第2次世界大戦中、連合軍による大規模な空爆を受けてから70年となったドイツ東部のドレスデンでは13日、追悼式が行われ、参列者は戦争の悲惨さを改めてかみしめました。ドイツ東部のドレスデンでは、第2次大戦末期、連合軍による大規模な空爆を受けて町の大半が廃虚となり、数万人が犠牲になったとされています。13日、空爆から70年となるのに合わせて、市の中心部にある聖母教会では大勢の市民が参列して追悼式が行われました。この教会は、空爆によって崩れ落ち、戦争の破壊行為を示す象徴として戦後も廃虚のまま残されていましたが10年前、かつての敵国、イギリスやフランスを含む各国からの寄付で再建され、和解のシンボルとなっています。
第二次大戦が終わってから70年。様々な追悼式典がある。1月27日はアウシュビッツ収容所解放70年だったが、強制収容所が解放され、ユダヤ人虐殺の惨状が明らかになり、連合軍側も歯止めがなくなってしまった感じがする。ドレスデンに対する24時間爆撃はそれを象徴する事件だった。欧州の古都で、軍事的な重要拠点でもなく、その歴史的な文化遺産からして連合軍は爆撃を避けるものと思われていた。そのため、ソ連の反攻に伴い東部戦線が崩れ、避難民たちはドレスデンに流れ込んでいたという。そこに連合軍は爆撃をかけた。徹底的な24時間爆撃で街を燃やし尽くした。これが東京大空襲、阪神大空襲へとつながっていく。
京都は古都だから空襲から免れたというのも伝説に過ぎないのかもしれない。昔、「フォーリン・アフェアーズ」(だったと思う)を読んでいたら、京都は原爆投下の予定地の一つだったという話が出ていた。軍の中で反対論が出て、候補地から除外されるのだが、それは古都だったからではなく、京都は日本人の心のルーツであり、そこを破壊すると、日本人の反発が強まり、占領政策が難しくなるという政治・統治上の判断とされていた。ドレスデンはソ連はともかく、欧米連合軍は寛容かもしれないというドイツ人の期待を打ち砕き、心を折るためのものだったのだろうか。もし日本が本土決戦まで行くようだったら、京都もわからなかったかもしれないなあ。
ドレスデン爆撃は文学や映画の題材にもなっている。最も有名なのは、これだろうなあ。
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