町山智浩『最も危険なアメリカ映画』を読む

 トランプ政権の誕生はアメリカのもう一つの顔を見せてくれた。そんな、もうひとつのアメリカについて週刊誌やテレビで語っている町山智浩氏の解説はわかりやすく、参考になるのだが、この本は映画を通じて、もうひとつのアメリカを教えてくれる。映画は社会の現実を反映すると同時に、映画が社会の現実をつくりだすこともある。世の中をどのように見て、評価するのか。その視点を映画がつくってしまったりもする。映画は基本的にフェイクの世界だが、フェイクが事実になり、歴史となって、いまをつくってしまう。そんなケーススタディともいえる本だった。
 取り上げられた映画を目次でみると(ちょっと長いが)

第1章 KKKを蘇らせた「史上最悪の名画」
     『國民の創生』
第2章 先住民の視点を描いた知られざるサイレント映画
     『滅び行く民族』
第3章 ディズニー・アニメが東京大空襲を招いた??
     『空軍力による勝利』
第4章 封印されたジョン・ヒューストンPTSD映画
     『光あれ』
第5章 スプラッシュ・マウンテンの「原作」は、
    禁じられたディズニー映画
     『クーンスキン』『南部の唄』
第6章 ブラックフェースはなぜタブーなのか
     『バンブーズルド』『ディキシー』
第7章 黒人教会爆破事件から始まった大行進
     『4リトル・ガールズ』
第8章 石油ビジネスとラジオ伝道師
     『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
     『エルマー・ガントリー』
第9章 金はやるから、これを絶対に映画化しないでくれ!
     『何がサミーを走らせるのか?』
第10章 ポピュリズムの作り方
     『群衆』
第11章 リバタリアンたちは今日も「アイン・ランド」を読む
     『摩天楼』
第12章 「普通の男」から生まれるファシズム
     『群衆の中の一つの顔』
第13章 マッカーシズムパラノイア
     『影なき狙撃者
第14章 アメリカの王になろうとした男ヒューイ・ロング
     『オール・ザ・キングスメン』
第15章 インディの帝王が命懸けで撮った「最も危険な映画」
     『侵入者』
第16章 なぜ60年代をアメリカの歴史から抹殺したのか
     『バック・トゥ・ザー・フューチャー』
     『フォレスト・ガンプ

 見たことがある映画もあれば、見ていない映画もある。映画史のなかで知っている映画もあれば、知らない映画も。どちらにしても映画と社会との関係を知ることができて、おもしろい。
 「國民の創生」は映画史を読むと、必ず出てくる映画。映画の表現技法に革命を起こす一方で、現実社会では、米国の人種差別を増幅したんだなあ。KKKを白人のヒーローにしてしまった。映画って罪作りでもある。映画技術が優れていればいるほど、そのイメージが社会に与える影響は強烈になる。正の影響もあれば、負の影響もある。
 この本に興味をもった理由のひとつはアイン・ランド(第11章)が語られていること。トランプ政権を生んだ原動力のひとつといえる米国のリバタリアン。そのリバタリアンを追った米国のテレビ・ドキュメンタリーを見ていたら、アイン・ランドが登場した。下院議長のポール・ライアンもランドを愛読しているというリバタリアンの女神。そのランドをめぐる話も詳しく、その作風を具体的に知ることができた。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『フォレスト・ガンプ』については、こういう読み方(見方)もあるのか、と思った。そういわれてみれば、どちらもリベラルな60年代についてはネガティブだなあ。監督のロバート・ゼメキスは多くのヒット作を撮り、アカデミー賞もとっているのだが、米国の映画界のなかでは、どこか微妙に評価されていない空気が漂っているような気がしたのだが、それはリベラルが主流派のハリウッドの価値観との違いが原因だったのだろうかーーなどとも考えてしまう。
 ともあれ、映画論としてもアメリカ論としても面白い本。いくつかの映画を見てみたくなる。そして、第4章に出てくるジョン・ヒューストン、ハードボイルドというか、戦争中でも硬骨漢の映画監督だったのだなあ。

王になろうとした男

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