梅棹忠夫、鶴見俊輔、河合隼雄『丁々発止』

 梅棹忠夫鶴見俊輔河合隼雄の鼎談。憲法、明治、21世紀における民族について、現場主義で固定観念に囚われない梅棹忠夫がどのように考えたのか、知りたくなって、手にとってみた本。目次は、こんな具合。

第1章 日本にとっての20世紀とは
第2章 日本の教育と文化
第3章 日本国憲法と「明治」という時代
第4章 21世紀は国家解体の世紀

 1998年に出版された本だが、第4章など不気味なぐらい現在をあてている。そして、大3章にみられるように、梅棹たちは明治という時代に、いま信じられている歴史や文化がつくられたと思っているのだな、と感じる。ある種、それまでの日本の社会、文化、歴史とは別に、中央集権的な政治のために再構築された虚構があると思っている。
 こうして視点から、生前退位で火が付いた、いまの天皇制をめぐる論争にしても、歴史をどのスパンで観るか、という感じがしてくる。明仁天皇は1000年を超える天皇家の歴史の流れのなかで21世紀を展望し、新しい天皇の役割と、あり方について考えているが、ある種の人たちは明治につくられた天皇制の論理の中で、あるべき天皇を論じているように見える。百数十年の歴史にこだわるのか、千数百年の単位で考えるのか。後者のほうがスケールが大きいが...。
 日本を見る視点を考えさせてくれる、刺激になる鼎談でした。知識を得るということは、本を読むことだけではなくて、現場を歩いてみて、自分の目で見て、一度、自分の頭で考えてみることが大切なのだな。フィールドワークが欠かせないなあ。
 印象に残ったところを抜書きすると...。
 敗戦のときの感想について

梅棹 元気、元気でね。私は「ああ、これで日本の将来は開けた」と思った。それまですべて軍でしょう。日本のすべてが軍事目的に従属して、こんなにおもしろくないことはないですよ。それがいっぺんに解けてしまった。「ああ、もうこれで日本は万々歳だ」と。戦争に敗けるというのは、歴史上いくらでもあることで、べつにしょげ返ることはないんですよ。「これから日本の世紀が来るんだ。万々歳だ」と言って帰ってきた。

 梅棹は敗戦時、中国大陸にいて日本に引き揚げてきたのだが、超ポジティブ。長いスパンで歴史を考えると、こういう心境になるのか。中国の影響かどうか。
 地方の活性化について...

鶴見 梅棹さんは意表を突くようないろいろ言ったんだけれども(笑)、たとえば「お城を尊重すべきだ」と言ったんだよね。これにはびっくりしたね。京大の梅棹さんの話の輪の外へ出れば「お城は封建的なものだ。封建制のシンボルだ。つぶさなきゃ。あんなところにカネを遣うのか」と言うし、梅棹さんは「お城を復興するのは、その土地の地域の復興、独立の象徴になる」と言うんだ。
(略)
 それからね、その当時、駅弁大学というのがあって非常に軽蔑していた。しかし「駅弁大学がいいんだ」と梅棹さんは言うんだ。その地方でいろんな人たちの交流のもとになる。これは、その当時のアメリカの圧力でつくったんだけど、実は21世紀に向かって目標にすべきことなんですね。(略)
 お城がシンボルとして、駅弁大学が力をもってくる。そうすればその土地に住む人たちとの交流が始まるから、それこそが実は21世紀の指標になる。そういうことが未来の目標なんです。

 町おこしだ、地域振興だと今も騒いでいるが、「お城」と「地方大学」、これは確かにキーだなあ。前者は観光資源として再評価されているが、後者はいまだに価値があまり認識されていない感じもする。交流の拠点があることは大切だもんなあ。
 梅棹はこんなことも言っている。

梅棹 (略)いわゆる封建制度というのは大変いい体制だね。多様さをそのまま生かしている。各地方がそれぞれの文化的伝統を守って、独自の個性を育てていた。明治以降は、その封建的体制が一掃されて、全国がまことに一様なものになってしまった。

 まあ、封建制度が本当にいいかどうかは疑問だし、梅棹も本気で言っているのかどうかはわからないが、江戸から明治に移る中で、失ったものも大きかったということも確かも。
 官僚について、鶴見の発言。

鶴見(略) 官僚制というのは手続きで考えるでしょう。手続き論になっちゃうんですよ。いままではこうだった、だからどうなるか、というね。だけど、明治政府をつくった人は、1853(嘉永6)年から日露戦争が終わるまでの50年というのは手続きで考えてないんですよ。手続き論のうえでこれからの未来、21世紀を構想しても難しいんじゃないでしょうか。もっと大きな手を構想して、それがいま手続きとは結びつかないけれども、こういうふうにやったらという考え方がいろいろなところで起こるというか、そういうふうに考えないと21世紀の問題とは取り組めない。

 これまた今を考えさせられる。
 梅棹のこんな発言。

梅棹 私は、日本の教育は動脈硬化になっていると思うんです。動脈硬化と言っていいのでしょうか。だいたい、こんなことを言うと申し訳ないけど、私は教育には本当に興味がない(笑)。学校教育には全く興味がない。現代の学校教育は、個性圧殺の管理教育でしょう。二言目には「個性」というけれど、それはまったくうそです。少しでも個性のある人間が出てきたら、寄ってたかってたたきつぶず。いわゆる戦後民主主義というのもまったく同じです。

 戦後民主主義の行き着いたところが異端排除のいじめか。そして、戦後民主主義を批判する勢力も異論を許容せず、たたきつぶす。ある意味、戦後教育は絶望的にすごかったのかなあ。
 梅棹は、学校教育には興味がないといいつつ、教育そのものには取り組んできたようで…

梅棹(略)私は、学問の方法としてはフィールドワークを重視して、教育の手段としてもフィールドワークを使いましたね。たとえば、乱暴きわまる話だけど、とにかく若い青年を海外に放り出すわけです。「行ってこい」と言ってね。そうすると、立派になって帰ってくる。1年もそこらをうろうろしていたら、大変強くなって帰ってくるんですよ。

 もっともフィールドワーク主義には学者の間から批判も多く

梅棹 京都でも、ひどいのはいますよ(笑)。私が聞いたのは、京大の講義で私たちを名指しで「あいつらは足で学問をしている。学問は頭でするものじゃないか」と攻撃をした教授がいるんです。本を読んで、それが研究だと思っているわけです。私らはそれの正反対で、現地へ行かなかったら学問が出てこない。もちろん本は読みますけど、本というのは、しょせん誰かほかの人が先に言ったことが書いてあるだけのことであって、自分で発見して自分が考えた成果とちがいますね。

 だから、梅棹の独創的な研究が生まれてきたのだな。こんな話も。

河合(略)日本は古今伝授というのが昔からあるんですよ。古今伝授というは、偉い先生だけが知ってて、その先生が「実はこうなんだ」と言うとそれをみんなが覚えて、偉い先生が死んだら次の人が偉くなっていくシステムですね。(略)
 ぼくらはよく知っていますが、自分で考えたことが西洋の本にも載っていない説が出てくるんですよ。実は新しい発見なんですね。ところが、先生は「こんなもの、本に載っていないからだめだ」と言うて、怒られる。しかし、だいぶ経ったらアメリカの本にそれが載るようになって、そうすると「先に言うてたらよかった」というようなものだけど。

 日本で独創的であることは厳しい道なのだな。
 明治は「家族主義」を創作したという話。

梅棹 むしろ、明治以後のいろんな諸制度のなかに非常に非日本的なものがたくさんある。明治政府がつくったシステムは、たとえば家族主義・家族制度、こんなものは全然ぐあいが悪いですよ。これは決して日本的なものじゃないんです。明治的なものです。それがのちに悪用されて、家族主義という害悪を流しているけれど、あれは明治政府の創作ですな。(略)
 戦後に日本家族主義があえなく崩壊したのは、もともと非常に根の浅いものだったと思う。企業にしたって、家族主義的経営なんて、あれはうそばっかりや。
河合 日本は血縁よりも「イエ」を大切に考える。その「イエ」がアメリカによってつぶされたので、企業が「イエ」の代わりをするようになった。そういう意味でそれは外国の企業と異なるわけですが、「イエ」構造を支えるものとしては、血縁による一体感をうまく導入してきて、それを「家族主義」と呼ぶまやかしをしてきたのです。確かに単なる利益集団ではないにしても、それを「家族」と呼ぶことによって、各人の自主性をおさえてきたのです。家族主義的経営というのは、ほんまにあれはまやかしで、ものすごくうまいこと言うてるんですよ。

 で、梅棹のこんなコメントが続く。

梅棹 日本の家族というものは、そんな血縁関係とはちがうんです。日本の家族というのは明治以前、つまり江戸時代からずっと続いているのは一種のゲゼルシャフトなんです。利益共同体なんだね。それは、ヨーロッパ、ドイツやフランスにもちゃんと同じものがあります。非常に普遍的なものなんです。それは血縁家族ではなくて、いろんな雇い人やらがそこに入ってきて、大きな共同体になっている。利益共同体で、自分たちの権益をおたがいに守っていくというものなんです。情緒をもとにした血縁集団とちがう。そこのところを明治政府は非常に巧妙にすり替えたんだな。

 なるほど。昔、江戸時代の商家の家訓を読んでいたら、実子への相続よりも、奉公人だろうが、商家の存続を前提に後継者を選べ、といのがあって、ちょっとびっくりしたのだが、梅棹のこの話を読むと、その家訓も納得できる。特別なものではなくて、普通の商家の考え方だったのか。
 明治政府と日本について、こんな見方も。

梅棹 日本は決して特殊な国ではないんですよ。非常に普遍性がある。ちょっと遡っていけばいくらでもある。むしろ、それを特殊化しようとしたのが明治政府の陰謀であったかもしれない。謀略だったかもしれない。日本は特殊な国なんだというフィクションをつくることによって、国民の一致団結を図ろうとしたのかな。

 この特殊化を求心力にしようとするのは今も続いていることかもしれない。で、こんな話も。

梅棹(略)世界に国はたくさんあるんやから、(日本は)そのひとつにすぎないでしょう。世界に冠たる......ということもないし、非常にみじめな国でもないし、当たり前の国なんです。日本は戦後、国際情勢もなかで生きていくために政府がいろんな工夫をして、いろんな規制をかませて、経済的防衛をやったわけです。それが積もり積もって、いま、まさに制度疲労を起こしている。これはそんなに古いことでも何でもない。

 長く、広いスパンで考えているなあ。そして、制度疲労の修復は21世紀の今も続いている。
 帝国について

梅棹(略)20世紀という時代は帝国の成立の時代であったと、私はみているわけです。同時に、帝国の解体の時代でもあるね。19世紀から20世紀にかけて、成立過程と解体過程が同時に起こるんです。当時、たくさんの帝国があって、それが20世紀になってからだいたい解体する。たとえば、オスマン帝国が解体する。それから、オーストリア・ハンガリー帝国ドイツ帝国大日本帝国、みなつぶれてしまう。そして、イギリス帝国、フランス帝国、これも解体せざるをえなかった。
(略)
 比較帝国論というのはおもしろいんです。同時に、比較植民地論でもあるけどね。実は、いくつもあった帝国がつぎつぎと解体する。これが20世紀を通じて起こった現象なんです。最後に残っている帝国が二つある。一つは中華帝国、もう一つはロシア帝国。これは、ある程度解体しつつも帝国としてちゃんと残った。21世紀にこれがどうなるのか、非常におもしろいことだけど、20世紀いっぱいかかって帝国はだいたい解体した。それぞれに非常に特徴のある、それぞれちがう解体の仕方をしてるけどね。
 ヨーロッパの現状などをみると、国民国家というものも、少しずつ解体とは言わないまでも変容しつつあります。だから私は、21世紀は国家の解体の世紀になるだろうと思っているわけです。
  すでに、その兆候は相当ある。民族による国家の解体ですね。いまはまだ巨大な国家がいくつもありまして、中国もそうだし、インドなんかどないなるんやろ。大きな国で、多民族国家でもあるアメリカがどうなるのか、という問題もあるけどね。

 民族による国会の解体かあ。当たっているなあ。まだ次の形は見えないけど。梅棹も「関西独立論」を唱えているけど。
 いま読んでも、梅棹忠夫、面白いなあ。でも、明治大好きの右翼系の方々や伝統(原理)主義の人には嫌われるだろうなあ。