内田義雄『戦争指揮官リンカーン』

戦争指揮官リンカーン―アメリカ大統領の戦争 (文春新書)

戦争指揮官リンカーン―アメリカ大統領の戦争 (文春新書)

 副題に「アメリカ大統領の戦争」。南北戦争におけるリンカーンの戦争指導者としての役割を当時、普及し始めたモールス信号の通信記録をもとに説き起こす。モールス信号は最先端のコミュニケーションツールで、早馬でも手紙でもなく、この技術革新をいち早く積極的に取り入れたことが戦争の帰趨を決したという視点も面白いが、それ以上に興味深かったのは、南北戦争日露戦争第一次世界大戦に先立つ機械化された戦争の始まりであったこと。進化した銃砲技術の前に、騎士道精神や武士道は通用せず、正面突撃は大量虐殺の場と化す。たった1日の戦闘で何万人もの死傷者を出している。また前線と銃後の区別は曖昧となり、軍人の戦争から市民を巻き込む全面戦争の時代へと変化していった。さらに妥協を許さぬ「正義の戦争」がどれだけの悲惨さと残虐さを生み出すことになるのか。リンカーンの理想と関係なく、戦争は暴走し、暴力の歯止めが効かなくなる。
 カスター将軍によるネイティブ・アメリカンの虐殺も、ベトナム戦争下のソンミ村の事件も、そしてアフガニスタンイラクで起きていることも、南北戦争に原型があることがわかる。第二次大戦下、敵国民の戦意を喪失させるために、日本やドイツの都市を焼き尽くそうとした戦略爆撃も、北軍の南部破壊に、その原点があるように見える。映画「風と共に去りぬ」では、北軍によるアトランタ焼き討ちが前半のクライマックスになっているが、この炎に包まれ、焦土と化すアトランタは、その後の広島、長崎、東京、ドレスデンの原風景だったのかもしれない。北軍のシャーマン将軍は今だったら、戦争犯罪人として、ハーグの国際法廷で裁かれていたのだろうなあ。ユーゴスラビア内戦のように。
 リンカーン大統領の姿だけでなく、南北戦争が米国に残した戦争マニア的後遺症まで考えさせる刺激的な本だった。読み終わって、何となく、スティーブン・スピルバーグ監督の「リンカーン」を見てみたくなった。スピルバーグ南北戦争をどう描いているのだろう。