遠藤周作『こころの風景/風の十字路』を読む

風の十字路―こころの風景

風の十字路―こころの風景

 マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」が公開され、むかし、遠藤周作の『沈黙』とか『海と毒薬』とか読んだなあ、と思い出して、遠藤周作の本が何だか読みたくなり、手に取ったのが、この本。戦後初の留学生として渡ったフランスのリヨンから『沈黙』の舞台でもある長崎など、海外から国内まで巡った土地に関するエッセイ。ただ、名所・旧跡には興味がないという遠藤だけに、観光地巡りの紀行ではなく、文化、文明、そして自らの内面をめぐる旅になっていて、それが心に染み、考えさせられる。
 目次で内容をみると…

1章 リヨンの屋根裏部屋から
2章 ルーアンの養い親の家
3章 ジュアノウの森のなかで
4章 エルサレム西欧文化の原点
5章 ユダの荒野とガリラヤ湖
6章 宣教師の故郷ポルトガル
7章 アウシュヴィッツの衝撃
8章 重層的な歴史の町、長崎
9章 ターナーさながら、ロンドン郊外
10章 パリ郊外、石畳に残るサドの足跡
11章 輪廻転生の世界、ベナレス
12章 夢で見た美星町の山並み

 印象に残ったところをいくつか抜書きすると、遠藤はフランスのリヨンに留学したが、最初の3カ月間はルーアンの建築家のところにホームステイしたという。留学中には嫌な思いをすることもあったらしいが、最初の3カ月の家庭で愛情を持って迎えられたことで「フランス嫌い」にはならなかったという。自分ものちに、日本で東南アジアからの留学生の親代わりになることにしたという。そのこころは…

 ルーアンのなんでもない建築家の家だったけれども、それがひとりの日本人留学生にたった三か月の間にまいた種というのは、大きかったと思います。それに反して、かつて中国人の留学生が日本に来て、嫌がらせにあったりして、反日の感情を抱くようになりましたが、あれがもし日本の家庭で彼らを温かく迎えていたら、日本という国の政策は嫌でも、日本人を嫌いにはならなかったでしょう。

 今にもつながる話だなあ。
 第4章のイスラエル論も面白い。遠藤はフランスに留学し、英国、イタリアを訪ね、あとになってイスラエルに行った人だが、こう主張する。

 いまだったら、私はパリやロンドンに直接飛ばないで、イスラエルに半年いて、ギリシャに半年いて、そしてイタリアにいて、それからパリとかロンドンとかいうふうに入っていくだろうと思う。つまり、ヨーロッパという大きな層の一番底辺の辺りからずっと上へ上がっていくとするならば、やはりイスラエルとかギリシャから出発したほうがいいと思うのです。

 そのほうが「歴史の大きな流れが美術品など見ていても理解できる」という。西欧文化が異質なものであるということを教えてくれることにもなる。

 ヨーロッパだと、ごまかしがきくんです。つまり、境界線が曖昧なところがたくさんあるから、ほんとうは異質なものでもあるにもかかわらず、表面が甘くまぶされていたりして、これは日本人に理解できるというような錯覚を起こさせるところがあるでしょう。

 なるほど。確かに、ヨーロッパだと、わかった気がしてしまう。この本は20年余り前の本だが、都市の情景はいまはパリだろうが、東京だろうが、大差ないから、ますます錯覚してしまうかもしれない。だから、イスラエルだと。

 イスラエルの場合は、初めから「分からない」という風景が目の前にあった。「お前が入れない」という生活や、宗教がありました。そこのところがイスラエルはとてもよかった。あくまで異質の世界なのです。遠山一行さんが「ヨーロッパという他者」ということばをどこかで使っていたけれども、他者であることが自覚されて、それを意識して迎え入れるのと、「おれと違いがないじゃないか」ということで迎え入れるのは根本的に違うと思うのです。

 そうだなあ。
 風景を見ることで、宗教を見えてくる。キリスト教徒である遠藤は、旧約聖書を生み出したユダの荒野の「峻厳な風景」と、イエスの故郷であるガリラヤ湖周辺の「非常に優しい、柔らかな風景」を見て、こんなことを感じたという。

 そういう風景が影響を与えたとは短絡的にはいえないでしょうけれども、この二つの風景の対比を見ると、ガリラヤ人であるイエスが荒野に来て、荒野から生まれた宗教にそのまま同化するはずはないと思います。
 果たせるかな、旧約聖書新約聖書を読み合わせてみると、旧約聖書のほうにも確かにガリラヤ的なものがないとはいえないけれども、やはり峻厳な神と人間との関係になっています。ところが、新訳聖書の非常に温かな神と人間との関係に変化しているのです。

 宗教、文明、文化が生まれたところを実際に歩いてみることは大切だなあ。
 『沈黙』にもなった江戸時代のキリシタン弾圧と明治時代、西欧と向かい合った日本の何が変わったのか? 遠藤は、秀吉・家康の時代は、日本とキリスト教という文化が激しく対立したという。しかし…

 この時代と明治時代を比べてみますと、明治時代は文化ではなくて、文明しか輸入していません。文明というのは、自分たちの役に立つもの、例えば、西洋医学のような速効性のあるものとか、生活するのに便利な電気、電灯、無線とかのことであり、そういうものだけを取り入れました。そして、文化というような理解しにくいものは敬遠し、理解しやすいものだけを取ったというのが、明治時代のヨーロッパ摂取のあり方だったと私は思います。理解しにくいものを持っているというのが、実はヨーロッパなのに……。(略)そこに明治時代の日本の摂取の仕方のうまさといいますか、要領のよさがあったと思うんです。

 この要領のよさは今も続いているのかもしれない。そして、わかっているようで、本当はわかっていない状態も。
 アウシュビッツでは「罪と悪というものを区別して考えるようになったかもしれなません」という。罪と悪という意味がよくわからなかったのだが、次の一節を読んで理解した。

 つまり、私が問題にしたいのは、どこまで人間が堕ちるかということです。ある程度まで堕ちていくと跳ね返ってくるというような罪ではなくて、どこまでも堕ちて、しかも、そこに美とか一種の快楽まで伴うような悪の世界があるのではないかということです。それはもともとフランスに留学したときから漠然と感じていたことですけれども、具体的にこれだけ大規模なものを見せつけられると、やはり大きなショックを感じました。

 そういう意味か。こんな一節もあった。

 毎日二千人くらいの人を殺しているナチの親衛隊の連中が、夜になると、音楽会を開いて、モーツァルトを楽しむことができるという事実に、人間の深さというか、恐ろしさというか、対立したものがあるということを、収容所のなかを歩いていて実際に感じました。

 悪に愉悦する人間。いまでもいるし、怖い話だな。
 意外に思えたのは、遠藤周作マルキ・ド・サドに関心を持っていたこと。フランスで、サド侯爵の足跡を訪ねているのだが、こんな説明を読むと、なぜ関心を持ったかがわかる。

 私がサドに興味を持つようになったのは、彼がひっくり返された神の探求者だったからです。つまり、処女性というのは、ピュアな肉体によって純潔を装いながら、そのピュアであるということによって男を罪にいざなうという二律背反に陥っている。しかし、彼女たちはそのことに気づかぬふりをし、淑徳な処女としてふるまっている。それがサドにとっては耐えられなかったのです。だから、サドがほんとうに求めていたのは、偽善ではなく真実であったという意味のことを、クロソフスキーが『わが隣人サド』で書いているけれども、そういうひっくり返されたキリスト者というか完全主義者を、私はサドのなかに見つけました。

 そういう視点があったのか。遠藤はキリスト教徒だが、サドはキリスト教の対立者ではないと。裏返されたキリスト者だという。うーん。こうも言う。

 逆にいうと、サドを通して人間というものは、形や表現は違うけれども、絶対か純粋か、大いなるものを絶えず求めているんだということを教えられたわけです。表現が違っているだけで、ある人はキリスト教という形をとり、別の人は肉欲という形をとって、実は絶対を求めているのだということです。なぜそれを求めなくてはならなかったかというと、自分の貴族階級としての地盤がすくわれるような時代だったからだと思います。ちょうどそれは戦後の我々が置かれた状況とよく似ている。そして、そういう状況のなかだったからこそ、私にとってサドは大きな意味を持っていたのです。

 うーん。だとすると、これまでの価値がゆらぎ、格差の恐怖に怯える、今の日本は再び、サドの意味を考え直す時代になるのだろうか。
 遠藤周作、いまでも刺激的です。だから、スコセッシも「沈黙」をつくったのか。