マーク・エリオット「クリント・イーストウッドーーハリウッド最後の伝説」

クリント・イーストウッド―ハリウッド最後の伝説

クリント・イーストウッド―ハリウッド最後の伝説

 出生から(いまのところ)最後の主演作「グラン・トリノ」まで語られるクリント・イーストウッドの伝記本。派手な(放埒な?不道徳な?)女性関係も、ソンドラ・ロックとの泥沼化した別れ話も、捨てられた友人・知人たちの怨嗟の声も収録されており、ホメホメ本とは違う。読んでいると、壮年期までは相当嫌な奴だったかもしれないと思う一方、最初から好きな映画を低予算でしっかり創る方針で自分の映画プロダクション「マルパソ」を経営するなど映画作家としては傑出していたと思う。取っ換え引っ換えの女性関係は別として、仕事での人間関係は創作という仕事である以上、ある程度、冷たさを伴なうことかとも思う。才能が輝く時期は短いし、次から次へと才能がある人は出てくるから、その間で離合集散はやむを得ない面がある。そうした面での非情さも作家の条件なのかもしれない。
 この伝記を読むと、イーストウッドというのは極めて私的な映画作家であると思う。映画自体はフィクションで、虚構の世界の人物に昇華されているのだが、過去に非道の限りを尽くした「許されざる者」のウィリアム・マニーも、過去の所業の悪夢に苦しみ、うまく人間関係をつくれないまま老いに直面した「グラン・トリノ」のウォルト・コワルスキーにしても、イーストウッド個人が反映しているところがある。イーストウッドの人生の年輪がそのまま映画の重みになっていく。
 しかし、読んでいて、それでもわからなかったのは、「許されざる者」「グラン・トリノ」、それに「ミリオンダラー・ベイビー」「ミスティック・リバー」といった映画に流れる暗さ。本人はスターだったし、テレビ俳優から映画に移行するのに苦労したとはいっても、私生活では好き勝手に暮らしていたように見える。それで、どうして、あれだけダークな世界に固執するのか。大恐慌時代に育ったことに関係があるのか。心のなかに闇があるのか。あるいは、どこかで闇を見たのか。そのあたりに興味があって伝記を読んでみたのだが、その謎は解けなかった。
 で、この本、各作品を興行収入で評価しているところもあり、そこが米国風とも思えた。稼げなければ、次の作品がつくれなくなってしまうから、大切なことではあるのだが。「硫黄島からの手紙」も敵側(日本側)の視点から映画を創るという構想と意欲は買うが、興行的には成功しなかったという評価だった。で、さらにいうと、こうした映画をつくる発想がどうして出てくるのかもイーストウッドの謎だったのだが。単純には、マカロニ・ウェスタンで成功を掴んだ国際人というところになるのかもしれないけど。