『日本会議の正体』『日本会議の研究』を読む

 安倍政権を支える(支配する?)保守系団体として、そして憲法改正から森友学園問題まで、その名前が登場する組織として注目を集める日本会議について勉強してみたくなって、2冊ほど本を読んでみた。まず、この本

日本会議の正体 (平凡社新書)

日本会議の正体 (平凡社新書)

 青木理氏の『日本会議の正体』。青木氏、近著の『安倍三代』も話題の的だが、日本会議については目次をみると、こんな具合

第1章 日本会議の現在
第2章 “もうひとつの学生運動”と生長の家
第3章 くすぶる戦前への回帰願望
第4章 “草の根運動”の軌跡
第5章 安倍政権との共振、その実相

 正統派ジャーナリストらしい丹念な取材で、日本会議の来歴を追っていく。日本会議は<1997年5月30日に、いずれも有力な右派団体として知られていた2つの組織ーー「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が合流する>形で生まれたという。今年の5月で20年。主張は復古的だが、「日本会議」という組織の歴史は意外と新しい。平成生まれなのだ。
 ただ、その源流をたどっていくと、谷口雅春の「生長の家」が姿をあらわす。「生長の家」は戦後の右派運動、特に右派学生運動のリーダー的な存在だったという。知らなかった。もっとも、現在の「生長の家」は、日本会議とは一線を画し、右派ではなくなっている。元・生長の家といったほうがいいのかもしれない。
 この本、戦後の右派というか、右翼、保守運動の流れが整理されていて勉強になった。また、日本会議の資金源としての神社本庁など神道団体との関係も描かれている。ただ、宗教的には、神道の色彩が強くみえるものの、成長の家出身のメンバーがコアであったり、いろいろな団体が参加している。憲法改正や家族の価値の復権などという点では結集しているものの、細かな点では呉越同舟的なところがある。
 安倍政権の閣僚、国会議員、地方議員など日本会議に参加している政治家の数はかなり多い。それが信念や思想的な共感にもとづくものか、票欲しさのための政治家としての保険なのか、わからないところがあるが、ともあれ、日本会議に賛同を示す政治家は多く、さらに現実問題として教育勅語を教材としてもいいとか、日本会議が理想とするような政策が実現されているところは不気味といえば、不気味。
 ともあれ、この本を読むと、日本会議の概略がつかめる。
 そして、もう1冊はこちら...

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

 菅野完氏の『日本会議の研究』。菅野氏、森本学園の問題では、籠池理事長とテレビに登場したり、ツイッターもかなり攻撃的だったりするので、思い込みの激しい本なのではないかと思って、最初に青木氏の本を選んでしまったのだが、菅野氏の本、読んでみると、資料も豊富で、徹底した調査報道の本だった。文章もクール。ツイッター言葉と書き言葉は違うのだな。
 目次で内容を見ると...

第1章 日本会議とは何か
第2章 歴史
第3章 憲法
第4章 草の根
第5章 「一群の人々」
第6章 淵源

 ともかく、よく調べている。文献、資料のほか、エピソードとしては、森友学園の幼稚園の愛国教育の異様さもすでに紹介されている。知る人は知られる存在だったのだな。
 こちらの本では、安倍政権の政策と日本会議の関係、とくに安保法制での役割や憲法改正に向けての動き、さらに日本会議の活動を支えている「一群の人々」の背景と源流を探っていく。思想的、宗教的には呉越同舟とも言える集団なのだが、その幅広い思想と、それぞれ思惑が微妙に違う団体をまとめて、ひとつの方向に動かしていく。その組織力こそが日本会議の強さともいえるわけで、そうした運動体の頭脳と足腰に焦点をあてて解説している。青木氏の本と同じように、生長の家の右翼運動が源流にあることが示されるのだが、そこをさらに徹底して、ひとりひとりの人物にについて来歴をたどっていく。
 見えてくるのは、全共闘運動、左翼の全盛の時代にあって民族派学生運動が数少ない勝利を得た長崎大学学生運動。そこで中心だった人物たちが同じ運動論をもって活動を続けていたという話は衝撃的でもある。当時の大方の学生たちは、知恵熱のように時が過ぎれば、熱も冷め、フツーの社会人になってしまって、酒を飲んだ時に左翼っぽい話をして、若い人にうるさがられるだけの存在になってしまったのだが、一群の人々は同じ情熱をもって、ずっと活動を続けていたわけだ。左翼も、市民活動家も、飽きてやめてしまったことを地道に続けていた。ちょっとゾッとする。
 菅野氏は「むすびにかえて」で、こう書いている。

70年安保の時代に淵源をもつ(略)「一群の人々」は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも頻繁にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名を集めをしてきた。彼らこそ、市民活動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。

 悲願とは憲法改正。確かに彼らの運動は愚直ともいえる。そして、菅野氏はこう言う。

 私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食らわされているように見える。
 やったって意味がない、そんなのは子供のやることだ、学生じゃあるまいし・・・・・・と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。

 この皮肉、この悲喜劇。日本会議の執念の原点は、長崎大学の正門前で左翼の学生に民族派の学生が殴られたときに始まるとしているが、長崎大学での運動に関するエピソードのなかで怖いと思ったのは、こんなところだった。
 殴られた学生であり、いまの日本会議を動かしているとみられる人物はこう書いている。

しかし、最も僕を憤激せしめたもの、それはかくのごとき状況下にありながら、尚も沈黙し続ける一般学友の姿であった。

 それでも、民族派の学生たちは左翼学生によって閉鎖されていた学生会館を開館することに成功するのだが、

所が左翼全学連は「このたびの開館は、強制開館であり認められない」として学友を扇動、僕等のリコール運動を展開すると共に、学館にバリケードを構築、ストを画策した。
幸いにして、夏休みに入り、リコールは避けられたが、この事態の推移の中で、僕等の一般学生に対する不信感は決定的なものとなった。すなわち800対400という圧倒的な支持率で学館賛成派の僕等を選出しておきながら、ひとたび左翼からアジられると、深く思考する事もなしに一転してリコールへ向かう節操の無さに対する不信感である。

 そして、菅野氏は、こうした不信感が民族派の学生たちを変えたという。

「一般学生からの支持だのみ」の運動を捨てるようになる。気分と雰囲気で流される有象無象の大衆たちに依拠しているだけでは、「対左翼」の戦いで勝利しえないと悟ったのだ。そこで彼らは彼らの運動を「組織化」することに専念する。

 この学生時代に打ち出された組織の運動指針が今もなお日本会議にも引き継がれているという。そこにあるのは大衆を信じない運動論。愚かな大衆を選ばれたエリートの前衛が指導する。どこか共産党と同じようなにおいを感じる。共産主義国家社会主義は左と右は極端になるほど、どこか似てくる。民主主義を信じない人々が民主的方法を通じて自らの目的の達成をめざす。この部分を読んでいて、底流にニヒリズムを感じ、怖いと思った。
 歴史を振り返れば、ナチスも民主主義で選ばれた。民主主義は民主主義によって崩壊していくこともある、ということを思い出す本でした。
 そんなこんなで雑駁な感想になりましたが、両方とも読みやすく、日本会議をしるために、おすすめの本ですが、どちらか1冊というと、個人的には菅野完氏の『日本会議の研究』です。

安倍三代

安倍三代