三鬼陽之助『東芝の悲劇』:東芝は50年余り前から悲劇の会社だった


 巨額の赤字に沈み、いつまで経っても、まともな決算を出すことができず、迷走を続ける東芝。かつての名門、東芝はどうなってしまったのだろう。しかし、考えてみれば、昔から東芝は「悲劇の会社」だったのかもしれない。古本屋さんで見つけた三鬼陽之助の『東芝の悲劇』。いまの「悲劇」じゃない。昭和41年(1966年)に出版された当時の「東芝の悲劇」の本。いまから半世紀前の本。三鬼陽之助は経営評論家で、雑誌「財界」を創刊した人。この本のことも経営評論の伝説の書として知ってはいた。奥付を見ると、昭和41年1月25日初版で、2月17日で18版(刷)だから、大ベストセラーだったわけだ。ただ、実物を見たのは初めて。
 まだ読み切っていないのだが、目次を見ると

1 東芝を震撼させた10日間
 (1)石坂泰三、最後の執念
 (2)岩下文雄、無念・遺憾の心境で退任
2 首脳陣の権力争い
 (1)社内で孤立した「経団連会長」
 (2)岩下文雄の性格的欠陥
 (3)社長交代は会社の一大転換
3 合併会社の悪弊
 (1)重電対軽電の派閥抗争
 (2)管理職の増大
4 甘い子会社対策
 (1)日立グループに水をあけられる
 (2)逃した大魚、日本ビクター
5 関東商法の敗北
 (1)名門意識にあぐらをかく
 (2)仕入れで負ける
 (3)松下商法に学べ
6 経費の使い方
 (1)派手な宣伝・交際費
 (2)政治献金横綱
 (3)だんぜん多い首脳部給与
7 外国技術万能会社の悲劇
 (1)東芝は、GEの借り衣装か
 (2)中途半端な国産技術開発
8 東芝再建に乗り出した荒法師・土光
 (1)「ミスター合理主義」の誕生
 (2)石川島再建に見せた手腕
 (3)土光哲学の神髄
9 甦るか、大東芝
 (1)土光に洗脳される東芝社員
 (2)東芝、再興に向かってスタート
10 東芝をなぜ俎上にのせたのか

 50年余り前の出来事で経営者の名前や問題となった部門は違うわけだが、悲劇の構造自体はさほど変わっていないようにもみえる。合併会社の問題は乗り越えたかもしれないが、事業部同士の派閥抗争は相変わらず東芝のDNAとして残ったのかもしれない。日立に差をつけられていたところも今と変わらない。日立には悲劇を回避する勝者のDNAがあるということか。それが社風というものか。
 三鬼は最終章の「東芝をなぜ俎上にのせたのか」で、こんなことを書いている。

 人間に歴史が尊重されると同様、企業にも、伝統が高評価される。企業とは、歴史、伝統の累積ともいえる。しかし、皮相に考えると、歴史はアカ(垢)の累積である。そして、このアカは、見方によると貴重であるが、へたをするとやっかい千万である。東芝は、なるほど天下の一流会社であるが、現在、転落の悲劇がうんぬんされるのは、要するに、悪い意味のアカがたまりすぎたからである。

 この本で、三鬼は、石川播磨重工(現IHI)の社長だった土光敏夫という社外の経営者を社長に据えるという荒療治で、東芝は危機を回避すると見ていたが、その通りに東芝は復活した。しかし、50年余り経って、また悪いアカがたまったんだなあ。今度は崖の寸前で止まることができず、転落してしまった。もし、東芝が、過去の悲劇を忘れるな、と、新入社員に必ずこの本を読むような社内教育をしていたら、どうなっていただろう。過ちは繰り返しません、ということになっただろうか。そんなことも考えてしまう。
 まえがきで三鬼は、こんなことも書いている。

 東芝の悲劇は日本の会社の悲劇である。歴史、伝統、技術に、いささかでも自信過剰になったら、しらずしらず、陥落する道である。

 21世紀の「東芝の悲劇」も同じ道を歩んできたのかしれないなあ。東芝に限らず、三洋電機の悲劇、シャープの悲劇、21世紀にも日本の会社の悲劇は繰り返されている。これからも悲劇が続くのか。この本のサブタイトルは「あなたの会社も例外ではない」。教訓をどう学ぶかだなあ。現代の経済ジャーナリストが新しい「東芝の悲劇」を書いて、日本の会社に警鐘を鳴らすときなのかもしれない。誰か書いてくれないだろうか。