ディエゴ・トーレス『モウリーニョvsレアル・マドリー「三年戦争」』

モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」 明かされなかったロッカールームの証言

モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」 明かされなかったロッカールームの証言

 2010年から2013年までレアル・マドリードの監督を務めたモウリーニョ監督。1年目は宿敵バロセロナに粉砕されたももの、2年目はリーグ優勝し、一矢を報いた。しかし、3年目はスペイン・リーグ(リーガ・エスパニョーラ)、コパ・デル・レイ(国王杯)、チャンピオンズリーグと無冠に終わり、成績も低迷。もともと、マドリードバルセロナカタルーニャ)の地域紛争を煽るような挑発的な言動で顰蹙を買ったりしていたが、それが主力選手との軋轢がメディアに報じられ、負けが込むと、ホームでもサポーターからブーイングを浴びるなど、ピッチ外のことが大きな話題となり、最後はプレミアリーグチェルシーに復帰するという結末になったものの、印象としては満身創痍になっての解任(あるいはチーム崩壊の引責辞任)というイメージだった。
 そんなモウリーニョの3年間を描いたノンフィクション。筆者はスペインの新聞記者で、調査報道を得意にする。一連のレアル・マドリード内の監督と選手の不和を報じていた一人だろう。モウリーニョバルセロナグアルディオラに挑んだ3年間は比較的よくリーガ・エスパニョーラを見ていたので、あのとき、試合の裏側で、こんなことが起きていたのか、と思う。そして、語られていることは事実なのだろうな、と思うリアリティがある。
 選手を守るためにメディアに対して挑戦的な態度をとっていると語っていた裏側で実際は何があったのか。審判批判の多い人だったが、それは自己保身のためで、選手たちは実は審判の責任にすることを嫌っていたとか、興味は付きない。地域対立を煽るような発言についても、マドリード(スペイン)とカタルーニャの選手たちが歴史的な民族問題を超えてようやく一体になったスペインチームがワールドカップを制したことを知っている主力選手たちは批判的に見ていたとか、なるほどな、と思う。スペインチームのキャプテンであり、ただただサッカーを愛するカシージャスとの対立は必然だったのかもしれない。
The Economist [UK] June 13, 2014 (単号) そして、モウリーニョと選手たちとの対立の原因は、サッカーの戦術的な問題や攻撃的で品位のない言動だけではなかったことが、個の本では明かされる。それはポルトガルの大物代理人、メンデスとの親密な関係。英国の雑誌「エコノミスト」がサッカーの特集に「美しいゲーム、醜いビジネス」(Beautifu Game, Ugly Business)というタイトルをつけていたが、ゲームだけではなく、ビジネス(カネ)でも汚かったことがチームの不和をさらに悪化させていたようだ。選手の起用についても、メンデスが巨額の移籍金で連れてきた中心になっているのではないか、依怙贔屓されていると選手たちが感じて、さらにチームをバラバラにしていく。モウリーニョが来てから、練習場は家族を含めて原則、部外者立ち入り禁止になりながら、メンデスだけが出入り自由だったという。これを読むと、モウリーニョ批判について、選手、家族、代理人など、この二人の関係を不快と思う人たちから情報は取り放題だったな、と思う。
 読んでいると、モウリーニョは、こんな人だったのか、と思う一方、こういう人って、会社でもいるよな、と思う。特に、能力主義を標榜するようになってからの会社。自己PRが得意で、成功は自分のもの、失敗は誰かの責任。失敗に備えて予防線を張りまくる。そして自分が批判される前に人を批判する。部下には批判を許さず、そればかりか、自分と同じように人の責任を追及するのに同調するように迫る。「半沢直樹」に出て来る悪役側の人物といったらいいのか。
 もっとも、モウリーニョチェルシーインテルでも国内リーグ、チャンピオンズリーグともに制覇してきた監督なので、サッカーの能力面での評価については厳しすぎる気はする。ただ、こちらは、むしろ、スペイン人は世界の超一流選手を集めたビッグクラブが堅守カウンターで勝ったところで、何の評価もしないのだな、と思う。ビッグクラブに対して他のクラブが一発逆転を賭けて、堅守カウンターを狙うのはいいとして、100億円とか何十億円とかいう契約金をとるような選手を揃えたクラブが引き分け狙いなどということは、恥を知れ、といった感じ。そこまでして勝つのは、セコさであって、美しさとは無縁の世界と思うようだ。クライフもずいぶん、モウリーニョを批判していたが、それはビッグクラブの選手たちの心情でもある様子。
 ともあれ、これが選手たちから見たモウリーニョだったのだなあ、と思う。欧州では話題になった本らしいが、それもわかる。モウリーニョは屈折した人なのだなあ。ともあれ、上昇志向が強くて、夢はマンチェスター・ユナイテッドの監督らしいが、試合の混乱に乗じて相手チームのコーチに目突き攻撃するような監督を選ぶようなことはしなかった。ビッグクラブはブランドだから。モウリーニョは、ファーガソン監督の後任がモイーズだと聞いて泣いたという。その点、因果応報でもある。
 モウリーニョはサッカーの選手としては成功しなかった。コーチとして花開いた人で、失意の選手を再生させるのは得意だと、この本の中でも紹介されている。一方で、その経歴が、どこかサッカー選手を見下すような面を生むことになっているとみている。サッカーが出来るだけで知性はないとバカにしているところがあると。選手がスターになることに我慢できない。主役は自分で、選手が取材を受けることを拒否するのも、選手を守るというよりも、自己PRのための作戦とみている。
 クリスティアーノ・ロナウドカシージャスセルヒオ・ラモスエジルシャビ・アロンソ、マルセロなど有名選手が次々と登場する。ロナウドイニエスタの紹介でメッシと会い、意気投合していたというところを読むと、超然とした感じがするが、実際はサッカーを愛する好漢なのだなと思う。チーム内の問題にも超然として、同じポルトガル人でもモウリーニョにつくわけでもない。代理人がメンデスではないエジルやマルセロはモウリーニョたちの私利私欲に翻弄される存在として描かれている。そして、モウリーニョ−メンデス・ラインが連れてきたコエントラン、ディ・マリアには厳しい。
 でも、読み終わってみると、この混乱を招いた最大の悪は、レアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスに見えてくる。ともあれ、バルセロナに勝つために、問題がいろいろあると知りながら、モウリーニョを招聘し、その後のチームの混乱にも目をつぶり、勝てなくなれば、「円満退団」の形で切って捨てる。この本によると、イグアインエジルなどの放出は、モウリーニョに批判的だったことに対する報復と見ている。チームの混乱にもかかわらず、モウリーニョを支持したのは、批判すれば、招聘した自分の責任になるため、という見立て。結局、会長の座を守ることが全ての中心にある。
 レアル・マドリードというクラブを見ても、サッカーは「Beautiful Game, Ugly Business」なんだなあ。
【メモの追記】
 目次で内容を紹介すると、こんな感じ...

第1章 号泣
     潰えたファーガソンの後継者という夢
第2章 噴火
     モウリーニョが会長に愛された理由
第3章 市場
     影のボス、代理人メンデスとの二人三脚
第4章 喧嘩
     やられたらやり返せ! 場外乱闘の日常
第5章 屈辱
     5−0で迷走した戦術、歪んだ人間関係
第6章 恐怖
     広がる不信、分裂する選手、最初の反乱
第7章 ”負ける準備をしておけ”
     対バルセロナ。信じがたい命令の真意
第8章 反逆
     目潰し事件と審判批判。カシージャス決起
第9章 勝利
     リーガ優勝。罵倒で力を引き出す人心掌握術
第10章 悲鳴
     Rマドリー脱出計画開始。ロナウドとの決別
第11章 非現実
     「友好的な別れ」の嘘。会長の密約と裏切り
第12章 ブルー
     13−14シーズンにくすぶる戦後処理

 目次だけ読んでも面白そうです。
 で、印象的なところをいくつか抜き書きすると...

 情報が安心感に繋がるのなら、情報の不在は疑念や恐怖やパニックを引き起こす。モウリーニョは「サッカー選手は住む世界が狭く、取るに足らない仕事に関する危険性を大袈裟に受け取りがちで、チーム内でしか自分の存在価値を見いだせないことを熟知していた。そして阻害されるという恐怖心が心理的なスイッチを入れる最も効率的な燃料であることもわかっていた。人を操るために彼は情報操作を芸術の域まで高めた。それはロッカールーム内だけではない。クラブにコミュニケーションの方向性を管理するよう、選手がメディアに対してしゃべる内容をコントロールするよう、組織を代表するスポークスマンを置くように要求した。ロッカールーム内での彼の態度は両極端に分かれた。友情か、無関心かだ。ある選手を日常会話の相手である友人のように扱い、ある選手を冷淡で無気力に扱った。カカーのように数カ月、尊敬をもって扱った後、突然、挨拶すらしなくなった選手もいた。予告なくおはようの声もかけなくなった。カカーはその理由を知らず、他の選手達はカカーに起こるのなら自分にも起こり得ると考えた。

 怖い人だなあ。心を操る人...。

 選手たちの一部には、モウリーニョが攻撃と守備のコンセプトの一部を教えようとしないのは無知だからではないかと疑う者もいた。しかし監督は攻撃の練習の単調さを心配しているふうではなかった。自分のストロングポイント、成功はプランの簡単によるものだと信じていた。複雑なポジショニング、止まった状態での崩しのメニューを加えることは消化不良を起こすと考えた。しかも、それらは彼に名声をもたらしたものとは違う。彼はどんな国でもすぐに結果を出すことで、栄光と富を手に入れたのである。これまでは以下のような彼の美徳のミックスだけで十分だった。相手の弱点を見抜く鋭い嗅覚、守備を整備しカウンターを組織する能力、メッセージを浸透させ心理的に共感させる説得力である。このメッソドにはサッカー的には欠けている部分がある代わりに、素早い適応と効率性に優れていた。

 評価しているんだか、バカにしているんだか、ちょっとわからないようなところ。スペインのサッカー、とりわけレアル・マドリードのような伝統あるビッグクラブでサポーターをうならせるサッカーはそんな単純な話は通用しないということか。
 モウリーニョはレアルの監督をしているとき、しきりに審判はグアルディオラバルセロナの贔屓をしていると批判していたが、それに対して、こんな数字...

 2010年から2013年までの2強へのジャッジを分析すると、モウリーニョが恐れていたこと(本当に恐れていたかはわからないが)は事実無根であることがわかる。特に11−12シーズンははっきりしている。このシーズン中の退場者はRマドリーが5人でバルセロナが4人。バルセロナに有利なデータはこれだけだ。Rマドリーに与えられたPKは14回、対戦相手に与えられたのは1回だけ。バルセロナは同4回と同11回。さらにRマドリーの対戦相手の14人が退場になったが、バルセロナは8人だけ。3シーズンのトータルで与えられたPKはRマドリーが34回でバルセロナは21回。バルセロナは敵陣でボールを持っている時間がより長いのにこの数字である。

 うーん。審判への言いがかりだったんだ。そして、こうしたデータの指摘の後に、こんな文章が続く...

 選手たちはこれらの数字を知っていた。加えて、監督が起こした騒ぎには参加しないことを決めていた。

 うーん、うーん。チーム崩壊だな。というか、クラブのプライドを監督が壊しているようなものだったんだなあ。
 戦術面でも、こんな話が...

 就任から2年、モウリーニョはスペースのない局面で得点を狙うチームへの解決策を与えることができなかった。ボールを保持して試合をコントロールすることの困難さ、引かれた相手に対して手詰まりになってしまう点について、ビジャレアル戦の後、選手の間で話し合いが行われた。声をかけたのはX・アロンソ、S・ラモス、カシージャスアルベロアイグアインだった。監督に解決してもらえそうにないので、彼ら自身で解決策を探すつもりだった。FWへの前に残って下がるなという指示を無視し、陣容をコンパクトに保つ、FWが左右に流れてサイドで数的優位を作るなどのアイディアが提案された。

 智将というモウリーニョのイメージが崩れてくるなあ。
 次にサッカー番組でも紹介されていたモウリーニョ戦術のエッセンスというもの...

 「これはボールロストの試合だ」という言葉には次の戒めが込められていた。①試合に勝つのはミスをしない者だ。②ぶつかり合いは相手のミスを誘った者が優位に立つ、③アウェイでは相手を打ち負かそうとせず、ミスを誘うようにせよ、④ボールを持つ者はミスをする、⑤ボールを諦めた者が相手のミスを誘う、⑥ボールを持った者は脅えている、⑦ボールを持たない者は強くなる−−。これらの教理はスペインを2008年と2012年のEURO連覇、2010年のW杯制覇に導いたもの、大部分のリーガのチームが教え説いているものと正反対だった。Rマドリーの選手の大半が本当に信じているものに反していた。

 うーん。この教理、美しくないが、勝つサッカーの方法論という感じもするんだが、スペインの教理とは反していたのだな。まさに神学論争で、モウリーニョはスペイン・サッカー界にあっては邪教の徒、異端の人だったのだなあ。モウリーニョバルセロナを攻撃すると、それはスペイン代表チームを攻撃することになってしまうという構図でもあったのだな。当然、カシージャスセルヒオ・ラモスと対立することになる。審判批判やパワハラ的な心理操縦といった人格面、特定の代理人との癒着といった金銭面だけでなく、サッカーの在り方をめぐる思想対立まであったのだから、根深いなあ。前者の問題については、こんな記述がある。

 カルバハルではなくアルベロアを、S・ラモスの代わりにぺぺやカルバーリョを、マルセロの代わりにコエントランを使うことは、モウリーニョの〝戦略〟に通じていなければ簡単には理解できなかったろう。攻撃にはDFは参加しないという考えでない限り、サッカー的な意味に欠けている。しかし、相手に心理的な圧迫を与えたり、忠誠心のある者でチームを構成することの方が、技術のある者を集めるよりもいいと考えているとすると、視野が開けてくる。さらに、監督がチームの必要性よりも商業的な利益を優先する代理人と一緒に働いていると知れば、納得がいく。

 もうグジャグジャだなあ。スペインはブラジル大会でグループリーグ敗退となってしまったが、前回大会のあと、2010年から2013年という3分の1が、レアル・マドリードの内部崩壊という不毛な期間に費やされてしまった。バルセロナとレアルの対立も煽られた。クラシコは殺伐とし、これでは、スペイン・サッカーが壊れるという批判もあった。実際、スペイン・サッカー失速の一因は、モウリーニョの3年にあったのかもしれないなあ。主力選手たちが。サッカーよりも“政治”に消耗してしまった。そんなことも改めて考えてしまう本でした。