大政翼賛体制に最も批判的だったのは伝統的右翼だった?

   みんな右向け右みたいな1億総与党、異論を許さない社会のような状況になると、すぐに「大政翼賛会」的といわれる。ひとつの思想、信念に取り憑かれた結果、特に右翼的な思想に支配されて、というイメージを持っていたのだが、この本を読んでいたら、ちょっと風景が変わった。

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

 

  丸山真男の「超国家主義の論理と心理」に収録されている「日本ファシズムの思想と運動」のなかのこんな一節。

(昭和)17年4月にはいわゆる翼賛選挙が行われ、その年の5月「翼賛政治会」が結成されて、これが唯一の政治結社として存立したわけであります。ところがこれにはあらゆる政治勢力が雑然と同居しており急進的ファッショ団体から既成政党系、無産党系等が皆その中に網羅されており、このため政治運動として無内容のものになってしまったのであります。

  空気が支配する日本社会というか、勝ち馬に乗れ、というか、ひとつの思想集団というよりも、呉越同舟、烏合の衆。ドイツのナチスやイタリアのファシストとも違う。もっと曖昧な中身のない世界。思想より気分の国なのか。空気はあっても国民運動はないというか。「日本ファシズム」というと、すごいけど、背骨が見えてこない。もっと強力な統一された思想的な柱があるのかと思っていた。特に右翼こそがこの時代の主役かと思っていたら、東条政権下では...

東条の邪魔になる勢力はしらみつぶしにされ、「言論・出版・集会・結社臨時取締法」や「戦時刑事特別法」の改正によって一切の反対派を抑圧し、伝統をほこった右翼諸団体をも強制的に翼政と興亜同盟のなかに解消させてしまい、自らは陸相・軍需相・参謀総長を兼ねて首相として空前の権限をにぎったことは今更申上げるまでもありません。

  日本の強力な独裁政治を支えたのは、国民運動組織といえるナチス党でもファシスト党でもなく、憲兵網、明治以来の官僚支配様式という話になる。右翼も官僚の統制下に飲み込まれてしまう。

結局において上からのファシズム的支配の確立のためにていよく利用された形となった民間右翼勢力は皮肉にも戦争末期には東条独裁に対する厳しい批判者として現われた。最後の段階において最も東条を手こずらせたのは、こういう伝統的な右翼の勢力であった。

  戦前・戦中は右翼が支配したというイメージがあるが、伝統的右翼にとっては、裏切られた革命だったのか。昭和18年第81議会の戦時刑事特別法案の委員会で、赤尾敏大日本愛国党初代総裁)のこんな発言も紹介されている(原文はカタカナ・旧仮名だけど、ひらがな・現代表記で)。

大勢集めて形や組織だけ造って真面目な今までの実績のある従来の日本主義団体は皆潰してしまって、そうして信念も理想も何にもない便乗派や完了共を集めて皆政府の金で精神運動をやろうと云うのだから魂が抜けている。

  同じ委員会で中野正剛派の三田村武夫委員は...

今日本の政治の性格と云うものは実は官庁中心の政治なんです。別名之を官僚政治と云います。つまり批判のない政治なんです。.......批判すれば自由主義だと言う。批判をすれば自由主義だと言われるならば、私はその自由主義とは何ぞやと伺いたい。…....批判のない所に切磋琢磨はない。切磋琢磨のない所に進歩発展はありませぬ。

  何だか今の野党議員のような発言だが、戦時下、翼賛選挙で議席を得た議員さんの発言。で、丸山真男は総括として...

日本ファシズムの最後の段階において議会において最も反政府的立場に立ち、最も批判的な言動に出たのは、皮肉にも、日本ファッショ化の先駆的役割をつとめた民間右翼グループだったわけであります。

  歴史の皮肉というか、なんというか。自民・公明の絶対多数を基盤とした現代の安倍一強体制は、平成の大政翼賛体制といわれるが、天皇陛下との関係、米国との関係、そして官僚の問題など、日本の伝統的な右翼はどう考えているのだろう。

 最後に、この「超国家主義の論理と心理」、戦前の分析は快刀乱麻を断つ鋭さがあるのだが、戦後になると、切れ味が鈍ってくる感じがする。