佐野眞一『怪優伝−−三國連太郎・死ぬまで演じつづけること』

怪優伝――三國連太郎・死ぬまで演じつづけること

怪優伝――三國連太郎・死ぬまで演じつづけること

 先日、死去した三國連太郎が87、88歳のときに自薦・代表作10本について行ったインタビューを軸とした三國連太郎伝。三國連太郎というと、佐藤浩市との確執を生むことにもなった破天荒な生活、女性遍歴から無頼派というか、野生派というか、感覚のまま演技しているというイメージが強かったのだが、このインタビューを読むと(晩年だったからかもしれないが)、かなり繊細で緻密な演技派という感じがする。俳優・役者、それも映画俳優として貪欲で、頑固な人という感じがした。
 映画俳優として、キメたり、ためたりする演技には否定的で、自然な演技を志向し、その点で、長男の佐藤浩市の演技も認めていない。親子の確執もあったうえに、そこに演技論の確執が乗っかている感じがした。多くの名監督の演技に出ているが、木下恵介市川崑山田洋次には嫌われていたと自称する。リハーサルと同じ演技をせず、毎回、違う演技をするから。黒澤明の映画から声がかからなかったのも、そのためという。自分のイメージをきっちりと作りこみたい監督とはダメだったということなんだろうなあ。ヒッチコックもダメだったかも。
 筆者であり、聞き手である佐野眞一は、週刊朝日に連載した橋下徹大阪市長に関する連載「ハシシタ」で問題になり、連載も打ち切りになったわけだが、この本でも、三國の出自にこだわる。そこから、三國の人間性を描き出そうとするが、この手法が暴走したのが「ハシシタ」だったのだろうなあ。加えて、「ハシシタ」には、三國に対して見せている取材対象の人物に対する敬意や愛情がないから、悪意・偏見・差別だけが際立ってしまったのだろう。
 ともあれ、芸談としても面白く、日本映画黄金時代の作品に賭ける現場の情熱が伝わってくるし、伝説的な映画俳優に対する評価も面白い。名優と言われている人でも、あまり印象に残っていないというようなにべもない回答が返ってきたりする。一方、高倉健については、ぶっきちょとも見えた「飢餓海峡」の演技を称賛し、高倉をスターにした一連のヤクザ映画シリーズについては出るべきではなかったという。この点、プログラムピクチャーの世界からいち早く脱し(五社協定違反第1号)であり、出演作にこだわった人らしい。ある対談で、緒形拳から「なぜ、釣りバカ日誌に出たのか」と問われ、言葉に詰まったというエピソードが紹介されているが、プログラムピクチャーを嫌った人が最後の代表作は、最後のプログラムピクチャーと言いたくなるような「釣りバカ日誌」シリーズだったのだから、そのあたりの心境はちょっと複雑なものがあったのかもしれない。
 というわけで、本の構成は3部構成で、第1部が「生きることと、演じること」、第3部が「三國連太郎と佐藤政雄のあいだ」(佐藤政雄は本名)。この間の第2部は、CSの衛星劇場三國連太郎の芸歴60年(還暦)を記念して、三國が自薦した10本の映画を一緒に見ながら、インタビューするという「怪優と見る日本映画縦断」。
 その10本は...
内田吐夢監督「飢餓海峡
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山本薩夫監督「にっぽん泥棒日記
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渋谷実監督「本日休診」
<あの頃映画>本日休診 [DVD]

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市川崑監督「ビルマの竪琴
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家城巳代治監督「異母兄弟」
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今井正監督「夜の鼓」
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吉村公三郎監督「襤褸の旗」
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今村昌平監督「復讐するは我にあり
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勅使河原宏監督「利休」
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山田洋次監督「息子」
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 日本の代表的な監督の映画に出ているのだなあ。こうして見ると、佐藤浩市には、もっと作品を選べ、と言いたいのかもしれない。周囲に嫌われても、と。本の中では、「魚群の群れ」などに佐藤浩市を使った相米慎二監督が早く亡くなったことが不運だったという話も出てくる。
 読んでいて、「飢餓海峡」をもう一度、見てみたくなった。未見の映画では「利休」に興味を持つ。
 最後にひとつ。この本では、三國連太郎について「週刊文春」1966年3月28日号の、こんな記事を引用している。

 三国連太郎という役者は、伝説につつまれた役者である。彼をめぐるウワサを拾ってみると、すべての点で、意見が正反対に極にわかれ、いったいどれが真実の三国連太郎なのか、わからなくなってしまう。
 ホントはキチガイで、低能に近いバカだという話もあれば、たいへんなインテリで、知性派の役者だという人もいる。ものすごい女タラシで、ベッドの上ではたいへんしつこい、という人もいれば、ホントはインポで、女ぎらいだという話もある。
 金のためには何でもする、没義道な男だ、という声がある一方、金勘定はまるきりダメで、情にもろい男だという声もある。傲岸不遜なラッパ吹きだという人もいれば、小心で臆病な、腰の低い人物だという人もある」

 どれも本当なのかもしれない。三國夫人のインタビューもあって、そこで印象に残る言葉は...

夫人 役柄によって性格が微妙に違ってくるんです。もちろん家に帰ってくれば、佐藤政雄には戻るんですが、三國の場合はずっと三國を背負っているようなところがありますね。(略)どれが本当の三國だかよくわからなくなることがあります。だから(佐藤)浩市さんも、子どものころは戸惑ったんじゃないでしょうかね。あのころは、まず家に帰らなかったそうです。
−−撮影に入るとですか。
夫人 ええ、もう集中していますから。家に帰ると素に戻っちゃうのが怖いんでしょうね。平気で半年ぐらい家を空けちゃえば、そりゃ家庭はおかしくなりすよね。

 そして、こんな話...

−−殺人鬼の父親を演じたと思ったら、利休を演じる。人は、この男の頭の中はいったいどうなっているんだろうと思うでしょうね。
夫人 本質はすごく優しい人だと思いますよ。傷つきやすいし、女性的な神経の持ち主だから、繊細ですよ。
−− 演じることは憑依することです。繊細で傷つきやすくなければ、あれだけ多彩な役柄は演じられないでしょうね。
夫人 それは欲だと思います。役者ということに対して、こんなに欲深な人はいないと思います。ほかには、物欲も金銭欲もないんですが、こと芝居となると恐ろしくなるほどのめりこんでしまうんです。

 役者だったんだなあ。そして、役者は因果な商売なんだなあ。
 三國連太郎は酒を飲まないという、それもちょっとイメージと違って、不思議だった。