エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー『機械との競争』

機械との競争

機械との競争

 今年のダボス会議の最大のテーマのひとつは、テクノロジー失業と格差だった。IT化の進展の結果、経済は成長しても、雇用が増えない世界に入ったのではないか。経済が拡大しても、0.1%の人間が富を享受し、99.9%は賃金も上がらぬまま、放置される世界になりつつあるのではないか。世界のエリートたちの間には、そんな問題意識があったという。そのベースともいえる本。インフォーメーション・テクノロジー(情報技術)の進化の現状とその影響、そして雇用、社会への影響について論じている。最後に提言も出て来るが、これは筆者自身が語っているように、問題提起でもある。いまだ確実な処方箋はなく、今後も試行錯誤が続くのだろう。日本ではまだ、この問題に関する関心は薄いようだが、既にエコノミストも特集を組んでいるし*1、テクノロジーの雇用(仕事と言ってもいいかもしれな)への影響は今後、論争を呼ぶことになりそうなだけに、刺激に満ちた本。
The Economist [UK] January 24, 2014 (単号) アベノミクスは、景気回復=雇用回復=賃金上昇という構図を描いているが、こうした20世紀的な展開はいまでも有効なのか。ジョブレス・リカバリーどころか、ジョブロス・リカバリーになってしまうのではないのか。どうなんだろう。そして、アベノミクスでは、輸出型大企業の復活から日本経済の復活という図を描いているようだが、果たして大企業が雇用拡大の受け皿になるのか。今後、IT化で、テクノロジーによる人員削減効果を最も享受できそうなのは大企業。大企業は雇用拡大の担い手としてはあまり期待できず、むしろベンチャーを始めとした中小企業を新たに創出することで雇用の場を広げていくしかないのかもしれない。筆者たちの提言の骨子も、そのための規制緩和となっている。規制は既得権益保護のためのものであり、そこから新たな雇用は生まれないとみている。すると、安倍政権が本気で「第三の矢」を打つつもりがあるのかどうか。第三の矢こそ雇用にとってはポイントになるなあ、とか、読んでいると、日本のことも気になってくる。
 人間が働かずに機械が働いてくれる「夢の世界」が現実になるのかもしれないが、それはそれで新たに問題を生み出す。雇用を生み出せないというか、人間が労働する必要ない社会になるのならば、むしろ、小飼弾さんが論じているようなベーシック・インカム用に社会的に所得を保障する世界というのもあるのだろうなあ。ただ、雇用というのは、単に生活費を得る手段というだけではなく、自分が社会に必要とされていることを認識することでもある。人はパンのみで働くにあらず、みたいなところもあるんだなあ。そこがまた雇用をめぐる議論の厄介なところかもしれない−−とか、読みながら、いろいろなことを考えてしまう。
 単行本だが、小論文といった感じで、一気に読めてしまう。目次で内容を見ると...

第1章 テクノロジーが雇用と経済に与える影響
第2章 チェス盤の残り半分にさしかかった技術と人間
第3章 創造的破壊−−加速するテクノロジー、消えゆく仕事
第4章 では、どうすればいいか
第5章 結論−−デジタル・フロンティア

 「チェス盤の残り半分」というのは「チェス盤の法則」ともいうべきもので、ある男が王様に、チェス盤の最初のマス目に米を1粒、次のマス目に2倍の2粒、3番目のマスに4粒と倍々に増やし、チェス盤分の米を所望する。結果、最終的に、米粒の数は2の64条マイナス1粒となった、というお話で、チェス盤の半分を過ぎるあたりから、最初の見通しを一変させるような加速度的な増加になり、結末が見えてくる。というわけで、テクノロジーも、その段階に入ったのではないかという。その例として、グーグルの自動操縦自動車などが紹介されている。SFに出て来る運転手のいない自動車はいまやリアルなものになってきた。そのとき、トラックやタクシーの運転手の仕事はどうなるのか?
 もろもろ刺激に満ちていて、印象に残ったところを抜書きすると...

 従来人間にしかできないと思われていた多くのことをコンピュータがこなせるようになっている。コンピュータが人間の領分をこのような速度と規模で侵食しはじめたのは、比較的最近のことだが、その経済的な影響は計り知れない。この現象で最も重要な点は、おそらく、こうだ。デジタル技術の進歩は経済全体のパイを大きくするだろう。少なくとも大きくする可能性はある。だが一部の人々、いや大勢の人々はそのパイにありつくことはできず、困窮することになる。
 しかも、コンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア、ネットワーク)は、この先さらにパワフルに、さらに高度になる一方である。そして仕事、スキル、経済全体に、これまで以上に大きなインパクトを与えるようになるだろう。いま私たちが直面している問題の根本原因は、大不況でも大停滞でもない。人々が「大再構築」の産みの苦しみに投げ込まれているということである。

 これが、この本の問題意識のベースになっている。
 こんな統計の魔術の紹介も...

 過去10年間の労働年齢世帯の収入に注目すると、伸びが鈍化するどころか、6万746ドルから5万5821ドルへと絶対値で減っているのである。世帯所得の中央値が10年ベースで減少したというのは、統計開始後初めての事態だ。インフレ調整後の実質ベースでもこの数字は減っており、こちらも史上初の現象である。
 その一方で、同時期の国民1人当りのGDPは堅調に増えているのである(大不況の期間を除く)。両者の対比は衝撃的である。
 なぜこんなに大きな差が出たのだろうか。その大半は、中央値と平均値のちがいから来ている。50人の建設労働者が居酒屋で飲んでいるところへビル・ゲイツが入ってきていちばん貧しい労働者が出て行ったら、その場にいる人間の平均資産額は10億ドルに跳ね上がる。だが、中央値すなわち分布のちょうど真ん中の資産額はまったく変わらない。

 これもまたニュー・エコノミーか。そんな状態になっているのだなあ。そして、テクノロジーがこうした所得構造を生み出している一因だとすれば、これは米国だけの特殊なことともいえなくなってくる。
 こんな話も...

 フランクリン・D・ルーズベルトは、1937年に行った再任演説の中で「すでにゆたかな人がよりゆたかになるかどうかではなく、あまりに貧しい人にどれだけ十分に与えられるかどうかによって、われわれの進歩は測られる」と述べた。しかし私たちが、ルーズベルトの望んだようにGDPを増やせなかったことは明らかである。
 この事実は、コンピュータの性能向上とくっくりとした対照をなす。技術の進歩には停滞はなかったし、ときに指摘されることだが富の創造にも停滞はなかった。停滞したのは所得の中央値である。この現象は、経済における所得と富の分配に生じた根本的な変化を反映している。端的に言って、中間層の労働者はテクノロジーとの競争に負けつつある。

 うーん。進歩すれば、みんなが豊かになる社会、という考えが必ずしも成立しなくなってきた。経済が成長しても、格差が縮小するわけではないということにもなってくる。
 で、こんな話...

 ここでとくに重要なのは、テクノロジーが労働者に置き換わる場合、資本財の所有者が手にする所得の割合の増加は、労働者の手にする割合の現象を意味することである。これは、昔から繰り返されてきた資本家と労働者の闘争にほかならない。ここに来てこの現象が目につくようになった。キャスリーン・マディガンが指摘したとおり、大不況の終結以来、設備およびソフトウェアの投資は26%の大幅増を記録している一方で、賃金はおおむね横這いとなっている。

 労働者の代わりにロボットが生産する会社では、利益は資本家のものということだろうか。理屈でも、そうなってしまうのか。少なくとも、利益が増えても、労働者には分配されないか。
 しかし、資本家に富が集中すれば、それは総需要を縮小させるリスクもないか。そこで、こんな小話も...

 フォードのCEOのヘンリー・フォード二世と全米自動車労働組合(UAW)の会長ウォルター・ルーサーが一緒に近代的な自動車工場を見学していた。フォードが冗談まじりにルーサーに言った。「ウォルター、ここにいるロボットたちからどうやって組合費を徴収するつもりかい?」。するとルーサーは間髪を入れずに切り返した。「ヘンリー、ここにいるロボットたちにどうやって車を買わせるつもりかい?」

 そうなんだなあ。農業、鉱業からは工業に雇用が移転し、工業からはサービス・流通などに雇用の移転が期待されている。でも、コンピューターはサービス・流通の仕事にも影響をおよぼす。どこに雇用の受け皿をつくるのか。大問題。しかも、テクノロジーの進化に加速が付いているから、さらに大変だなあ。
 仕事について...

 スキルと賃金の関係が、最近になってU字曲線を描き始めたという。つまりここ10年間、需要が最も落ち込んでいるのは、スキル分布の中間層なのである。最もスキルの高い労働者が高い報酬を得る一方で、意外なことに、最もスキルの低い労働者は、中間的なスキルの労働者ほど需要減に悩まされていない。

 これは労働需要の二極化が反映されている。肉体労働はコンピューター化による自動化が難しいからだという。なるほどなあ。わかるような気がする。ただ、中間層が壊れていくことは社会的な影響が大きいなあ。
 提言の中で、面白いのは著作権の保護は短縮すべきだとしていること。新しいアイデアは、既存のアイデアの組み合わせや新たな方法による現代的な再生によって生まれるという。既得権益の保護よりも、起業に重点を置くべきという発想。富の集中、格差を防ぐためにも、著作権の保護を長期化するのは過った政策というのは納得できる。新しい発想を生むために、しかも、多くの人が稼ぐチャンスを広げるためにも、金持ちの人達には鷹揚にしてもらわないと、世の中は回らないなあ。
 ともあれ、面白く、そして、考えさせられる本でした。

*1:「技術と雇用:将来の雇用状況に備えよ」(The Economist => http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39712