをえない。同和地域を特定して書いている部分があるということだけでなく、橋下氏の本性を暴くために被差別部落の問題を含めて両親や橋本家のルーツを書くという方法論自体に正当性を見いだせない。「敵対者を絶対に許さないこの男の非寛容な人格」というが、それは具体的に、どんなことを指して言っているのか。政治手法は問わないと言っても、親族まで含んだ大批判をする理由は何なのか。ただ橋下市長が嫌いだから、というように見えてしまうし、それ以外に理由が見えないところに最大の難点がある。
 橋下市長の悪は自明だろう、と筆者や編集部は思っているのかもしれないが、そこが相当な説得力を持って描かれないと、ルーツを詮索する手法は成立しない。そこはわかるでしょ、というような軽さで済むことではないし、パーティを描いただけだけは、血脈をたどる出発点にはならない。差別や人権に対する鈍感さが見え、人格が血脈や出身で決まるならば、差別以外の何物でもなくなるし、そう取られても仕方のない論理展開になってしまっている。『東電OL殺人事件』を書いた佐野氏らしくない。
 本気でやるのだったら、なぜ、自分たちが一線を越えて、血脈の問題にまで踏み込むのかを第1回で論証しなければならないのだが、「パーティにいた謎の人物と博徒だった父」と題する6ページの記事で、パーティにいた老人と橋下氏の父の縁戚という男の2人の話が長々と引用され、あとは印象論的批評と、橋本市長にケンカを売る啖呵では、とても説得力がないし、ひとりの人間を親族まで含めて暴こうとするときに、どれだけの取材と覚悟をしているのだろうかと疑われてしまう。
 このあたり、編集部の仕事だなあ。佐野氏に取材班までつけているのだから、編集部が冷静な読者の目で見て、意見を言って行かなければならないのに、見出しのリードにある「彼の本性をあぶり出すため、ノンフィクション作家・佐野眞一氏と本誌は、彼の血脈をたどる取材を始めた。すると、驚愕の事実が目の前に現れた」とか、表紙の「橋下徹のDNAをさかのぼり 本性をあぶりだす」とか、何よりも「ハシシタ」というタイトルを含め、編集部自体が橋下批判に舞い上がってしまっている感じがする。
 橋下嫌いのノンフィクション作家と橋下嫌いの編集部が揃って興奮してしまったのではないだろうか。いま橋下市長を批判できるのは自分たちだけだと、妙な高揚感があったんじゃなかろうか。両者の相乗効果というか、核融合というか、冷却装置がないままに筆が暴走したような…。同質的な組織がいかに危険かという例にもなるなあ。まあ、今回の事件では、編集長の責任が一番、重大なのだろう。全責任をもって、雑誌全体の編集を冷徹にみる役回りなのだから。編集長自身もみんなと一緒に興奮していたんだろうか。
 以上は記事を読んでみての推測だけど、週刊朝日はやはり検証報道をすべきなのだろうなあ。自分たちの考えを明らかにすべきだろう。自分たちのどこが正しくて、どこが間違ったのか。地名を書いたことだけなのか。その方法論自体に問題があったのか。本当に、どう思っているのだろう。
 最後に、この第1回目の記事を読んでいて気になったのは締めの部分。

 私は死んだ之峯の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく中上健次の世界だな、と思った。
 被差別部落出身という境遇や、自殺、殺人という物語の重要な要素が共通しているからだけではない。中上の小説に決まって登場する「秋幸」という主人公の名詞が「之峯」という名前とどこか響きあっているように感じられたからである。

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫) 岬 (文春文庫 な 4-1) 枯木灘 (河出文庫 102A) 佐野氏はノンフィクションで中上健次的な日本の風景を描きたかったのだろうか。であるならば、橋下市長に対して悪態をついたり、啖呵を切ったりするのではなく、もっと対象に冷静に接する必要があったのだろう。静かに語るべき物語で、講談調に声を張り上げる類の話ではない。それに中上健次ほどの覚悟と痛みがなければ、書けない世界である。ともあれ、週刊朝日は軽かった。中上健次の傑作ルポルタージュ紀州」は朝日新聞での仕事と思ったのだが、朝日ジャーナルの連載だった。週刊朝日ではなかった。
★お知らせ:週刊朝日10月26日号の橋下徹大阪市長に関する記事についての「おわび」- 朝日新聞出版 => http://bit.ly/T6KvPz
週刊朝日「徹底的に検証進める」 おわび掲載 - 47NEWS => http://bit.ly/PLFota
橋下徹氏 on Twitter => https://twitter.com/t_ishin
★もうね、朝日新聞出版と週刊朝日は鬼畜集団ですよ... - 橋下徹氏 on Twiitter => http://bit.ly/X16cpP
山口一臣氏(「週刊朝日」前編集長、朝日新聞出版販売部長)on Twitter => https://twitter.com/kazu1961omi