「考える人」編集部編『伊丹十三の本』

伊丹十三の本

伊丹十三の本

 偶然見かけて読み始めたのだが、改めて伊丹十三という人は才人だと思う。エッセイも、イラストも、テレビも、映画も、どれも斬新で一級品。生活を極めるアーティストといっていいのかもしれない。時代をスケッチするのがとても上手な人だった。写真も豊富で、本人の代表的なエッセイのほか、伊丹十三と親しかった人たちのインタビューや寄稿で構成されており、伊丹十三の一生を辿る本といえる。
 伊丹という人は基本的に雑誌編集者タイプであったのかもしれない。エッセイも、イラストも、演技も、監督した映画も、どれも取材して、体験して、素材を集めて、それをまた削ぎ落してエッセンスを凝縮する編集によって創り出していったようなものに思える。文章であったり、イラストであったり、映像であったり、それぞれのメディアによる特集であり、コラムであり、という感じがする。すぐに飽きてしまって、スタイルが変わっていくところも雑誌っぽい。実際、「モノンクル」という雑誌をやっていたこともある。
ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫) そう考えると、1997年に亡くなったことがつくづく惜しい。伊丹十三が活躍するメディアが生まれる直前だったから。伊丹十三が実力を存分に発揮できるメディア、ウェブマガジンだったのではないか、と思えるのだ。テレビ、映画で次々と新分野を拓き、さらにデザイナーとしての実力もある伊丹氏だったら、どんな面白いメディアだったか。また、伊丹氏としても挑戦のしがいがあったのでは。糸井重里氏が「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたのが、1998年6月6日。伊丹十三の自殺が1997年9月27日。もう少し生きていてくれたら、と思ってしまう。
 もうひとつ、伊丹十三の死については、謀殺説があったりする(「ミンボーの女」に絡んで暴力団に襲われたことがあったし)。ただ、この本を読んでいると、粋でダンディで何でもプロのようにできる「伊丹十三」となるために、人の見えないところで必死に練習している姿が、伊丹と親しい人の話の中で出てくる。それを読んでいると、かなり無理をしていた人のようにも思えるし、悩みを人に見せないタイプであったようにもみえる。となると、やはり、あれは自殺だったのだなあ、と思えてくる。そして、どこか当時は映画に行き詰まっているようにも見えた。だからこそ、ウェブメディアの時代まで生きて、デザイン、エッセイ、テレビ、映画と軽やかに越境してきたように、今度は伊丹流の新しいウェブマガジンの形を見せて欲しかったと思う。
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