ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』を読む:21世紀のテクノロジーで中世の国家をつくる?

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

イスラム国 テロリストが国家をつくる時

 時節柄、イスラム国に興味を持って読んだのだが、きわめて刺激的な本だった。著者はテロファイナンスの専門家で、対テロリズムコンサルタントでもある人物。それだけにイスラム国を血に飢えた極悪非道の野卑なテロリスト集団と決めつけるような単純な見方で語るのではなく、なぜ、どのような環境と条件の中で、この組織が生まれ、どのように運営され、拡大し、何を目指しているのかを分析する。その背景には、エジプトに象徴されるように選挙による民主化の動きは軍部に圧殺され、海外諸国がそれぞれの思惑で支援する政府は腐敗を極めているという中東の実態がある。深い絶望のなかで、イスラム国に希望を見出す人々が出てくる。それは中東地域だけでなく、差別と貧困の中で閉塞する欧米在住のイスラム系移民の中にも支持者を生み出す結果になっているという。うーん。そうなんだろうなあ。
イラク建国 「不可能な国家」の原点 (中公新書) 新装版 世に棲む日日 (3) (文春文庫) アルカイダがただ恐怖によって世界を混乱させることだけを目的としているようなのに対し、イスラム国はカリフ制国家をイラクとシリアをまたがる地域につくろうとする。英国とフランスがつくった国境線を否定し、イスラム(正確にはスンニ派ムスリム)の国家をつくることをビジョンとする。それが世界中に散在する閉塞感を持つムスリムにとっては夢を与えるのかもしれない。かつて、パレスチナユダヤ人がイスラエルをつくったように、自分たちにもできるというのかな。テロから国家は生まれるのか。イスラエルも建国の初期段階では対英テロを行っている。日本にしても、明治維新を実現した幕末の志士たちはテロに走っていた時代があったし...。NHKの「花燃ゆ」に出てくる高杉晋作伊藤博文も御殿山の英国公使館を焼き討ちしているわけだし、司馬遼太郎の『世に棲む日日』では、高杉晋作長州藩も革命のためならばテロをも辞さないように描かれている。イスラム国にしてみれば、自分たちも同じ発展段階にあるのだ、という理屈なのかもしれない。
 反抗でも、革命でも、聖地の奪還でもなく、欧米がつくった枠組み(国境線やら支援する政府やら)を無視して、自らの視点で地図に線を引き直し建国するというコンセプト(ビジョン、ミッション)を持ってきたところがイスラム国のイノベーションであり、恐ろしいばかりの力を生み出したのかもしれない。そんなことを読んでいて思う。
 で、目次で内容を見ると、こんな感じ...。

はじめに 中東の地図を塗り替える
序 章 「決算報告書」を持つテロ組織
第1章  誰が「イスラム国」を始めたのか?
第2章  中東バトルロワイヤル
第3章  イスラエル建国と何が違うのか?
第4章  スーパーテロリストの捏造
第5章  建国というジハード
第6章  もともとは近代化をめざす思想だった
第7章  モンゴルに侵略された歴史を利用する
第8章  国家たらんとする意志
終 章 「アラブの春」の失敗と「イスラム国」の成功

 決算報告書をもっているところが変わっているし、マネジメントを感じる。テロの費用対効果まで計算していたらしい。ただ、「建国」というビジョン、コンセプト、ミッションだけで組織が誕生し、成長するわけもなく、そこには環境がある。決定だったのはシリア内戦。これがイスラム国を育むインキュベーターとなったようだ。こんな具合。

シリア内戦は、武装集団に多数の国や組織が金を出す、おなじみの代理戦争の現代版といえる騒乱である。シリアの体制転覆を狙うクウェートカタールサウジアラビアは、多数の武装組織に気前よく資金援助を行っており、「イスラム国」のそうした組織の一つにすぎなかった。ところが「イスラム国」はスポンサーのために戦うことをあっさり放棄し、その資金を使って、シリア東部の油田地帯など収入源となりうる戦略的な地域に本拠地を築いたのである。

 イスラム国をベンチャー企業とすれば、サウジ、カタールなどがエンジェルとなって出資し、離陸を助けたともいえる。この資本をもとに得た石油ビジネスのほか、誘拐ビジネス、密輸ビジネスなどを展開しているという。そして、いまやイスラム国は支援を必要とせず、経済的に自立する基盤を得たという。このあたりの分析はテロ・ファイナンスの専門家らしい。このイスラム国という鬼っ子を生んだシリア情勢というのは複雑で、あとに、こんな解説が出てくる。

シリアでは、イランが主にレバノンシーア派イスラム原理主義ヒズボラを介して、バッシャール・アル・アサド体制を支援している。一方、サウジアラビアクウェートカタールは、中東におけるイランの影響力を弱める目的で、スンニ派反政府勢力に資金を提供している。ここには旧「イラク・レバントのイスラム国」も含まれていた。ところでヒズボラは、パレスチナ紛争で長年ハマスに武器と資金を提供しているが、このハマススンニ派系であり、歴史的にはサウジアラビアに支援されてきたのだ。

 ここまででもかなり、ややこしいが、さらに...

 事態を一段とややこくしくしているのは、ロシアがシリアのアサド体制に武器弾薬を提供する一方で、アメリカが反アサド体制に武器弾薬を提供していることだ。しかも皮肉なことに、「イスラム国」は勝利を収めるたびにその武器を手に入れている。

 この敵味方錯綜した状況は、トルコやクルド人も巻き込み、グチャグチャ。シリアで、いかに内戦が深刻化し、多くの難民が生まれても、各国の思惑入り乱れる無秩序のなかで国連も身動きがとれない。シリアは放置され、イスラム国にとっては楽園となる。そんな状況らしい。米国はNATOなどと有志連合を組んでイスラム国を空爆しているが、イランが攻撃に参加して話題になったことがある。そのときはなぜかと思ったが、これもイランがシーア派で、イスラム国がスンニ派と知ると理由がわかる。米国がイランの参加を喜ぶでもなく、あまり言及しない理由もわかる。シーア派スンニ派の対立が激化すれば、中東は混乱するばかりだから。
 イスラム国はシーア派を敵視、排除する。ロシアを後ろ盾としたシリアのアサド大統領と欧米の支持を得たイラクのマリキ首相という二人のシーア派出身の指導者はいずれも権力を乱用し、民衆を抑圧しており、スンニ派の間には強い敵愾心がある。この対立感情をイスラム国は利用しているという。イスラム国はシーア派を虐殺して、その映像をSNSで流したりしているが、それを見て快哉を叫ぶ人たちがいるということなのだろう。この前、NHK・BSのドキュメンタリー*1を見ていて、そうした感情が生まれるのがわかる気がした。イラクのマリキ政権が民主化を求めるデモ隊を襲撃して虐殺した惨状を記録した映像があるのだが、道路に散乱した死体の数々を見ると、報復と当然と思う人も出てくるのだろう。悲しい話だけど。
 外から見ていると、残酷さ、残忍さばかりが際立つイスラム国だが、腐敗と圧制と戦禍に苦しむ中東の人々にすれば恩恵をもたらしてくれる面もあるらしい。

イスラム国」が制圧した地域の住民は、軍隊がやって来たおかげで村の生活が改善されたと証言している。彼らは道路を舗装し、家を失った人のために食糧配給所を設置し、電力の供給も確保した。これらの事実からすると、21世紀の新しい国家は恐怖と暴力だけでは維持できないことを「イスラム国」は理解しているのだろう。建国には住民のコンセンサスが必要だ、と。

 それなりに住民対策をしているという。そこもアルカイダタリバンと違うところだという。ただし、その裏側で、宗教の自由も女性の人権もない。21世紀のテクノロジーを駆使しつつ、中世の国家をつくろうとしている不思議さがイスラム国にはある。それでも現状よりも平穏をもたらしてくれると思う人々も(地域も)あるのだろうか。それほど現状に絶望している地域なのだろうか。現代に理想は消え、過去に理想を求めるのだろうか。しかし、どうして、あそこまで冷酷、残忍にならなければならないのか。そのあたりの価値観も中世に範をとっているのだろうか。この本ではチンギスハンのモンゴルを参考にしているというけど。
 「イスラム国」は現代に対して様々な問題を投げかけ、考えさせられる。単なるテロ組織ではないようだが、教科書で習ったような近代的で常識的な国家でもない。欧米やイランなど周辺諸国が総力をあげて壊滅させたとして、「ユダヤ人がイスラエルならば、ムスリムイスラム国を」というビジョンまで消滅させることができるのだろうか。ともあれ、刺激的で、考えさせられる1冊。