新渡戸稲造 『真の愛国心』

 青空文庫を散策していたら、『武士道』の新渡戸稲造が書いた「愛国心」に関するエッセイを発見する(アマゾンのKindle版もある)。新渡戸稲造国際連盟事務次長も務めた国際的なエリートだったわけだが、その人がどのように愛国心を語っているのか、興味があった。最近、愛国心教育を強化しようとする動きが盛んだが、いくつか、心に残ったところを引用すると...

他国人の長所を見るにつけても、自分の短所が一層明《あきらか》になると思う。かくいうたならば、あるいは謙遜《けんそん》に過ぎて卑屈になる恐《おそれ》もありとするものもあるであろうが、仮りに僕自身は個人としてこの過《あやまち》があるとしても、国民全体はなかなか謙遜の態度を執《と》る恐もないから、僕は寧《むし》ろ我国民性に如何《いか》なる欠点あるかを省るのが国を偉大にする一の方法でないかと思う。言葉を換えて言えば反省、自己の過を知ること、己の短所を自覚すること、これが大《おおい》に伸びんとする前に大に屈せねばならぬという訓《おしえ》に適《かな》うことで、これがなければ国民は慢心するのみである。慢心は亡国の最大原因である。

 いまだと、自国の過ち、短所を語ることは、自虐史観とか、売国奴とか言われてしまいそうだが、国を愛し、より良くするために慢心を恐れ、絶えず自らを省みる。かつて日本人は自分に厳しすぎるといわれた時代があったけど、この文章を読むと、それは日本人の中にある美点の一つであり、それが明治維新と敗戦からの復興の原動力だったような気もする。
 それと、こんな部分...

彼(注:予言者)はその国を愛するためにその国の短所を指摘して、彼らの執《と》るべき道を教えかつ彼らを導いてくれたのである。ただ惜むらくは予言者は自国に名誉を得ない、とかく彼らはいわゆる愛国者のために排斥せられ迫害され、その予言の的中するまでは無視され勝《がち》なものである。けれどもこういう人があって始めて国家は偉くなるものと思う。自分の一身を顧みず、道のために動く人がなければ、国は愛国者と称するデマゴーグの口に乗せられて、国運の傾くのを寧《むし》ろ助けるような始末になる虞《おそれ》がある。

 この文章は1925年(大正14年)のものだが、「愛国者」と声高に自称する人の怖さは、いつの世でも変わらないのだなあ。本当に国を愛するということは何か、ということだなあ。
 そして偽物の愛国心とは...

自分の政府の為《な》したことは、何事にもあれこれであるが如く認め、これに賛同しこれを助けることが果して真の愛国心であろうか。理非曲直の標準は一国に止まるものでなく、人類一般に共通するものである以上、寧ろ是《ぜ》は是《ぜ》、非は非と明《あきらか》に判断し、国が南であれ北であれ、はたまた東であれ西であれ、正義人道に適《かな》うことを重んずるのが真の愛国心であって、他国の領土を掠《かす》め取り、他人を讒謗《ざんぼう》して自分のみが優等なるものとするは憂国でもなければ愛国でもないと僕は信じている。

 国際人だったのだなあ。これが大正デモクラシーの精神でもあるのだろうか。NHKの某会長に読ませたいような...。
 こんな一節も...

我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少い。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞《おそれ》る。

 この新渡戸稲造の「虞」が昭和の時代には現実になり、国土を廃墟としてしまったのだなあ。

世界の各国が一国を判断する時には、その言うこと為すことの是非曲直を以て判断する、あるいはその代表者が如何なる言を発したか、如何なる行動を執《と》ったかによりて判断する、またある国が卑劣であり、姑息《こそく》であり、陰険であり、または馬鹿げたことをすれば、それは直《ただち》に世界に知れ渡るのである。従《したがっ》てある国が世界のため、人道のために如何なる貢献をなしたかは、その国を重くしその威厳を増す理由となる。国がその位地を高めるものは人類一般即ち世界文明のために何を貢献するかという所に帰着する傾向が著しくなりつつある。

 これは理想主義だという人もいるかもしれない。世界の政治はパワー・ポリティックスだと。しかし、明治・大正期に日本を世界の列強へと成長させていった背景には、こうした高貴な精神、理想主義の力もあったのではないか。それは戦後復興期も同じだったのかもしれない。
 そして、世界が「力」で動いているのと同様に、ここで語られていることもまた事実なのではないか。倫理は国際社会の中での判断基準として生きているのではないか。だから、マンデラは世界中で尊敬されているし、北欧諸国は一目置かれている。ロシアのプーチンはいかに栄華を誇っても、欧米諸国の首脳陣はソチ・オリンピックの開会式には参加しないし、国際社会で尊敬されてもいない。中国も経済力は注目されながら、人道問題があるかぎり、一流国とはみなされない。そして今の日本は...。うーん。新渡戸稲造に対して胸を張って「ご心配なく」とは言えないなあ...。「国の代表者がいかなる言を発したか、いかなる行動をとったか」かあ...。政治家には品格がなければいけないということだろうなあ。
 政府は愛国心教育を強化する方針らしいが、だとしたら、現場の先生たちは、世界に「武士道」の名を知らしめた新渡戸稲造のこの本をテキストにしたら、いいんじゃないだろうか。そしてクラスでディスカッションすれば。本当に国を愛し、行動するという意味を考えるきっかけを与えてくれる本だから。
 ウィキペディアで見て知ったのだが、新渡戸稲造は、日本が国際連盟を脱退した年に死去している。「真の愛国心」を持った新渡戸は、日本では右翼やメディアに攻撃され、一方、米国では日本の軍部の代弁者と批判を浴びていたという。本人も、いわゆる愛国者のために排斥され迫害され、海外の友人も失ったのか。それも考えると、この本は重いなあ。新渡戸の国を愛し、憂うる気持ちは昭和には通用しなかったのだなあ。せめて平成にはムダにしないように...。
新渡戸稲造「真の愛国心」(青空文庫 => http://www.aozora.gr.jp/cards/000718/card50529.html
武士道 (岩波文庫 青118-1) 現代語訳 武士道 (ちくま新書) Bushido, the Soul of Japan (English Edition)