ちかごろの世の中を見ていて思い出す本と映画

 今日もまた、こんなニュース...

江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していることがわかった。一部に関東大震災時の「朝鮮人虐殺」についての記述が含まれており、担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。

 歴史を消していきたいのだなあ。自分の嫌いな歴史は...。関東大震災の際の朝鮮人社会主義者の虐殺は、大災害のような危機に際して社会不安が何を生み出すのか。根拠のない噂が、どれだけ、おぞましいことを引き起こすのかという教訓として、これもまた災害時の心得の一つだったはずだけど、消してしまうのだな。「朝鮮人虐殺」のなかには、朝鮮人と間違われた日本人も入っていたという話もあったと思うけど...。
 しかし、この記事、最近の社会的な風潮を象徴するような出来事だなあ。そして、こんなことを見ていると、この本を思い出してしまう...。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 ジョージ・オーウェルの「1984年」。トランプ政権が誕生後、突如、Amazonでベストセラーになって話題となった。「フェイクニュース」「オルタナティブ・ファクト」という言葉が乱舞する中で、オーウェルの本をみんなが思い出したわけだが、ここで描かれている監視社会、現実や歴史を隠蔽、加工してしまう社会は他人事とは思えない。上のような記事を読むと、日本の官僚のほうがすでにオーウェル的世界に突入し始めているように見えてしまう。忖度なのか、批判嫌さの事なかれ主義なのか、政府の意志なのか、知らないが、まずは削除から。次は改変かな。そのための専門の組織もできるのかな。「真理省」とか...(本当に設立しかねない怖さがあるけど...)。
 で、こんな映画も頭のなかに浮かんでくる... 共謀罪だったり、何だったり、監視社会が強化されていくと、最後に残る自由な世界は自分の頭の中だけかもしれないなあ。人間に残されるのは、空想、妄想する自由だけなんだろうか。最近は、ユートピアよりもディストピアのほうがリアリティがあるなあ。