- 作者: 後藤田正晴,政策研究院政策情報プロジェクト
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/06
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ともあれ、日本の「政と官」、その表も裏も知り尽くしている人だけに面白い。そして単に知っているというだけでなく、官の論理、政の論理に飲み込まれれず、常識と情を持って批判的に見ている。安倍政権になって自民党の中でも戦後批判が噴出しているので、そのあたりを後藤田正晴氏がどう考えているのか、興味があったのだが、やはり現実に戦争に行き、外地で敗戦を迎えた人と、観念で戦争を語る人との間には、溝があると思った。憲法に対する考え方も異なる。修正すべきところは修正するのは当然としても、単純な改憲論ではなく、国民の意思がどこにあるかを重視する。
内務省に入省し、戦争に行った後、復員してから自治省を経て、警察畑を希望するのだが、それは「常識」が大切な官庁だったから、という。官僚時代から「常識」の人であったのだなあ。そして「政治家の常識」や「官僚の常識」が「国民の常識」と異なることを意識して、改革に取り組んでいた人でもあったのだな。戦後を代表するような様々な出来事の解説、裏話を含め、上下2冊、読み始めたら、止まらない面白さだった。多くの問題が現代に通じる。
で、目次で内容を見ると
第1章 負けず嫌いのがんばり屋か頑固者か
−−生い立ちから大学時代まで
第2章 人間の運勢を実感させられた軍隊時代
−−内務省入省、徴兵、そして敗戦
第3章 人心の荒廃に日本の将来を悲観
−−内務省に復帰、警視庁へ
第4章 警察の組織・人事の刷新に全力を注ぐ
−−内務省解体、そして警察予備隊創設
第5章 いつ革命が起きても不思議ではなかった
−−血のメーデー、機動隊創設
第6章 政治家の力と官僚の力
−−自治庁、自治省の時代
第7章 警察人事はいかにして機能してきたか
−−警察庁に戻る
第8章 事件多発に最高責任者の孤独
−−警察庁次長、そして長官
第9章 田中内閣の政治指導の様式に明と暗
−−内閣官房副長官時代
第10章 人間がまるで変わった二回の選挙
−−参院選、衆院選、ロッキード事件
第11章 最大派閥・田中派内での仕事
−−新人議員として
第12章 政治家の運勢は一瞬の判断が将来に影響する
−−第二次大平内閣で自治大臣に
第13章 新しい党内抗争が教訓で「和の政治」を目指す
−−行財政改革が課題だった鈴木内閣
第14章 内閣発足当日まで応諾しなかった官房長官就任
−−中曽根内閣の大番頭を務める
第15章 省庁統合の難しさを痛感する
−−行管庁長官、総務庁長官の役割
第16章 選挙制度と税制の改革に悪戦苦闘
−−再び内閣官房長官として
第17章 緊急事態に縦割り行政の弊害
−−内閣機能強化と危機管理
第18章 田中派の分裂から後継総裁指名までの真実
−−竹下内閣誕生す
第19章 政治改革のうねりと世代交代の波
−−道半ばの政治システム再編成
第20章 自衛隊派遣、死刑制度、検察人事に物申す
−−法務大臣、副総理の仕事
第21章 自民党政権の崩壊から連立政権への道程
−−緊張した政権運営こそあるべき姿
第22章 改革が中途半端に終わることを何よりも恐れる
−−橋本内閣の仕事と日本の未来
で、印象に残ったところを抜書きすると...
後藤田氏は戦争中、台湾に派遣された。そこで、日本の植民地支配について...
これはね、世界でもうまく融和して成果をあげていた統治形態であったと思うんですね。朝鮮統治とはいろいろ違う。内地人が威張っているなと感じることもありましたが、それほどの騒ぎを目にしたことはありませんし、そう違和感も感じなかったですね。しかし、私の目が駄目だったんです。それは戦が済んだ後、僕らは意気消沈していますよね。ところが、8月15日の夕方になったら街中爆竹です。こちらは敗戦で打ちひしがれている。昨日までいっしょに仲良くやっていた台湾の人が、爆竹をあげて解放感を味わっているわけですから。だから、所詮は植民地統治なんてできるもんじゃないです。その時は本当に身にしみて感じました。
実際に体験した人ならではの言葉だなあ。そして、この反省の上に戦後の関係を構築して行かなければいけないだなあ。台湾でさえ、本音では、こうだったわけだから。
岸内閣による日米安保条約改定を経て、池田内閣の所得倍増政策のあと、経済一本の国づくりが進み、日本の社会は安定したわけだが...
そのかわり、その咎めがいま来ているということだと思います。東京の玄関にあたる横須賀に、世界でも有数のアメリカの海軍基地があるとか、東京のど真ん中の青山にいまだにアメリカの基地があるとか、それをちっとも日本人が不思議に思わなくなっている今日の姿です。これは半保護国の意識ですよ。しかも、戦前の近代欧米各国のあとを追って植民地獲得に走り、軍事大国の道を歩んで、外国に対する侵略行為をやった、残虐行為をやった、そのこと自身についての反省すらできない。それがためにいまだに謝り続けている。こういう状況というのは、やはりマイナス面として今日に残ったなと。これを解決するのがこれからの政治のほんとうの意味での責任だと思うんですね。
歴史認識の問題だなあ。その時代を生きた人でもあるしなあ。
で、全く違う組織管理の話。警察では、金銭よりも女性や酒で間違い・事故が起きるという。そして徹底的に怒るが、1回は許すとして...
その結果を見てみますと、酒の大きな失敗はみんな直る。女は直らん。婦人問題というのは一生だな、また同じことをやるな。女の問題というのは駄目だね。僕の経験ではそうです。
何となく、そうだろうなあ、という感じがするけど。
外交の話で、韓国との関係...
韓国は肩に力が入っているんだ。やはり過去の歴史だな。このことを、韓国との付き合いの場合には日本人は考えなければならない。何もへりくだることはないですよ。謝るのは済んでいるんですから、それは必要ないけれども、やはり相手の置かれていた立場というものを理解しておかないと、こちらが気がつかないところでおかしなことになる可能性があるという気がしました。
まさに今の問題だなあ。まして自分たちがしてきたことに対する反省すらできないという前に指摘されたような状態だと...。
靖国問題について
その後、(昭和)六十年頃になって、僕がまた官房長官になったものですから、結局どこが悪いんですかと、別の線を通じて相手の国に確かめたわけですよ。そうしたら、A級戦犯をお祀りしてあるところに総理大臣以下が行くことは問題だと。A級戦犯というのは極東軍事裁判でしょうと。極東軍事裁判というのは、サンフランシスコの平和条約で日本政府は認めているじゃありませんかと。その裁判で有罪になった人達をあそこに一緒にお祀りして、そこに総理大臣以下が行くのは、被害を受けた側としては納得ができない。反発している国民に説明がつかない、というわけですね。
それで僕も困って、A級戦犯を別のところにお祀りできないかなと思った。国民感情もあるし、ことにA級戦犯のご遺族の人のお気持ちもありますからね。しかし、この案を正式に官房長官が発言したら、憲法20条違反になってしまうわけだよ。それで、靖国神社の後援会のような組織の会長をやっていらっしゃった大槻文平さんに、何か手はないですかね、と相談したら、もっともですな、と言って、神社側に話してくれたんです。ところが、神社側がうんと言わない。ご遺族も賛否両論で二つに割れた。そういうようなことで、これは政府が表に立つわけにいいかない問題ですから、それで今日に至っている。
本来、靖国神社の問題は日本の内政問題だと思っているんです。外国に言われる問題ではないと思っているけど、不幸にして、A級戦犯の問題で残念ながら外交問題になった。まあ、ともかく、私をして言わしめれば、戦後の問題は、心の問題はまだ終わっていないということになると思いますね。
なるほどなあ。そして昭和が終わり、平成が四半世紀になっても終わっていない。
続いて、1980年代のバブルについて。この当時、後藤田氏は中曽根内閣の官房長官で、M2の異常な伸びを見て、不動産投機が発生しているのではないかと危惧していたという。金融を引き締める必要はないのか、対策は必要ないのか、と、日銀(総裁は大蔵省出身の澄田智)や大蔵省銀行局に訴えたが、反応は鈍かったという。これについて...
どこに問題があったかと言うと、これは僕の推測だけれど、大蔵省という役所の体質だな。ひとつは素人が何を言うのかということだわ。これは僕の推測でなしに、ひがみの邪推かもしれないね。もうひとつは財政の立場が非常に強い。銀行局の立場は弱い。主計局は当時何を考えていたかというと、最初は昭和59年度で赤字国債をゼロにするということだったけれど、延び延びになって、中曽根内閣で、昭和65年までにゼロにするということになった。これは平成2年に達成したんですよ。赤字国債ゼロににした。
その赤字国債をゼロにするという考え方から見るならば、バブルがいいですよね。税収がどんどん自然増収として上がってくる。その自然増収で赤字国債の発行を抑えていったのだから。ところが片方で、経済全体はまさにバブル現象となり、同時に銀行そのものがバンカーの基本を忘れたんです。その咎めが今日出てきているということなんですね。
説得力あるなあ。
内閣の室長に来た官僚たちに与えたという5訓...
ひとつは、省益を忘れ、国益を追え。二番目は、嫌な悪い事実まで報告せよ。三番目は、勇気をもって意見具申せよ。どういたしましょうかと言うな。四番目は、俺の仕事ではないと言うな。五番目、決定が下ったならば、必ずそれに従え、そして実行せよ。
危機管理で有名な佐々淳行氏(初代の内閣安全保障室超)が記録していたという。
「権力というのは自分でもぎ取る以外にないんですか」といいう問いに
ないね。要するに、鉄砲での殺し合いから票の奪い合いになった。そこが進歩しただけだ。
民主主義です。
自民党が下野した時、河野洋平自民党総裁を推したのは、後藤田氏だった。その考えは前からあったのかと問われて...
僕はあったね。僕と考え方が似ているんだ。自民党の中のリベラル派だよ。文字通り自由民主的な立場なんだ。中道左派と言うかね。だから似ているんですよ。宮沢さんも僕らと似ている。だいたい役に立たないやつばかりかな(笑)。
いま、自民党リベラルの代表というと、誰なのだろう。
憲法改正、「自主憲法」論議について
僕は、憲法というものは、議論して直すべき必要があるならそれは構わない。現にいろいろな不具合なところもあるだろう。しかしいま議論している中心は9条ではないか、それは少し早すぎる、ということを私自身の考えとして持っていたんですね。同時に、憲法というのは、国民が作るのであって、自主であるのは初めから決まっていることではないか。自主憲法という言葉自体は今日的な意味を持っていない。だからこの言葉は改めるべきであるという考え方を持っていた。これを中心にすいぶん議論がありました。結局、新しい文書では「自主憲法」という言葉は削除したんです。この時の論議は党内では相当激しい論議がありました。
昭和60年当時の自民党の話。そして、憲法改正論者は、今の憲法を自主ではないという議論をしているんでしょ、という話に...
マッカーサー憲法だと言うわけです。しかし僕の考え方では、マッカーサー憲法と言っても、それは平和主義なり、基本的な人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか、だから、マッカーサーが作ったんだから変えるという時代はもはや過ぎ去ったのではないかと。こういった価値観を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文を変えるべきだと言うんなら、それはいい。しかし自主憲法を言う人たちの頭の中に持っているのは、再軍備ではないか、それには僕は反対だと言っているわけです。それは早すぎると。
再軍備だってやりたければやって、もういっぺん焼け爛れる者が出ても構わんと言うのならやってもいいよ。しかしいま言うことではないな。この時期に9条を直すとなると、そう簡単にことは行かないよ。この流動化している世界の中では早すぎる。先の戦争で僕たちは加害者だった。同時に被害者がみんな生きているよ。だからまだ早すぎるんだ。その世代がこの世の中にいなくなってから論語をして、変えていく必要があるんならそれは結構だというのが僕の考え方だから、自主憲法に変えるという言葉でもって今やらんとしていることは早すぎる。
警察庁長官として激動の時代に日本の治安を担当した保守系政治家だけど、醒めた目と同時に、常識を持っていのだなあ。自主憲法論の背景には、戦後日本の否定があるのだが、すべてがすべて否定されてしまうものなのか、そこも含めて考えないとなあ。自主憲法が基盤とする「価値」は何なのか。世界からも問われるのだろうなあ。必要なのは憲法の修正で、全編書き下ろしのフルモデルチェンジを求める時代でもないのかもしれない。このあたりは議論を呼ぶのだろうなあ。ともあれ、重みのある言葉です。
最後に行政改革。橋本龍太郎内閣の行政改革議論について
本来を言うと、行政改革というのは既得権益層との戦いになるんです。既得権益層というのは誰かと言うと、それは官僚であり、それによって利益を得ている一部の民間の企業なり民間人だ。その後ろにおるのは政治家あるいは政党だということになるわけです。痛みを伴う改革であるだけに、最後は完全に実現してもらわなきゃならないと思う。そうなると、それを国民がどこまで支持するかということが最後の勝負どころになりますね。
そういう意味から言いますと、いったい行政改革というのは何か、ということだ。何の目的でおやりになるんですか、といったようなことについて、総理自らが国民に向かってわかりやすく説明する必要がありますよ。それが今日までないではありませんか。第一、国民の世論調査を見ても、景気をどうしてくれというのが一番高いでしょう。行政改革についても支持が若干あるけれども非常に低いじゃないですか。ということは、国民はわかっていないんですよ。つまり、各省の範囲を半分にする、あの憎たらしい役人どもがやめていくのは、これは気持ちがいいわいというくらいの話で、これでは駄目なんですよね。そんなことが行政改革だと理解されたのでは、できるわけがないんだ。
そうではなくて、行政の役割が今の時代にあまりに広げ過ぎているではありませんか、これをできるだけ絞り込んで、最後に残った仕事をどのようにいくつかの省庁に配分するかということを考えるのが行政改革だ。狙いは、これから先、少子・高齢化社会になって世代間の争いも激しくなるし、それからまた、財政赤字も放っておけばどんどん膨らんでいく。現在でも国民所得に対して国債で賄っている分も含めて44%を超していますね。それを何とか50%くらいに抑えようというですけれど、これはあっと言う間に50%を超すわけですから。それをできるだけ防がなければらならない。
防ぐということは、結局は税の国民負担が増大することはやむを得んにしろ、それをできるだけ抑えるということですね。ということは、効率的な税の使い方をする、無駄遣いはやめる、ということですね。そういうことを平たく国民に説明をしなければならない。
1998年初版の本だけど、15年を経て問題は変わっていないなあ。地道に努力していくしかないのだろうなあ。それが政治なのだな。マックス・ウェーバーが『職業としての政治』で言っているみたいに。
長々と抜き書きを書いてしまったが、それだけ印象に残り、多くの教訓がある本。これはあくまで自分の視点から見たものだと強調しているが、こうしたオーラル・ヒストリーの形で記録を残すことには意義があるなあ。歴史に学ぶことは大切だな。その人がなぜ、そう考え、なぜ、そう対処したのかをわりりやすく聞くのには、こうしたインタビュー形式がいいのかもしれない。