ハンナ・アーレント 『イェルサレムのアイヒマン』に関する雑駁な読書メモ

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

 最近、「ハンナ・アーレント」という映画が話題になっているが、こちらは、映画の題材にもなっているイスラエルによるアイヒマン裁判に関するアーレントの記録。重い。そして考えさせられる。アーレントの他の専門的な著書とは違って、もともとが雑誌「ニューヨーカー」のために書かれたものなので、ジャーナリスティックで、読みやすい。ただ、内容が内容だけに、深く考えさせられる。
 この本では、裁判を追いながら、どのようにナチスドイツがユダヤ人絶滅計画を進めていったかが語られている。ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の歴史、そして、同じヨーロッパでも国よって反ユダヤ人意識や絶滅計画への協力度合いに濃淡があったことがわかる。ナチスの同盟国でもあっても、イタリア、デンマークなどは非協力的であり、ナチス占領下のフランスは無国籍ユダヤ人の迫害に手を貸しながら、フランス国籍ユダヤ人にまで絶滅の動きが広がろうとすると反抗に転じる。
 イスラエル検察はアイヒマンを、ユダヤ人絶滅計画の推進役であり、主導者のひとりとして告発するが、この本を読むと、出世を望む小役人と思えてくる。しかも、上司や仕事に忠実な官僚であるところが、かえってたちが悪く、任務遂行に邁進する(ということは大量のユダヤ人を死地に送ることになる)。ユダヤ人絶滅計画の具体化を議論したヴァンゼー会議で、エリート官僚たちが事務的に計画を論じるのを見て、エリートが良いと思っているのならば、問題はないのだと思ってしまったりする。組織のなかで良心が消えていく。血に飢えた異常な人間ではなく、大量殺人が淡々と事務処理されていくところが怖い。
 加えて、何百万人という組織的な殺戮を、個人の力だけで、できるわけもない。ユダヤ人を大量に集め、移送するには、ドイツの官僚たちが能力を発揮しただけなく、各地にあったユダヤ人評議会が協力している(協力させられた、というべきか)。収容所がユダヤ人の手で管理されていたという話は、「カポ」という言葉とともに知っていたが、各国・各都市でのユダヤ人の狩り集めを含めて、システム全体がユダヤ人の手でなされていたのは衝撃的でもある。異様な効率主義であり、ここでも官僚制度が機能していたのか思う。ユダヤ人絶滅計画で、ドイツ人がしていたのは主に事務仕事で、現場はユダヤ人が運営していたというのは、凄惨な話である。
 この本は、ひとつの裁判の記録であると同時に、組織・民族・国家と個人の責任、良心の考察ともなっている。アイヒマンはどこにでもいる人間であるし、ある環境の中では同じことをする人間はこれからも出て来るのだろう。
 ガス室による殺害は、実はドイツ国内で、まずナチスが社会的に無用とした障害者や精神病患者の殺害に使われたのが始まりだという。これは周辺住民の知るところとなり、批判運動が起き、中止されたという。ただ、同じ方式がユダヤ人に使われた時は、声が上がらなかったという。住民たちは知らなかったのか、それとも...。沈黙は同意と同じ、共犯になることでもある。
 ギロチンが人道的な死刑として発想されたのと同じように、ガスによる殺害は「安楽死」であり、ドイツの東部戦線で実施された特務部隊による銃殺よりも「人道的」という考え方があったことも記されている。恐怖の論理でもある。そして、こうした考え方は、近代の効率化重視の社会が生み出す発想であるところがさらに怖い。技術が進化しても、人間が進化するわけではない。
 戦争犯罪、そして第2次大戦が提起した「人道に対する罪」に対する裁判の意味も問われる。ニュルンベルク裁判、アイヒマン裁判は東京裁判にもつながってくる話なので、現代的な意味を持った本でもある。
 目次を紹介すると...

読者に
第1章 法廷
第2章 被告
第3章 ユダヤ人問題専門家
第4章 第一の解決−−追放
第5章 第二の解決−−強制収容
第6章 最終的解決−−殺戮
第7章 ヴァンゼー会議、ポンテオ・ピラト
第8章 法を守る市民の義務
第9章 ライヒ−−ドイツ、オーストリアおよび保護領−−からの移送
第10章 西ヨーロッパ−−フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア−−からの移送
第11章 バルカン−−ユーゴスラヴィアブルガリアギリシャルーマニア−−からの移送
第12章 中欧−−ハンガリア、スロヴァキア−−からの移送
第13章 東方の殺戮センター
第14章 証拠と証人
第15章 判決、上告、処刑
エピローグ
あとがき

 目次のように、この裁判を追うことで、ユダヤ人絶滅計画の全貌がわかる。
 で、印象に残ったところをランダムに抜書きすると...。
 まずアイヒマンナチス入党について...。なぜ石油会社を解雇されたアイヒマンナチスに入ったのか。

アイヒマンが反対尋問の際裁判長に語らなかったことは、彼が野心満々の青年であって、ヴァキューム石油会社が彼にうんざりする前に彼のほうが出張販売員の仕事にうんざりしていたということである。時代の風は彼をつまらない無意味な平々凡々の存在から彼が理解したかぎりでの<歴史>のなかへ、つまり<運動>のなかへ舞上らせたのである。これは決して静止することがなく、その中では彼のような人間−−自分の属する社会的階級からも自分の家族からも、従って自分の目から見てもすでに失敗者としてしか見られぬ人間−−でも、初めからもう一度やり直して出世できる運動だった。(略)彼はもう一つの人生を選んでいたらどあうなっていたかを決して忘れはしなかった。亡命者として惨めな生活を送っていたアルゼンチンにおいてばかりか、彼の生命は失われたも同然だったイェルサレムの法廷においてすら、彼はなおも−−もし誰かが尋ねたとすれば−−ヴァキューム石油会社の出張販売員として平和で平凡な生涯をまっとうするよりは、Obersturmbamfuhrer a.D.(中佐に相当する階級)として絞首刑にされることを選んだだろう。

 うーん。人間が時代に呑み込まれていくというか、人間が時代の中で意味のある存在、歴史に名を残すことを意識したとき、こうした考えをする人間も出て来るんだろうなあ。
 アイヒマンは、ユダヤ人の国外大量追放で成果をあげる。8カ月のうちに4万5000人のユダヤ人がオーストリアから退去させたたが、この間、ドイツを去ったユダヤ人は1万9000人以上ではなかったという。なぜ、可能だったのか。

 この事業を成功させた基本的なアイディアは、〔現存する地方的乃至国際的なユダヤ人諸組織に資金を調達させるとともに実務に当る機構を設けさせて、国家の手でユダヤ人移住の体制をととのえることだったが、(略)〕勿論アイヒマンのものではない。それはどう見ても、彼をヴィーンに派遣したハイトリッヒの案だったようだ。

 ハイトリッヒは「ラインハルト・ハイドリヒ」と表記されることが多い。「金髪の野獣」と呼ばれ、プラハで暗殺されたナチス高官。ヒムラーに次ぐ親衛隊ナンバー2で、ユダヤ人絶滅計画のトップ。そして...

このアイディアは、ハイトリッヒが、<ガラスの夜>の翌朝ゲーリングと協議した際に説明したところによれば、まことに単純で巧妙なものだった。「ユダヤ人自治体を通してわれわれは移住を望む金持のユダヤ人たちから一定の金額を引出した。彼らがこの金額を支払い、さらに外国通貨で或る額を支払うことによって、貧乏なユダヤ人が出国できるようになる。問題は金持ちのユダヤ人を出国させることではなく、ユダヤ人貧民をかたづけることだった。」

 恐ろしい発想。組織的な民族の殺戮は、粗雑な頭ではできないんだなあ。悪魔のような官僚が、悪魔の様な仕組みをつくることで、殺戮も効率化されてしまうのだなあ。怖い話。で、アイヒマンは、こうした仕組みをつくるほどの能力はなく、別の「<才気煥発の法律家>が<移住寄金>というアイディアを生み出した」という。
 ユダヤ人虐殺をどうしてナチスの人々は実行できたのか。良心の呵責はなかったのか?

「これは未来の世代がふたたびおこなう必要のない闘いだ」というのだが、それは女や子供や老人、またその他の<穀つぶし>どもに対する<闘い>を暗示しているのだ。アイザッツグルッペンの指揮官と高級SS警察長官に対するヒムラーの演説から取ったこのような文句には、また次のようなものがあった。「これをやりぬき、しかも人間的な弱さのために生じたいくらかの例外を除いてはあくまで見苦しい態度は見せなかったこと、これこそわれわれを鍛え上げたのである。これは未だかつて書かれたことのない、今後も書かれることのないわれらの歴史の光栄の1ページである。」あるいは、「ユダヤ人問題を解決せよ、という命令、これは一つの組織に与えられた最も恐るべき命令である。」あるいはまた、われわれは自分らが諸君に期待していることは<超人的>なこと、つまり<超人的に非人間的>であることだということを承知している−−。これについて言い得ることは、彼らの期待は裏切られなかったということに尽きる。けれども、ヒムラーイデオロギーの言葉で正当化しようとしなかったこと、またたといそうしたところでそれはたちまち忘れられてしまったように見えることは注目に値する。人殺しとなりさがったこれらの人々の頭にこびりついていたのは、或る歴史的な、壮大な、他に類例のない、それ故容易には堪えられるはずのない仕事(「二千年に一度しか生じない大事業」)に参与しているという観念だけだった。このことは重要だった。殺害者たちはサディストでも生まれつきの人殺しでもなかったからだ。

 これも人間心理の怖い話だなあ。倒錯した世界でもある。
 続いて、前述したガス室の誕生に関するくだり。

 最初のガス室は1939年に「不治の病人には慈悲による死が与えられるべきである」というこの年に出されたヒットラーの布令を実施するために作られた。(略)この着想そのものは相当古いものだった。すでに1935年にヒットラーはドイツ医学総監ゲアハルト・ヴァーグナーに、「戦争になったらこの安楽死の問題を引受けて実行するように、戦時のほうがやりやすいから」と言っていた。問題の布令は精神病者に対してただちに実施され、1939年11月から1941年8月までのあいだに約5万人のドイツ人が一酸化炭素で殺された。その施設のかなの死の部屋は後のアウシュヴィッツにおけるのとまったく同じように−−つまりシャワー室や浴室に偽装されていたのである。この計画は失敗だった。周囲に住むドイツ人に対してこのガス殺を秘密にしておくことは不可能だった。四方八方から抗議が起こったが、この人々はまだ医学の本質と医師の任務についての<客観的>な理解に達していなかったのだろうと察せられる。東部におけるガス殺−−いや、ナツィの言葉で言えば<人々を慈悲によって死なせる>という<人道的な遣方>−−は、ドイツ内でのガス殺が中止されたのとほとんど時を同じくして開始された。それまでドイツで安楽死計画に携わっていた連中が、民族絶滅のための新しい施設を築くために今度は東部へ送られた。

 これも歴史のなかの怖いエピソードだなあ。ナチスというのは、自分たちにとって意味のない人間は消去するということを現実に実行したのだな。恐ろしい。で、この絶滅施設をつくったのは、親衛隊ではなく、「総督官房」や「全国衛生局から出向」というのも恐ろしい。「衛生局」...。害虫駆除のように人間を考えていたんだろうか。少なくとも組織としては同じだったのか。このエピソードには、こんな続きがある。

 精神病者に対するガス殺はドイツでは住民からの、また少数の勇気ある教会の高位者からの抗議によって中断しなければならなかったことはしばしば指摘されて来たが、それに反して、この計画がユダヤ人のガス殺に切替えられたときには、いくつかの収容所は当時のドイツ領内にありドイツ人住民に囲まれていたにもかかわらず、そのような抗議は聞かれなかった。

 うーん。ただ、これには戦争の進展もある。連合軍の爆撃で、市民の間にも死が広がっていたことがあるかもしれない。抗議が発生したのは戦争初期で、敗戦が近くなり、戦禍の悲惨さが増すに連れ、「ガスによる苦痛のない死」に対する市民の観念も変わっていったという。例えば、1944年の夏に農民の士気振興のためにバイエルンに演説をしに来た或る女性は<指導者>の話...

彼女は<奇蹟的兵器>や勝利などということにはあまり時間を費やさなかったらしい。彼女は予想される敗戦について率直に語った。良きドイツ国民はそれを恐れる必要はない。なぜならフューラーは「慈悲深くも、不幸な戦争終結を迎えた場合のために全ドイツ国民にガスによる安らかな死を用意しておられます」というのだった。

 そして、1945年1月、ソ連軍が迫る東プロイセンケーニヒスベルクの避難民収容所で医師が、ある女性に治療を求められて...

「治療は後にまわしてケーニヒスベルクから抜け出すことのほうが彼女にとって大事だ、と私は説き聞かせようとした。『どこへ行くつもりですか?』と私は訊いた。彼女はわからないと言う。知っていることはただ、自分たちは皆ドイツ内に連れもどされるだろうということだけなのだ。それから、驚いたことに彼女はこうつけくわえた。『ロシア人は決して私たちをつかまえないでしょう。フューラーは決してそんなことをさせておきません。それよりむしろ私たちをガスで殺してくださるでしょう。』私はそっと周囲を見まわした。しかしこの言葉を奇妙だと思ったらしい人は一人としていなかった。」この物語は対外の実話と同じく何か物足りなく感じられる。ほかの誰かの声が−−できれば女の声が−−重苦しい溜息とともにこう答えねばならぬところだ。「それなのにそのガスを、高価なガスをそんあユダヤ人のために使ってしまったなんて!」

 国全体が狂気のなかにあったような...。アーレントのダメ押しも凄いが...。
 次にユダヤ人問題の最終的解決(絶滅)について決めたヴァンゼー会議について...

 ヴァンゼー会議の目的は最終的解決の遂行に目指してあらゆる努力を調整することであった。論議はまず、半ユダヤ人や四分の一ユダヤ人の取扱−−彼らを殺すべきか断種すべきか?−−というような<面倒な法律的問題>をめぐっておこなわれた。それにつづいて、<問題解決のいろいろな型>−−それはいろいろな殺害方法ということだが−−についての率直な討議が重ねられ、ここでもまた<参加者の心からの同意>という以上のものが寄せられた。

 恐ろしい風景だなあ。人殺しの相談が、普通の役所の事務処理として語られ、処理されていく様を想像すると、ぞっとする。みんな有能な官僚だったのだろうなあ。で、こんな話...

 法律専門家たちは犠牲者の国籍を奪うのに必要な立法措置を講じたが、このことは二つの点で重要だった。第一に、無国籍にしておけばどこかの国が彼らの運命がどうなったかを調べることはできなくなる。第二に、そのユダヤ人たちの居住国に彼らの財産を没収する権利が生ずる。大蔵省とドイツ中央銀行は全ヨーロッパからの膨大な掠奪財産−−時計や金歯をも含む−−を受取る機関を設け、これらのものはすべて中央銀行で分類され、それからプロイセン造幣局に送られていた。運輸省は車両不足の甚だしかった時期でも移送に必要な車輌−−大抵は貨車だった−−を提供し、移送列車の運行時間が他のダイヤとぶつからぬように調整した。ユダヤ人評議会はアイヒマンもしくは彼の部下から、各列車を満たすに必要な人数を知らされ、それに従って移送ユダヤ人のリストを作成した。(後略)

 組織的な大量殺戮には大量の事務作業があり、そのワークフローをつくったのだなあ。エリート官僚たちが持てる才能を、こうした面でも使ったのだなあ。その中では、アイヒマンはこんなことを感じていたという。

 アイヒマンにとってこの会議の日は忘れがたいものとなったについては、別の理由も一つあった。彼は最終的解決に協力するためにこれまで最善をつくして来たけれども、<暴力によるこのような血なまぐさい解決>についてのいくらかの疑念が彼の心にひそんでいた。その疑念が今晴れたのだ。「今やこのヴァンゼー会議で当時の一番偉い人々が、第三帝国の法王たちが発言したのだ。」ヒットラーだけでなく、ハイトリッヒや<スフィンクス>ミラーだけでなく、SSや党だけでなく、伝統を誇る国家官僚のエリットたちまでもがこの<血なまぐさい>問題において先頭に立とうと競い合っているのを、彼は今その目で見その耳で聞くことができたのだった。「あのとき私はピラトの味わったような気持ちを感じた。自分には全然罪はないと感じたからだ。

 うーん。エリートがいいと言っていれば、組織で反対する人がいなければ、おかしい、いけないと感じていながらも、良心は消えてしまうのかあ。怖いなあ。そう流されそうで、怖い。
 まだ考えを整理できていないので、ただただ長い雑駁な読書メモとなってしまったが、組織と個人、歴史と人間、集団的狂気と良心、戦争犯罪、戦争裁判、悪の陳腐さ、いろいろなことを考えさせられる。それが現代の日本にどんな意味を持つのかについても...。