滝田洋一『今そこにあるバブル』を読んで、雑感

 このところ、バブルに関する本がブームになっているが、これは80年代のバブルの回顧ではなく、いま、バブルが再燃しているのかどうか、という本。目次で内容を見ると、こんな感じ。

第1章 街角を歩いてみた
第2章 2020年東京五輪とその先
第3章 熱狂なき市場のゆがみ
第4章 繰り返される山々
第5章 新たな宴と大いなる巻き返し
第6章 日本のバブルのゆくえ

バブル:日本迷走の原点 現状をどう見るのか、考えを整理するのに役に立つ。アベノミクスと言われる財政・金融政策は意図的にバブルを起こそうとしている。虚が実を生むというのかもしれないが、その反動がきついことは前回、経験済み。米国でも超金融緩和も「出口」に関する議論は政策を導入したときから問題となっていた。バブル・ロケットの発射は簡単だが、着地が難しい。超金融緩和は麻薬のようなもので、使っているときは現実の痛みを忘れ、ハイな気分になるが、薬が切れたときは大変なことになる。日本は嫌というほど経験したと思うけど、時が経てば、忘れるのだなあ。一度、麻薬に溺れると、再犯率が高いらしいが、あれと同じか...。
 いまは前回ほどハイになっているわけではないが、それでも、部分的にハイになっていることが「街角」に見えてくる。この本、バブル志向のアベノミクスがもたらした現状、その功も罪も描かれている。アベノミクスに対して欧米の評価が高いというのも、そのとおりだなあ。ただ、前回の狂乱を多少は知っている世代から見ると、前も「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか、おだてられて、結果は最後はハゲタカに食われる感じだったから、ほめられても、うれしくもない。素直じゃないけど。
 で、今そこにあるバブルをもたらしたアベノミクス。いまや関心は、その効果、効用よりも、これから来る副作用、反動は何かの方に移ってきている。東京オリンピックにしても、いまや経済的(マーケット的)には、その後の反動の方が心配だし…。前回のオリンピックのあとに(昭和)40年不況が起き、山一證券は破綻寸前に追い込まれ、大型倒産が相次いだことは経済の記憶に残っているから、オリンピックが近づけば近づくほど、みんな、どこで売り逃げようか、考え始めるだろうなあ。
 この本で筆者は明るいシナリオも見せてくれるが、それを読んでもなお、つい悲観的になってしまう。前回のバブル後と違うのは、今度は人口減少が現実化した社会であることだが、このあたりは、どう影響するのだろう。加えて、ITが重要であることはわかっても、日本が創造を生む社会構造になっているのかどうか。最近は、以前にも増して異端を排除する同調圧力が激しくなっているし、基本的に黙って上の言うことを聞いているのが得というのが政権のメッセージにもなっている。そんな社会に、リアルデータとITを利用した課題解決型の成長基盤を開発する力があるのかどうか。悲観的過ぎるのかなあ。可能性はあるとして、いまの復古主義・統制主義の政権にあるのかどうか。読んでいると、さまざまな事例をきっかけに「日本のゆくえ」を考えさせてくれる本でした。
 本とは離れるけど、今そこにあるバブルに遭遇して、金儲けのチャンスと狂喜するか、行く末を心配するかって結局、その人の性格を反映するのだろうか。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損、損。こけたら、こけたとき考えればいいんじゃん、という楽観的な人が得する世界なんだろうか。まあ、みんな逃げ切れると思って、逃げ切れないのがバブルだけど...。それに真面目さを大切にする社会は壊れていくなあ。政府はそれじゃあ、困ると思うんだけど…。自分の任期の間さえ良ければいいのか。
 そう言えば、昔、ある会社のプロジェクトで、将来的に破綻する可能性が高いのに一口乗ろうと取引先が何社も殺到するのを見て、「なぜか」と業界通の某氏に聞いたことがある。すると、「だって部長の任期はせいぜい2年か3年。その間は大丈夫だよ。自分の成績にして、あとは後任の責任と考えているだよ」と言っていたなあ。いまの政権も同じ感覚なのか。それじゃあ、困るなあ。
 でも、この「いま、そこにある××」って、つい使いたくなるタイトルなだな。本家はこちらだけど。

いま、そこにある危機〈上〉 (文春文庫)

いま、そこにある危機〈上〉 (文春文庫)