スティーブ・ジョブズ 1995 失われたインタビュー

 スティーブ・ジョブズが死に体となっていたアップルに復帰する前年、NEXTのCEO時代のインタビュー。WOWOWで見たのだが、これが面白かった。改めてビジョナリーだったのだな、と思う。そして、アップルを追われたことは、ジョブズを一回り大きくしたのかもしれない。インタビューの中で、アップル追放劇について聞かれた際、ジョン・スカリーを批判するのは当然として、当時の自分はまだ若すぎて、経営する力量がなかったと言っていたのは意外だった。もっと自信過剰の傍若無人な人かと思っていた。質問にも時として考えこんで、言葉を選ぶ時があり、思っていた以上に知的な人だったのだなあ。
 ジョブズは、どちからというと、マーケティングよりな人かと思っていたら、技術に深い知識と敬意を抱いていた。一緒にいたら、疲れてしまうような付き合うのが難しい天才たちを集め、その天才たちを鼓舞、指導しながら、新しい製品を創造していった。天才の力をフルに発揮させる天才だったのかもしれない。アイデアを思いつくまではできても、それをさらに発展させ、磨き上げ、現実のものとしていくことは別の話だともわかる。
 そして、創造的と言われた企業が、営業やマーケティングの人たちに支配され、製造部門が端に追いやられた結果、製品に魂はなくなり、衰退していくというような話をする。だから、製造部門が主役と成る会社を作りたかったと。この話、当時のスカリー率いるアップルのことを思い浮かべているのかもしれないが、ソニーをはじめとした日本のメーカーの姿も重なってくる。シリコンバレーベンチャーというのは、エンジニアが企業のリーダーシップを握り、幸福になる運動だったのかもしれない。反対に、日本のエレクトロニクス・メーカーの衰退は、文系経営者のマネジメント能力の欠如のなせる技かとも思う。20年近く前のインタビューなのに、今につながる問題が見えてくる。
 そういえば、先日、米国西海岸のベンチャーを見てきた人の話を聞いていたら、20代で起業を目指す若者たちに理系が多いという。優勝な理工系の人材は、日本だと、NTTやら、どこやら、大手のメーカーを目指す学生が多いけど、向こうは自分で起業を考えるんだよね、という話だった。そのあたり、エンジニアが幸福になる仕組みをジョブズたちが作ったのかもしれない−−などとも、インタビューを見ながら、考えてしまった。
 10年後の注目は何かといわれて、ジョブズは迷うことなく、インターネットとウェブを挙げいていた。1995年といえば、Windows95が登場した年であり、ウェブブラウザーの先駆者であるネットスケープが株式を公開した年。インターネットが注目を浴び始めた時であったが、ジョブズは既に、その未来を確信していたのだなあ。NEXTは小さな会社だったので、もう自分はメインプレーヤーではないけどね、というような話もしていたが、その1年後にアップルに戻り、あの奇跡の復活劇を演じるのだなあ。その意味でも、なかなか刺激的で、面白いインタビュー。アップルII、マックの開発、マイクロソフトIBMなど、シリコンバレーの歴史を知るうえでも興味が尽きない。
 最後にインタビュアーから「あなたはナード(オタク)かヒッピーか」と聞かれたジョブズが、すぐさまヒッピーと答えていたのも面白かった。
 このインタビュー、書籍化もされている様子。
ロスト・インタビュー スティーブ・ジョブズ 1995

ロスト・インタビュー スティーブ・ジョブズ 1995

 で、YouTubeには、このインタビューがあった。日本語字幕はないけど。若いころのジョブズって、ジョン・レノン風だなあ。

 このインタビュー、構成・プレゼンターとして、ロバート・X・クリンジリーの名前がある。クリンジリーがインタビュアーだったのか。クリンジリーには、黎明期のシリコンバレーを描いた『コンピュータ帝国の興亡』という傑作ノンフィクションがある。
コンピュータ帝国の興亡―覇者たちの神話と内幕〈上〉 (Ascii books)

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コンピュータ帝国の興亡―覇者たちの神話と内幕〈下〉 (Ascii books)

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