サン・テグジュペリの「ちいさな王子」を読む。おとなのための寓話だったのかも

 若いときに何度も読みかけては挫折した本が、歳をとると、すっと読めてしまうことがある。個人的には、この本...

ちいさな王子 (光文社古典新訳文庫)

ちいさな王子 (光文社古典新訳文庫)

 

  サン=テグジュペリの「Le Petit Prince(ちいさな王子)」。昔から有名な作品でファンも多い。小学校か、中学校か、高校か、何度も読もうと思った。そのときは、こっちの本。

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

 

  内藤濯訳版の「星の王子さま」。蛇が象を飲み込んだ帽子のような絵に始まる、この本のバオバブの木あたりで、いつも挫折してしまって、ついに読み通せなかった。大学のときは、フランス語の授業で、この本を読まされることになった。

Le Petit Prince (French Edition)

Le Petit Prince (French Edition)

 

 原書の「Le Petit Prince」。しかし、こちらも雑談の多い先生だったためか、やはりバオバブのあたりで終わってしまった。だから、「星の王子さま」、Le Petit Princeというと、すぐに頭に浮かぶのは「バオバブ」だった。この本で初めて「バオバブ」という変な名前の樹木があることを知ったためかもしれない。そのインパクトのほうが強かった。

 2005年に岩波書店の翻訳出版権が消え、「星の王子さま」から原題に忠実な「ちいさな王子」の翻訳新刊ラッシュになったことも知ってはいたが、特にサン=テグジュペリに思い入れがあるわけでもなく、読もうとも思わなかった。それが、この年末年始に何となく野崎歓訳の光文社古典新訳文庫版を読み始めたら、面白くて、最後まで一気に読んでしまった。この古典新訳文庫シリーズは読みやすい本が多くて好きなのだが、これも当たりだった。

 訳がいいこともあるのだろうが、もうひとつ、思うのは、冒頭で、サン=テグジュペリ自身が「この本をおとなに捧げてしまったことを、こどもたちにあやまらなければならない」と書いているように、これはおとなのための寓話なのだなあ。早くおとなになりがたっている子供のころや、まだおとな経験が未熟なころには、感じるところが少なかったのかもしれない。学校の頃は、何でもわかっていると勘違いしている、ひねくれたガキだったし...。読むには早かったのだなあ。

 有名な一節...

心で見なくちゃ、ものはよく見えない。大切なものは、目には見えないんだよ

 いまは実感としてわかるものがある。目に見えるものに囚われて、失敗した経験も積んだから。こどものころは、ただのきれいごとにしか聞こえなかったのだろう(もっとも、このことばが出てくるところまで読んでいなかったが)。

 あるいは、1日1分で自転する星で、律儀に街灯を点けたり、消したりし続けている点灯係に会った王子のことば...

あの人は、ほかのみんなに馬鹿にされるんだろうな。王様にも、うぬぼれ屋にも、のんべ えにも、ビジネスマンにも。でもぼくには、あの人だけはこっけいに思えなかった。それはきっと、あの人が自分以外のもののことを気にかけていたからなんだ

 これは、おとなとなって忘れたもの、失ってしまったものを思い出させてくれる本なのだと改めて思った。だから、こどものころに読んでも、ピンとこなかったのは、訳のせいばかりとはいえない気もする。

 最後にもうひとつ、今になって気がついたのだが、サン=テグジュリのことをずっと「サン=テクジュリ」だと思い込んでいた。「Saint-Exupéry」だから、当然、「べ」じゃなくて「ペ」だったのに...。「Le Petit Prince」という名前はフランス語の授業の成果で覚えていたのだが、著者の名前が「b」じゃなくて「p」であったことに今回、本を読むまで気が付かなかった。