ジョージ・ソロス『ソロスの錬金術』(新版)
- 作者: ジョージ・ソロス,青柳孝直
- 出版社/メーカー: 総合法令出版
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: 単行本
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目次で内容を見ると...
新版のための序文
新版のための前書き
第1部 理論編
第1章 株式市場における再帰性
第2章 為替市場における再帰性
第3章 信用・統制サイクル
第2部 歴史的な見通し
第4章 国債債務問題
第5章 協調融資体制
第6章 レーガンの帝国主義的循環
第7章 銀行システムの発達
第8章 アメリカの寡占
第3部 リアルタイムの実験
第9章 実験開始−−1985年8月
第10章 第一実験−−1985年8月〜12月
第11章 コントロール期間−−1986年1月〜7月
第12章 第二実験−−1986年7月〜11月
第13章 結論−−1986年11月
第4部 評価
第14章 金融錬金術の展望−−実験の評価
第15章 社会科学の苦悩
第5部 処方箋
第16章 自由市場vs規制
第17章 国際中央銀行を目指して
第18章 制度改革のパラドックス
第19章 1987年の大暴落
エピローグ
「新版のための推薦の言葉」を寄せているのが、ポール・ボルカーだったりするところがすごい。「新版のための前書き」は「再帰性」について論じた、かなり長い文章。前書きというより、「序章・再帰性」といった感じ。
続いて、面白かった部分の抜き書きをいくつか...
最近まで、私は市場至上主義を激しく非難していた。それは今日、マルクス主義よりも重大な脅威であると私は考えていたからである。今では、米国至上主義の唱道者のほうが市場至上主義者よりも危険だと私は考えている。私が恐れるのは、「米国至上主義の追求は(残念ながら)しばらくは成功するであろう」ということである。それは、実際にアメリカが今日世界における支配的な地位を享受しているからである。しかし、その概念に欠陥があるため、結局は衰える。もしブッシュ・ドクトリンが首尾よく初期の試練を乗り越えるとしても、単なる金融恐慌よりもさらに壊滅的な結果を伴うブーム・崩壊プロセスを引き起こすかもしれないのである。
サブプライム・ブームとリーマン・ショックを予見していたかのような記述になっている。こうした大局観のもとで、バブルと崩壊を読んでいたのだなあ。ウォーレン・バフェットがミクロから入るタイプの投資家だとすると、ソロスはマクロから入る投機家だったという感じがする。
続いて、こんな話...
私の投資歴においては、すべての投資手法には欠点があるという仮定のもとに行動していた。(略)ある手法に欠陥があるという事実があっても、他の人々が信頼し、そう納得させられ得る人々が多くいれば、そこに投資するべきでないということにはならない。
ジョン・M・ケインズは、株式市場を美人コンテストになぞらえてそれを立証した。その勝者は、最も美しい候補者ではなく、美しいと思った人々の数が最も多い候補者である。私がそこに重要なことを付け加えるとしたら、欠陥を探す価値はあるという点である。もし見つかったら、私たちは優勢の立場にある。なぜなら、私たちがすでに知っていることを市場が気がついたときに、私たちの損失を最小限におさめることができるからである。私たちが心配しなければならないのは、何が悪い方向に進むかに気づかないときである。
このアプローチが効率的市場仮説や合理的期待理論と相反しているということは、強調するまでもない。後者は、市場は常に正しいと主張する。市場はほとんど常に間違っているが、たいていの場合は自らを正当化することができる、というのが私の持論である。
ソロスは、効率的市場論や合理的期待理論と一線を画しているのだ。で、勝ってきた。
最近の金融界の問題の元凶について...
近年のブームによる悪行の大部分は、二つのカテゴリーに分けることができる。それはプロ基準の低下と、利益相反の劇的増加である。そして双方とも同時に、広範囲に広がる徴候がある。どのような方法を採ったかは頓着せず、利益を美化するのである。弁護士、会計士、会計監査官、証券アナリスト、執行役員、銀行員など、いわゆるプロと言われる人種が、プロとしての価値観より利益追求を優先させた。証券アナリストは、投資銀行との取引を獲得するために株価を引き上げる操作を行った。銀行員、弁護士、会計監査官は、同様の理由で人を欺く行為を助長し、扇動したのである。同様に、利益相反は、狂信的な利益崇拝の中で黙殺された。犯罪と呼べる行為を犯したのは少数であったが、振り返って考えてみれば、方法を間違い、疑わしい行為を行った関係者は数多かったのである。
これはエンロン、ワールドコム事件の頃の話だが、その後のサブプライム問題では、これに格付け機関も加わっての狂乱になるのだなあ。
投機にあたって、どこまで物事を知る必要があるのか...
私は特定の産業や国家について短い期間で習熟しなければならなかったし、諸般の環境下で、私には最新の情報を得続ける余裕がなかった。私は48時間であらゆる論題における専門家になった、と冗談半分に言ったものである。もし私がこれ以上時間を費やしたら、私の判断力は事実によって鈍っていたであろう。
多くの場合、専門家は自分の論題に対して強い利害関係を持ち始める。そうした専門家が集める情報は、自分にとって決して十分ではない。私は自分が判断を下すのに十分な情報のみに関心があった。それ以外は、問題を混乱させるだけである。私はそれを「急所を突く情報」と表現した。
私はまた「まず投資、調査はその後」という習慣をつけた。もし、ある考えが、初めて聞いた時点で私を引き付けるほど興味をそそるものであったとしたら、それはおそらく他の者にも同様な影響を与えたであろう。もし、さらなる調査の結果、その考えに欠陥があると分かった場合、それに気づいたのが私が最後ではないという条件であれば、私はいつでも方向を換え、自分のポジションを利益と共に手仕舞えることができるのである。もしその考えが正確であると分かったのであれば、私はポジションを増やすのに、さらに有利な立場にある。私はそれをもっとも安値で購入していたか、もっとも高値で空売りしてあったからである。
このあたり、いかにも投機家らしいなあ。
最後に株式投資に関する部分...
既存の理論は、大まかにファンダメンタルズ分析とテクニカル分析の二種類に分類できる。最近のはやりはランダム・ウォーク理論である。この理論は、市場の将来の動向はまったく考えずに、個々の参加者が市場で成功するかどうかの確率は、全体としてみれば五分五分である、という理論である。こうした議論は、株式指数に投資をする機関投資家が増えていることの理論的な裏付けになる。だが、この理論は明らかに間違っている。私は12年以上の期間にわたって平均以上の実績を上げている、という事実からもランダム・ウォーク理論がまちがっていることが分かるだろう。機関投資家は、個別の銘柄に関してそのつど投資判断を下すよりも、株式指数に投資したほうが効率が良いというのかもしれない。しかしそれは、かれらが平均以上の実績を上げることができなかったからではなく、今までの実績が平均以下だったからである。
説得力あるなあ。と言って、ソロスは、ファンダメンタルズ分析、テクニカル分析を評価するわけでもなく、自ら発見した再帰性理論を主張する。
そして、ソロスが拠って立つところは...
(1)市場はいつもある方向にバイアスしている。
(2)市場の現在の状況は、市場の将来の展開に影響を与える。
この二つの主張を組み合わせると、市場が将来を正しく予測するように見える現象を説明できる。
なるほど。ともあれ、いろいろと思考し、試行錯誤しているのが、わかって面白い。ソロスは大富豪になったわけで、それは「錬金術」ということになるのかもしれないが、どのような形でマーケットは動いているのか、経済や国はどう動いているのかを探求している「経済探求術」ともいえる。