年表を見ながら、オウム事件が起きた1995年を考える。戦後50年、バブル敗戦混乱期の日本の分水嶺?

 年表が好きだ。年表を見ていると、点に過ぎなかった出来事が、線となって時代の文脈の中に位置づけられ、さらに面となって、その時代の空気を今に伝えてくれる。オウム真理教事件があった1995年は、戦後50年の節目だった、この年を年表で振り返ると、終わりと始まり、さまざまなことが交錯した特異な年だったことを痛感する。

 世界初めての都市を舞台にした生物化学テロ、地下鉄サリン事件が起きたのは3月だが、その2カ月近く前、1月には阪神・淡路大震災が日本を襲っていた。ある日突然、日常を破壊する自然の大災危。終末感が漂う中で、オウム真理教は人為的に終末をもたらそうとしていたのだろうか。

「阪神大震災」全記録―M7.2直撃

「阪神大震災」全記録―M7.2直撃

 

  この時代の終末感の背景には、バブルの崩壊があった。1980年代後半のバブルの狂騒の後、1990年に株式市場は暴落、土地神話も崩壊する。ただ、バブルが崩壊してから、実体経済に影響が出てくるまでにはタイムラグがある。巨額の不良債権を抱えた金融機関は90年代前半、「既に死んでいる」と言いたくなる惨状だったが、その現実を認めようとしなかった。しかし、1995年になると、もう持たなかった。

 住友銀行が戦後復興期以降、都市銀行で初の赤字に転落したのが明確になったのが、この年の1月。そして、バブル期に銀行の別働隊ともいわれた住専に8兆4000億円の不良債権があると大蔵省が発表したのが9月。バブルの元凶を税金で助けるのかなどといった批判を浴びながら、政府は年末に住専7社の不良債権整理のために6850億円の財政資金投入を決める。

  ジャパン・アズ・ナンバーワン、債権大国と世界からおだてられ、踊り狂った末に奈落に転落した日本が、バブル崩壊の現実を認めて、公的資金の投入を含め、後始末に乗り出した転換点となる年でもあった。

バブル:日本迷走の原点

バブル:日本迷走の原点

 
ドキュメント住専崩壊

ドキュメント住専崩壊

 

   この年、為替は一時、1ドル80円を突破する超円高となる。日本経済の強さのためではなく、阪神・淡路大震災で日本が保有するドル資産を円に転換するのではないか、という思惑。その後、為替が80ドルを突破したのは2011年の東日本大震災のとき。日本が巨大地震に襲われたときは円売りじゃなくて円買いという投機の原点も1995年にあった。

 ともあれ、日本はバブル敗戦の混乱期にあった。何しろ、そのときの内閣は自民・社会・さきがけ連立政権。93年に自民党の一党支配は終焉、下野するが、94年に旧敵の社会党と連立を組み、しかも首相は社会党村山富市という究極の野合で政権を奪還。これ以来、さすがの自民党も連立でなければ、政権を維持できない時代に入る。昭和ではありえない何でもありの政治の始まりでもあったのかもしれない。

村山富市の証言録 自社さ連立政権の実相

村山富市の証言録 自社さ連立政権の実相

 

  この年は、東京と大阪で知事選があった。そして、選ばれたのは、東京が青島幸男、大阪が横山ノック。若い人はわからないだろうけど、テレビでのイメージは「意地悪ばあさん」と「タコ」。これ以来、巨大自治体の知事選では、識見よりも実績よりも知名度、それも「テレビで知られた顔であること」が勝つための最重要ポイントとなる。ある意味、「新しい政治」の幕開けともいえた。

意地悪ばあさんのうた (MEG-CD)

意地悪ばあさんのうた (MEG-CD)

 
知事の履歴書―横山ノック一代記

知事の履歴書―横山ノック一代記

 

  今から考えると、麻原彰晃のマンガみたいな話に、高学歴の優秀な若者たちがなぜ心酔し、あんなことに手を染めたのか、と思うが、あの時代、世の中がマンガだったともいえる。自民党がつくった「社会党の首相」があり、なんだから。そして、バブル敗戦の終末感に満ちていた。経済は既に秘かに崩壊していた。そこに巨大地震が襲った。それも不安視されていた東京でも静岡でもなく、神戸だった。どこに破滅が訪れるか、わからない。そんな世の中でオウム真理教が増殖していた。

 この時代、年表を眺めていると、本当にいろいろなことが始まっている。スポーツでも。

 野茂英雄が「あんな奴がアメリカで通用するもんか」とさんざん罵詈雑言を浴びながら、大リーグに移り、トルネード投法で大活躍、オールスターでも先発し、ナショナルリーグで新人賞をとったのは、この年。1995年は日本人が大リーグのスターとなる時代の始まりでもあった。野茂英雄は、異端を排除し閉塞感満ちた日本を飛び出して、海外に活躍の場を求めて生きていく時代のロールモデルともいえた。

 戦後をどう考えるのか。思想的にも、この年は転換点にあったようにみえる。自民・社会連立という不思議な政権のもと、社会党の首相は戦後50年談話で「植民地支配と侵略」についてアジア諸国に詫びる一方、自民党の閣僚たちは、侵略戦争、植民地支配を否定するような発言を繰り返す。自虐史観に反対する自由主義史観研究会が季刊「近現代史の授業改革」を創刊したのも1995年。

 小学館の「決定版・20世紀年表」をみると、「この年、戦後50年で過去の植民地支配・戦争の批判派と擁護派の対立が激化」と書いてある。この激戦は今も続く。

 ちなみに「月刊Hanada」の花田紀凱氏が編集長を務めていた文藝春秋の月刊誌「マルコポーロ」が「ユダヤ人大虐殺は作り話だった」と打ち出して、イスラエル政府やユダヤ系団体から猛抗議を受けて廃刊になったのも、この年だった。この手の路線の元年であったのかもしれない。

 そして沖縄問題。米兵3人が女子小学生を集団暴行して、沖縄に基地反対運動が燃え上がったのも1995年。戦後50年が経過し、本土に復帰しても、沖縄には敗戦の現実が残る。それを再認識したのも95年と言えそう。この問題もいまだに続く。

  年表を見ていると、いろいろな発見がある。1995年という年、日本にとって様々な終わりと始まりが交錯する年だった。オウム真理教事件という事件は特異だが、1995年という年も日本の分水嶺ともいいたくなるような特異な年だったように思える。

決定版 20世紀年表

決定版 20世紀年表