松下電器を再建した山下俊彦氏が死去

松下電器産業、現在のパナソニックの3代目の社長で、就任当時、末席に近い取締役からの大抜てきで話題となった山下俊彦元社長が、先月28日、亡くなっていたことが分かりました。92歳でした。山下元社長は、当時の大阪市立泉尾工業学校を卒業したあと、昭和13年に松下電器に入り、昭和52年、創業家以外で初めて社長に就任しました。

 いまはパナソニックになった松下電器産業で、創業家以外から選ばれた初めての社長。役員序列を飛び越えた大抜擢人事で、当時体操で有名だった山下選手のワザの名前をとって「山下跳び」といわれた。ただ、それほど異例の人事をとったのは実はそのとき松下電器が危機的状況にあったから。山下社長は松下の経営を立て直した。それも松下幸之助という偉大な創業経営者がいるなかでの大改革だったのだから、ものすごい経営者だった。その経緯は『ぼくでも社長が務まった』に詳しい。この本、山下氏の半生記だが、トップクラスの経営の教科書だと思う。パナソニックはいま、再び経営的に難しい状況にあるが、新たな山下さんが求められているのだろうなあ。

ぼくでも社長が務まった

ぼくでも社長が務まった

 ※ 絶版になっているようだが、絶版にするには惜しい本。経営者自らが書いたベスト経営書のひとつ