三島由紀夫「革命としての陽明学」(『行動学入門』所収)

行動学入門 (文春文庫)

行動学入門 (文春文庫)

 何となく陽明学に興味を持ち、『行動学入門』の中に入っている三島の陽明学論を読んでみた。日本で陽明学に傾倒するのは、革命家が目立つ。大塩平八郎吉田松陰西郷隆盛といった幕末・明治維新の人々から乃木希典、そして最後は三島自身と、体制に抗し、自らの思想を実力行使しようとした人たちの系譜である。一方、インテリからは忌避されていたと三島はいう。知行合一、行動しなければ、知ったことにはならないという、あまりにも激しい思想だからかもしれない。
 三島をはじめ、今でも少なからぬ人たちが陽明学に惹かれる人がいるのは理解できるものの、そこまで傾倒して、革命によって実現しようとするものが何なのか−−そのあたりはわかるような、わからない。時代によって違うのだろうが、三島にとって死を賭してまで実現しようとしたものは何だったのか。三島が死んだ1969年の著作だが、それから半世紀近くたった目で見ると、当時の日本の状況も既に歴史となってしまい、何を革新しようとし、なぜ、そこまで激情に駆られるのか、ということが遠くにある感じがする。それほど、こちらが戦後の「虚妄」に埋没してしまったのか、あるいは、時代のテーマが「戦後」ではなく、「21世紀」の様々な課題に答えることを求めているのか。どうなんだろうか。ただ、いつの世にも問題はあり、権力は必ず腐敗するものなのだから、陽明学を奉ずる人々が絶えないのだろうなあ。実際、こうして自分自身、どんなものかと読んでいるわけだし...。
 で、いくつか印象に残ったところを抜き書きすると...

 大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティズムの二本の柱にあると思われる。フランス革命はルソーの楽観的な哲学の裏にマルキ・ド・サドの深いニヒリズムを隠し、一方ではジェラル・ド・ネルヴァルが言っているように、多くの見神論者の群れを革命の前駆として排出しながら、ジャコバン党員ですらスコットランドのフリー・メーソンの本殿へお告げを承りに行ったこともあった。また、二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッガーの準備した能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの『二十世紀の神話』が、ナチスのミスティズムを形成した。
 革命は行動である。行動は死と隣り合わせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティズムとの虜にならざるを得ないのは人間性の自然である。

 革命の裏に、ニヒリズムとミスティズムあり。なるほどなあ。そして明治維新は...

 明治維新は、私見によれば、ミスティズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によって準備された。本居宣長アポロン的な国学は、時代を経るにしたがって平田篤胤、さらには林桜園のようなミスティックな神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培った。

 そういう見方があるんだ。
 70年安保で、なぜ新左翼全共闘は敗北したのか。

 もちろん、彼らをこのような窮地に陥れたのは警察力の物理的増強のみではない。一つは彼ら自身の内面の問題であり、その内面に反映していた大衆社会状況の問題でもある。大衆社会状況に処するのに、認識と行動の合致をもって対抗することが、そもそも論理的矛盾であって、大衆社会を巻き込むためには、「大衆社会こそ認識と行動との背反にその存在理由のすべてをもつ」というところに着目しなければならなかった筈である。まさに反陽明学的な思考方法こそ、平和な時代の大衆社会を成立せしめる最大の基盤であった。なぜなら、大衆社会こそは道理の感覚によって動くことを求めず、それ自体の物理的法則によって動こうとするからである。
 認識至上主義が、結局、物理的法則に陥らざるをえぬとは、何たる皮肉な状況であろうか。大衆社会状況とは、人々が危惧しているように、文化の低俗化の一途を辿るものではない。閑暇が与えられれば、より高いより洗練された知的快楽が求められるのは当然で、人々の「認識欲」は増すのである。このためには、種々な贅沢な芸術(まがいもの)や娯楽が用意され、一方では情報化社会の趨勢がこれを満足させる。ニュースも豊富、哲学も豊富、人々は「知る欲求」を満足させることに事欠かないのだ。

 大衆社会に対する鋭い分析だなあ。インターネットが登場しても、この分析は変わらない。むしろ加速しているかもしれない。行動から認識へ−−「好きなスポーツ」とは「するスポーツ」ではなく、「見るスポーツ」になってしまっているという例がこの後に続く。そして...

 認識至上主義はニュートラルである。また、超道徳的であって無倫理である。しかし、ニュートラルでありえ、無倫理でありえているのは、行動に自己を投入しない以上当然のことであり、行動はいやでも中立性の放棄と倫理的決断を要求する。それがいやだから行動しないという心理は、行動しないから行動を永久に恐れるという次の心理に至って、悪循環に陥る。この悪循環がオートマチックに働いて、その動きが物理的法則を形づくる。そこには認識と行動の乖離がはじめから予定されているのであるから、知行合一のような哲学は、はじめから無意識に忌避されているのは当然であろう。そして富める大衆社会の政治行動は、決して我身には傷を負わぬという保証の下に、良心的なポーズを満足させる小さな小さな冒険に類するものになるであろう。一寸した薬味の利いた、薄荷のような淡い反体制的な感情が、拡大された中間層の基本的色調になるだろう。

 痛烈だなあ。しかし、嫌になるぐらい的確な批評だなあ。ペパーミント味の抗議活動で終わってしまう政治行動かあ。さらに...

 もはや「道理」は要らない。「道理」はガタピシして、持ち運びのために、壁のあちこちに傷をつくる厄介な家具であり、その上ノスタルジーと関わりがあるから、あまりに「主観的」なのである。思い出は要らない。消費経済の時代に歴史や伝統が何だろうか。何でも使い捨てればよいのであり、自分の教養のひけらかしに必要な骨董だけをとっておけばよいのである。

 イタタタ...という感じだな。教養のひけらかしに必要な骨董だけをとっておけばよい...、何だか自分のことを非難されているような気がしてしまい、落ち込んでしまう。会話やブログやSNSのネタになる骨董品的知識だけかあ。このあたりの話も不変だなあ。大衆社会にどっぷり漬かってしまっている自分を感じてしまう。
 最後に、現代における陽明学の意義について...

 われわれは心の死にやすい時代に生きている。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、(大塩)平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」という人が無数にふえていくことが想像される。肉体の延命は精神の延命と同一には論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである。
 社会は肉体の安全を保証するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかりを恐れている人で日本中が占められているならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこには肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。

 なるほど。そこで陽明学なのだなあ。と、訳知り風に書くことは陽明学の最も忌み嫌うところなんだろうなあ。わかっているならば、行動せよと。行動せずに、わかったことにはならないか。