アンドレ・モーロワ「フランス敗れたり」

フランス敗れたり

フランス敗れたり

 第2次大戦。フランスはなぜ、ドイツの電撃作戦にあっけなく敗れ去ったかというフランス側からの分析。フランス版の「敗戦真相記」のような本。1940年、まさにフランスの敗北直後に書かれた本だけに、当時、フランスと英仏連合軍がどのような状態にあったのかが生々しく書かれていて、面白い。軍備の状況、政治情勢、社会情勢など、第1次大戦後の反戦気分がかえってドイツに対する準備を遅らせてしまった。また、政治も内向きで、対独政策よりも、国内の政争に明け暮れる。首相と蔵相が対立し、果ては有力政治家の愛人同士が競い合い、その対立に拍車をかけるというフランス的な話が出てきたりする。政治家と軍人の信頼関係もなし、軍備もないままに強硬論が展開されたり、国は外敵によって滅びるのではなく、内側から崩壊していくというのが、よくわかる。で、同盟国から、こんなことをいわれることになる。

 「彼等はお互い同士の間で戦争をするのに忙しいから」と、ある英国の将校は言った。「彼等にはドイツと戦争をする暇がないんだ」

 敗戦の背景には、政治が信頼が失い、議会が機能しなくなっていたことがあるという。で、こんな話も。

 党派間の争いが階級間の争いとなった時、議会制度という政治形態はもはや機能を失ってしまうということです。議会制度政治形態に必要になる条件は何でしょう?それは一党が他党に代って権力を握るということが、多数の人々の希望である場合には、少数の人々はある特定の期間、多数に服従し、多数に治められ、しかも、これが暴力によらず自由の立場でなされるということでしょう。少数が多数に服従する為に必要にして充分なる条件は何でしょう? それは「多数が公平に行動するに相違ないという確信」です。議会制度、民主主義政態においては、一党による権力の掌握が、迫害の始まりと考えられるようなことがあってはならない。英国では自由党と保守党は何等の疑惧の念もなしに交互の政権を握ったものであるが、このことは今日の英国の保守党と労働党との関係においても真実です。それは労働党は英国の労働者の利益を擁護しながらも、革命の党となることを拒否しているからです。

 なるほどねえ。もう資本主義VS共産主義の時代ではないから、この構図がそのまま当てはまるわけではないが、政権交代のある政治とは何かを考えるうえで参考になるなあ。こうしたところがないと、対立と混乱の政治に陥ってしまう。
 で、モーロワが考える祖国の救済策

 強くなること
 敏捷に行動すること
 世論を指導すること
 国の統一を保つこと
 外国の政治の影響から世論を守ること
 非合法暴力は直接的かつ厳重に処罰すべきである
 祖国の統一を撹乱しようとする思想から青年を守ること
 治めるものは高潔なる生活をすること
 汝の本来の思想と生活方法を熱情的に信ずること

 こちらもなるほど。真っ白である必要はないだろうが、高潔さがないと(正確には「高潔なイメージ」?)、政治は信頼されないのは、民主主義体制では不可欠な要素となってくる。
電撃戦という幻〈上〉 ということで、もろもろ参考になったが、筆者は軍人というものの、作家・評論家であるため、文学的な傾向が強い。第2次大戦のさなかに書かれているだけに仕方がないが、電撃戦そのものについては、カール=ハインツ・フリーザーの『電撃戦という幻』が最も参考になる。フランス軍の指揮命令系統の問題について活写されているが、ドイツ自体も軍が一枚岩だったわけではなかった。そして初期の電撃戦の華々しい成功が神話となり、その後のソ連侵攻での敗北をもたらすことになる。
 訳文が古い感じがするのが気になったが、これは昭和15年(1940年)に発行された本の復刻だからだった。しかし、この本がすぐに翻訳されて、日本で出版されていたのも、すごい話。しかも、ベストセラーになっていたらしい。あと、細かなところで、粗いところが散見された。特に表紙の写真。パリを行進する軍隊なのだが、この写真の軍隊は連合軍。「フランス敗れたり」だから、本当はパリを行進するナチスの写真が表紙であるべきなんだろうが。