島田裕巳『葬式は、要らない』

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

 しばらく前に話題になった本だが、最近、知り合いの家で不孝があり、そのときに葬式やお墓の話が出てきたので、何となく思い出して、読んでみた。結論として、面白かった。葬式について考えるということは、日本の宗教、社会について考えることだった。この本は、葬式のノウハウ本ではなく、亡くなった人を送ることの意味とあり方を日本の宗教、社会、家族、そして、そうした変化に対応する葬儀ビジネスの変遷から考えていく。結局、葬式が要るのか、要らないのか、判断するのは読者本人なのだが、その判断の手がかりを与えてくれる。
 しかし、知り合いのこともそうなのだが、葬式やお墓のことで、これだけ考え込むようになるのは結局のところ、日本の社会が「家」から「個人」に移ってきたところに主因がある。指摘されてしまうと、あ、そうだよね、という話なのだが、この「個人」化してしまった日本に合った「おくるスタイル」がいまだに確立されていないところに、悩みの根っこがある。従来型は、家を中心に、ムラ社会的な世間体を意識したスタイル。それじゃないよな、と思いつつ、次の形が見えない。家族葬とか、ギョーカイも対応を進めているが、埋葬の方法を含めて、新しい「おくるスタイル」に向けての過渡期にあるのだな。不謹慎な言い方をすると、ここにビジネスチャンスがあるのかもしれない。
 最後に目次を紹介すると...

第1章 葬式は贅沢である
第2章 急速に変わりつつある葬式
第3章 日本人の葬式はなぜ贅沢になったのか
第4章 世間体が葬式を贅沢にする
第5章 なぜ死後に戒名を授かるのか
第6章 見栄と名誉
第7章 檀家という贅沢
第8章 日本人の葬式はどこへ向かおうとしているのか
第9章 葬式をしないための方法
第10章 葬式の先にある理想的な死のあり方

 寺院が成り立っていくのに「必要な檀家は最低でも300軒」とか、スタンフォード大学は米国の富豪が早くして亡くなった子供の思い出のために創設されたとかいった話も入っている。第8章で紹介されている柳田国男の「先祖の話」も気になった。こちらもいずれ読んでみるか。