三島由紀夫「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」

- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/06
- メディア: 文庫
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炯眼の観客は女らしさの極致というべき『サド侯爵夫人』の奥に、劇的論理の男性的厳格さが隠されており、男らしさの精髄ともいうべき『わが友ヒットラー』の背後に、甘いやさしい情念の秘められていることを看破するにちがいない。やはり劇は、陰陽の理、男女両性の原理によってしか動かないのである。
なるほど。そして、こう続く。
『サド侯爵夫人』における女の優雅、倦怠、性の現実性、貞節は『わが友ヒットラー』における男の逞しさ、情熱、性の観念性、友情と照応する。そしていずれもがジョルジュ・バタイユのいわゆる「エロスの不可能性」へ向って、無意識に衝き動かされ、あがき、その前に挫折し、敗北していくゆくのである。もう少しで、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで、人間の最奥の秘密、至上の神殿の扉に振れることができずに、サド侯爵夫人は自ら悲劇を拒み、レームは悲劇の死の裡に埋没する。それが人間の宿命なのだ。
私が劇の本質と考えるものも、これ以外にはない。
2つの戯曲を読んでみて、納得です。