川又一英 『イヴァン雷帝−−ロシアという謎−−』

イヴァン雷帝―ロシアという謎 (新潮選書)

イヴァン雷帝―ロシアという謎 (新潮選書)

イヴァン雷帝 (中公文庫) ウクライナ問題の記事を読んでいるうちに、ロシアを「タタールの軛」から解き放ったというイヴァン雷帝に関心を持つ。最初は、アンリ・トロワイヤの『イヴァン雷帝』を手にとったのだが、講談調の歴史小説で、どうも肌合いが合わず、こちらの評伝に乗り換える。これが正解だった。時代背景についても説明されていて、読みやすかった。ただ、イヴァン雷帝という人物はとらえどころのない怪人。知識人にして敬虔なロシア正教徒でありながら、悪逆非道。日本で言えば、織田信長と同じ時代の人物で、天下統一・領土拡大への意志や性格の激しさや敵に対する苛酷さも似たところがあるが、もっとずっと暗く陰鬱。これがロシアなのだろうか。
 ツァー、貴族、教会の3者体制から、ツァーを絶対権力化した中央集権化を進め、ロシアの拡大を図り、タタールから、カザンやいま問題となっているクリミアを奪還し、シベリアなど東方への進出も進めた。このあたりは英雄といえるのだが、その一方で、性格は残虐で、直属の親衛隊を組織、貴族を家族も含めて粛清、敵と見た都市でも虐殺・掠奪、批判した教会の総主教も殺し、教会関係者にも容赦ない。それでいて相次ぐ粛清で国内に人材が枯渇し、戦争に負けるようになると、今度はこれまでの行いを反省し、親衛隊を廃止して、粛清。晩年は、自分が粛清した人間たちを教会に調査、記録させ、祈っていたという。子供の頃から宗教心が厚く、勉強熱心な一方、犬や猫を殺して遊んでいたというから、かなり危ない人物。晩年は実の息子で、後継者の皇太子を一時の激情にかられて(些細な事にキレて)、殺している。
イワン雷帝 [DVD] しかし、このぐらいの人間ではないと、ロシアは収まらないという考えがあるのだろうか。スターリンは、貴族の粛清を途中でやめたことがイヴァン雷帝の失敗とみていたという。この本の冒頭も、エイゼンシュタインが映画「イワン雷帝」の演出についてスターリンからクレームをつけられるところからスタートしている。スターリンとイヴァン雷帝には通じるところがある。祖国防衛戦争で勝利する一方、国内では粛清に次ぐ粛清。血塗られた指導者。軍事的に有用な貴族たちを粛清して、戦争になったとき窮したというイヴァン雷帝の話は、第2次大戦開戦時のスターリン赤軍を思わせる。ロシア的な情景なのだろうか。
 もう一つ、このころのロシアを知って思うのは、ロシアは大陸にあって地続きで外敵に脅かされた国であること。イヴァン雷帝の当時は、北にスウェーデン、西にポーランド、南にタタール、トルコと3つの外敵を持っていたこと。さらに、ロシア正教であることは、カトリックポーランド)も、タタール、トルコ(イスラム)も宗教的に相容れいない存在だった。ロシアが過剰防衛国家となる淵源は、この時代にあったのかもしれない。
 それにしても、イヴァン雷帝スターリン−−同胞を虐殺した世界チャンピオン級の記録を持つ人間が英雄となる国、その風土というのも不思議だなあ。それほど過酷な歴史と風土を持つ国ということなのかどうなのか。サブタイトルにあるように「ロシアという謎」だなあ。
 で、目次で内容を見ると...

序 章 1947年・クレムリン
第1章 書庫伝説
第2章 聖ヴァシリーの堂
第3章 世紀の往復書簡
第4章 非常大権
第5章 せーヴェルの森と白い海
終 章 歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』

 1947年・クレムリンとは、スターリンエイゼンシュタインの「イヴァン雷帝」をめぐる会談の話。これが、この本の入口となる。なかなかうまい導入部。次の書庫伝説とは、クレムリンの地下にイヴァン雷帝の書庫があるという言い伝え。その書庫には、ビザンティン帝国時代の古写本が大量に保存されていたという「薔薇の名前」というか、インディ・ジョーンズというか、そんな世界を思わせる伝説。それなりに根拠はあり、何度か発掘作業が試みられたが、見つかっていないという。いずれにせよ、書庫は知識の宝庫であり、これがイヴァン雷帝の強さの一つでもあったらしい。
 で、印象に残ったところの抜き書きをいくつか。

 コンスタンティノープル陥落はビザンティン帝国の衰退とオスマン・トルコ帝国の台頭という歴史の必然である。しかし、ロシア人はそうはとらなかった。ギリシャ人は正しい信仰を捨て、ローマの異端に歩み寄った。ビザンティン帝国の滅亡は、背教に対する神の審きにほかならない−−。(略)ビザンティン帝国亡きあと、モスクワ大公国こそが名実共に正教を報じる最大の国家になっていた。その自負から生まれたのが、
−−ロシアこそが汚れなき正教の魂を保持する唯一の国家である。
というフィロフェイ*1の主張であった。この黙示録的ヴィジョンの中核にあるメシア意識は、のちに「モスクワ=第三ローマ論」と呼ばれるようになる。そして、ロシア人の心性深くに刻み込まれた。

 うーん。こうした思想がロシア人の中にあったのか。
 もう一つ、ロシアの歴史...

 キーエフ・ロシアと呼ばれる初めてのロシア国家を生んだのも、そうした大河の一つ、ドニエプル川であった。「ヴァリャーギからギリシャへの道」としてさかえたドニエプル川中流域のキーエフに、古代ロシア国家=ルーシが誕生するのは9世紀のことだ。しかし、ロシア揺籃の地も内訌と遊牧民ポロベツ人の圧力で弱まり、13世紀にはタタール人の支配下に入る。ルーシの地は2世紀半の歳月を経て「タタールの軛」から解き放たれるが、キーエフを中心とするウクライナ一帯は続いてリトアニア及びポーランドに占領・編入された。「父なるドニエプル川」はもはやルーシを潤すものではなくなった。

 ロシアには「母なるヴォルガ」の他に、父なる川があったのだ。今はウクライナだけど。複雑な歴史を持つ地域だなあ。
 イヴァン雷帝の親衛隊のファッションについて...

 隊員は金刺繍をほどこし、黒貂毛皮の縫いつけられた黒服を着用し、同じく黒の外套をまとった。雷帝も同じく黒衣で、胸には大きな気の十字架を下げた。

 イタリア・ファシズムの黒シャツ隊か。ナチス親衛隊(SS)の軍服も黒だったような。恐怖の使者は衣装も恐怖をデザインするのだろうか。こんな昔から。
 ロシアとポーランドの関係...

 スラヴ民族誕生の地は今日のポーランド、ベロルシア、北西ウクライナにまたがる一帯と考えられている。ロシアとポーランドは同じスラヴ民族に属するが、互いに国境を接し、正教とカトリックという宗教対立を抱えるだけに、近親憎悪も根深いものがあった。

 ポーランドカトリックなのは知っていたが、それがロシアと宗教対立を起こしていたとは思い至らなかった。
 イヴァン雷帝時代の地政学的状況...

 ロシアは頭上をスウェーデンデンマークに押さえつけられ、リトアニアポーランドに西のウクライナを奪われ、南にはトルコを後ろ盾としたタタール諸族が隙を狙っていた。いずれも和戦両様の構えを取り続けてはきたが、いつ破綻をきたさないとも限らない。

 まさに四面楚歌状況にあったのだな。三面だけど。いまは平和国家といえば、スウェーデンだけど、この時代は猛々しい国だったのだな。ともあれ、こうした時代の記憶がロシアに過剰防衛といってもいい危機意識をつくっていったのだな。で、イヴァン雷帝であろうと、スターリンであろうと、強力な守護者を待望する空気を生むのかも。で、イヴァン雷帝は、こうした状況を打破するために、英国と同盟関係を結ぼうとするのだが(エリザベス一世と結婚しようとしたり)、英国は英国らしい老獪さで、欲しいのはロシアとの交易権だけで、軍事的関係からはノラリクラリと逃げてしまう。さすがの雷帝も英国には子供扱いされてしまう。辺境の田舎国家扱いなんだなあ。大西洋からみれば。
 ともあれ、日本的な発想からは逸脱したような人物。しかし、イヴァン雷帝スターリン、似たような人物に思える。ロシア的な支配者は、どこかで似てくるのだろうか。国民にまで多くの災危を振りまきながら、ある種、今でも「英雄」となってしまうのは、国民性のどこかに触れるものがあるのだろうか。ここまで冷酷にならないと、周囲を外敵に囲まれた国は生き残ることができないと思っているのだろうか。読みながら、いろいろと考えてしまう。そして、ビザンティン帝国オスマン・トルコについても関心が広がってくる。

*1:16世紀初頭のプスコフの修道院