立石泰則『さよなら!僕らのソニー』

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

 なんで、こんなソニーになってしまったのか? ブランドは失墜し、株式価値は毀損し、製品には刺激もなくなったのに、それでも経営幹部は巨額の報酬をとる会社...。ダメダメな欧米の会社のコピーになってしまったのはなぜか。その謎を知りたくて、読み始めたのだが、あまりの面白さ(というのは不適切かもしれないけど、こんなことがソニーで起きていたのか、という興味で)一気に読んでしまった。なるほど、こんな具合に企業は崩壊してくのか。ソニーだけではなく、会社にしても、国しても滅びていくときは、こんなものなのかもしれない。アップルやサムスンに敗れたというよりも、ソニーそのものが自壊していった有様がわかる。滅びるときは、外敵ではなく、内部から崩壊していくのだ。
 目次で内容を見ると、こんな具合...。

第1章 僕らのソニー
第2章 ソニー神話の崩壊
第3章 「ソニーらしい」商品
第4章 「技術のソニー」とテレビ凋落
第5章 ホワッツ・ソニー
第6章 黒船来襲
第7章 ストリンガー独裁
最終章 さよなら!僕らのソニー

 ソニーの歴代社長は、井深大の義父だった前田多門を初代に、井深大盛田昭夫、岩間和夫、大賀典雄出井伸之、安藤国威(COO。CEOは出井)、中鉢良治(COO。CEOはスプリンガー)、ハワード・スプリンガー、平井一夫と続くが、ソニーらしかったのは大賀社長時代までは、出井社長時代の後半から迷走が始まり、ストリンガーでソニーは死に至った感がある。
ヒット&ラン―ソニーにNOと言わせなかった男達 ただ、この本では、大賀氏に同情的なのだが、読んでいると、ソニーを死に至らしめる要因は大賀時代につくられたように思える。米国での音楽・映画会社(CBSレコードとコロンビア・ピクチャーズ)の買収と米国人経営者による乱脈経営の放置、巨額の負債を抱えるなど財務体質の悪化による経営危機、デジタル化への対応の遅れ、そして出井氏を後継社長に選んだこと(本命がスキャンダルで失脚した結果とも言うが...)。大賀時代の「負の遺産」が、ソニーの死の芽と思える。出井社長にしても、これらの問題処理では伊庭CFOとともに健闘しており、VAIOの立ち上げなど、会長兼CEOに就任する前までは、よくやっていたと思う。このあたりは正当に評価されてもいいんだろう。
 ただ、大賀、出井のふたりに共通する問題は晩節を汚したというか、会長兼CEOになってから、自分の影響力を残すことを狙ったような後継者の指名をしていたことだろう。ストリンガーにしても保身の人。会長がCEOと言い出してから、歴代経営者には、どこか「私」が見える。トップに私利私欲が見えれば、社員はみな私利私欲に走り、組織は劣化する。そして会社は衰亡の道を進む。そんな教科書どおりのことが、あのソニーに起こっていたんだなあ。哀しい...。でも、このあたりはソニーに限らず、どの会社も陥りかねない話だなあ。
 この本を読んでいて、驚くのは、斬新なソニー製品を生み出した技術者たちが次々と会社を辞めていっていたこと。研究開発・製造現場のリストラを痛めつけて、利益の数字を叩き出すということをやっていたんだなあ。これでは、業績はあっという間に落ちるし、それで経営幹部が巨額の報酬を手にしたのでは、会社の士気が持つわけがない。もっとも、消費者として考えると、かつてウォークマンを生んだソニースピリットを感じるような商品は、ソニースピリットを持ったエンジニアたちが移ったサムスンやLG、あるいは、そのエンジニアたちがつくったベンチャーの技術を採用した会社から生み出されるのかもしれない。エンジニアたちは今も活動しているわけで、ソニーという会社は死んでも、ソニースピリットはどこかで生き続けていると思えば、いいんだろうなあ。
 そんなことを考えてしまった本でした。いずれにせよ、生者必滅というか、諸行無常だなあ。そして、「さよなら!僕らのソニー」と言ってしまいたくなる本だなあ。さようなら、お世話になりました(と言いつつ、ソニー製品を買わなくなって久しいなあ。最後に買ったのは、VAIOかな。ジョブズがアップルに戻る前、アップルはVAIOを見習え、とか、言われていたもんだけど...)。