外山幹夫『もう一つの維新史−−長崎・大村藩の場合−−』

もう一つの維新史―長崎・大村藩の場合 (新潮選書)

もう一つの維新史―長崎・大村藩の場合 (新潮選書)

 幕末、長崎に近い大村藩で起きた勤皇派による佐幕派の大粛清、大村騒動を描いた本。ただ、「勤皇派による佐幕派の粛清」というのは表面的な見方で、筆者は史料をたどりながら、ことがそう単純ではないことを暴き出す。藩主の跡継ぎ問題やら、藩内での特定の個人の私怨が絡み合う。反対派に「佐幕派」というレッテルを貼って、排除していった状況があぶり出される。加えて、この「勤皇派・佐幕派」というレッテルが維新後には、粛清を実行した「勤皇派」の人物たちには立身出世に有利に作用していく。理不尽といえば、理不尽な話で、読んでいて、陰鬱な気分になってくる(途中から、読むのがつらくなって、飛ばし読み気味になってしまう)。
 この不快な気分は、スターリンによるソ連の粛清の歴史を読んでいるときに感じたことに似ている。人の心の中にある底知れぬ闇を見るようで、怖くなる。言葉をもてあそび、人の心をあやつる悪魔のような人間がいる。あるときは反「尊皇攘夷」、あるときは「反革命」が、自分の意に沿わぬ者を殲滅する大義名分とされる。「もう一つの維新史」は「もう一つの革命史」ともいえる。「正義」を持ちだして人を処断しようとする人間には気をつけないといけないのだなあ。自分の個人的な怨みをはらすのに「正義」を語る人間...本当に怖い。そして幕末・維新のときだけでなく、いつでも、こうしたことが起きるのではないかというところがさらに怖い。