エジルのドイツ代表引退。ブラジルの栄光から4年、サッカーだけでなく、社会そのものが揺らいでいるような...

 エジルがドイツ代表の引退をネット上で発表。その言葉が新たな波紋を呼んでいる様子。

 悲しい話だなあ。エジル、好きな選手だけど、こうした言葉を残して代表を去っていくのか。ブラジル・ワールドカップ優勝の栄光から4年。ドイツ代表を取り巻く環境も、ドイツの社会も政治状況も変わってしまったのだなあ。

 エジルの言葉を読むと、エルドアン・トルコ大統領表敬問題はやはり大きかったのだな。エジルの気持ちはわからないではない。エジル個人にとっては、ルーツの問題であり、政治的なものではなかったというのも、わからないではない。その一方で、エジルほどの存在になると、個人の思いを超えて、行動は政治的、社会的な意味を持つ。それもまた現実。加えて、トルコの大統領がエルドアンでなければ、これほどの波紋を呼ばなかったかもしれない。

 エルドアン大統領といえば...

jp.reuters.com

www.bloomberg.co.jp  独裁と行ってもいいような強権政治家。しかも、その大統領選の宣伝とみられても仕方のない時期の表敬訪問だった。欧州とトルコ、というよりEUの政治家とエルドアン大統領の間で、民主主義の価値観をめぐる政治的対立が激化しているなかでの訪問だった。エルドアンが良くて、プーチンはいいのか、というエジルの言い分もわからないではないが、それでエルドアン大統領の強権政治が正統化されるわけでもないし...。

 ドイツのサッカー専門誌「kicker」は、今回のエジルの代表引退発言について「ただ確かなことは、ここに出てきた者すべてが敗者であること」と論評しているが、それもわかる。いずにせよ、民族・宗教問題がドイツ社会の亀裂を深めているのだなあ。それはサッカー協会にも影を落としている。ドイツ社会の反移民感情、4年前と現在とで様はかなり変わってきたのだな。移民を受け入れ、様々な民族が融和した、開かれた社会を創るという理想は色あせ、いまはもう信じられないのか。2014年のドイツ代表は束の間の夢だったのかもしれない。

 エジル騒動、サッカーのみならず、ドイツ社会自体が抱える問題を象徴しているようにみえる。ロシア・ワールドカップでのドイツのグループリーグ敗退は、サッカーの世界だけではなく、ドイツが国家としても国内の不和・対立のためにヨーロッパの民主主義のリーダーの座から脱落する前兆なのかもしれない。

 昨年のドイツ連邦議会選挙で反移民の右派政党が議席を伸ばし、メルケル首相の凋落を指摘する声があるが、メルケルが欧州民主主義の顔であった時代は過ぎ去り、ドイツの時代もまた過ぎ去ろうとしているのかもしれない。エジルの引退声明を読んでいて、そんな気がしてきた。ドイツは4年前の輝きを、サッカーも、社会も失ってしまったのかもしれない。

 トランプの米国は内向き、Brexitの英国も内向き、ロシアと中国はもともと覇権主義の強権国家。自由と寛容と理想に生きる世界を追う時代は静かに終わろうとしているのだろうか。

メスト・エジル自伝

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