町田徹『行人坂の魔物』

 それぞれの土地には、いろいろな歴史や伝承があるが、目黒駅から雅叙園にくだっていく行人坂は目黒雅叙園やアルコタワーに行く時に何度も通ったことがあるが、これほど数々の物語に彩られた土地とは知らなかった。副題に<みずほ銀行とハゲタカ・ファンドに取り憑いた「呪縛」>とあるように、メーンはハゲタカ・ファンドの「ローンスター」が雅叙園の破綻債権を買い取ったことに始まる雅叙園創業家との攻防と、再建計画が気泡に瀕しかけているローンスターに資金を供給したみずほ銀行のルポなのだが、そこに至るまで江戸時代からの行人坂の悲劇の数々がまた興味深い。権之助坂の由来、八百屋お七、明和の大火、明治に至ってからの土地問題、日本に通信社をつくろうとして全資産を投じた人、雅叙園の勃興と没落、雅叙園観光の内紛と買い占め、日本ドリームランド事件、イトマン住友銀行事件−−確かに行人坂には魔物が棲んでいるのではないかと思えてくる。
 そして本題のローンスターをめぐる事件。こちらは事実は小説よりもドラマチックというか、「半沢直樹」「ハゲタカ」を思わせるような展開。創業一族の内紛、銀行・ファンドの裏切り、そして創業家の助っ人が登場しハゲタカ・ファンドに一泡吹かせる−−一連の事件に巻き込まれた当事者たちにとっては大変な話で、ハゲタカ・ファンドにまさに身ぐるみ剥がれたようになってしまう人も出て来るのだから、面白がって読んでいては失礼なのだが、経済小説を読んでいるような感じがしてくる(銀行には半沢直樹のような人はいないし、話は現在進行形でもあるが)。一方で、この土地をめぐっては、バブル期を含め大手銀行は何度も焦げ付き、事件に巻き込まれているわけで、その学習効果のなさにも驚く。ある大企業の役員さんが「失敗した人を切ってしまって、それでおしまいにしてしまうと、失敗の経験が蓄積されずに、何度も同じ失敗をすることになってしまうんだよね」と言っていたのを思い出した。
 この本、東京の歴史を知る上でも面白いし、ハゲタカ・ファンドや銀行の行動様式を知る上でも参考になる。企業の興亡、特に同族経営の継承の難しさなどを学ぶこともできる。さらに金融機関だけでなく、企業で投融資、開発プロジェクトを担当している人は、調査がいかに重要かを実感するだろう。間に入った銀行、証券がいかにビッグネームで、格付機関がどんなに良いレーティングをしていても、当てにはならない。それなりの資金を出すのだったら、自分たちで調査しなければならない。当たり前のことだけど、その大切さを教えてくれる本でもある。
 ともあれ、読み始めたら、一気に読んでしまう面白く、刺激的な本でした。
 目次で内容を見ると...

第1章 目黒行人坂の魔物
第2章 目黒雅叙園
第3章 ハゲタカ ローンスター
第4章 ハゲタカの守護神

 この話、目黒雅叙園から始めても良かったのだろうが、その前段として第1章の歴史を入れることで厚みを増している。そして歴史を語ることで、この土地が東京では珍しく分割もされずに、まとまった形で継承され、それがまた百鬼夜行、魑魅魍魎の輩を引き寄せる背景になっていることを教えてくれる。行人坂の魔物は魔女かもしれない。欲に駆られた人々を、その魅力で虜にするのだなあ。