タイラー・コーエン『大停滞』

大停滞

大停滞

 1年前に出版されて評判になった本。へそ曲がりだから、みんなが評判にしているホットなときは読む気がしなくて、ちょっと間が開いてから、読んだりする。で、この本は評判通り、刺激的だった。フロンティアもイノベーションもなくなった今は「大停滞期」にあり、その前提の上で政策を考えていくべきだという。インターネットは実体経済の成長に影響を与えるほどのインパクトを持つにはいまだ至っておらず、金融危機も、財政危機も、また、それに対応した政策も、そうした時代認識の上で考える必要があるという問題提起は説得力がある。薄くて、すぐに読めてしまう本だが、中身は濃く、いろいろと考えさせられる。
 目次で、内容を見ると...

第1章 容易に収奪できる果実は食べつくされた
    無償の土地、イノベーション、未教育の賢い子どもたち
第2章 経済の生産性は見かけほど向上していない
    政府部門、医療部門、教育部門の本当の「成長力」
第3章 インターネットはなにを変えたのか?
    ものの値段、「生産」の意味、収入のあり方
第4章 容易に収奪できる果実の政治学
    再分配派の誤り、減税派の誤り、保守とリベラルの逆転現象
第5章 深刻な金融危機を招いた「真犯人」
    金融機関幹部と美術館長、そして私たちみんなが犯した過ち
第6章 出口はどこにあるのか?
    過去と現在、その大いなる違い

 目次を読んでいるだけで、だいたいの内容はわかりそう。で、印象に残ったところを抜書きすると...

 近年で最も生産性が上昇した時期は、2009〜2010年だ。一部の産業では、労働者一人の1時間当たりの生産性が年率換算で5%以上高まった。しかしこれは、目を見張るような新しいテクノロジーが登場した結果ではなさそうだ。雇用主が従業員を大量に解雇し、残った従業員で以前と同等の生産高を維持したために、生産性を表す数字だけが上昇したのである。(略)ここ数年は、「生産性の低い従業員を割り出し、その人物を解雇する」というのが企業の生産性を高める最大の方法になっている。

 これは最近の日本企業でも同じだなあ。業績回復を解剖していくと、これと同じことがあるような...。
 一方、健康保険・医療保険の問題...

 アメリカの有力シンクタンクであるランド研究所が1970年代におこなった有名な研究では、一つの実験として、何千人ものアメリカ人に全面的に無償で医療を提供した。それと並行して、別のグループでは通常どおり、医療費の自己負担分を支払わないと医療を受けられないようにした。すると、無償で医療を受けられるグループのほうが25〜30%多く医療を受けた。しかし最貧層を別にすれば、好きなだけ病院にかかれる医療費無償のグループが有償のグループより健康状態が良好という結果にはならなかった。

 このあたりが医療費の負担を考える上で難しいところなのだろうなあ。
 現代のイノベーションの代表格であるインターネットの果実について...

 新しい〝容易に収穫できる果実〟は、売り上げを生み出せる産業には存在せず、私たちの頭の中と楽歩トップパソコンを載せる膝の上にあるのだ。〝容易に収穫できる果実〟はいまもあるが、昔とは果実の性格が変わった。その結果、幸せや人間的成長を得るには楽観的になれるが、収入を得たり、債務を返済したりすることには悲観的にならざるをえなくなった。イノベーションは止まっていないが、昔と異なる形で、あまり予想されていなかった分野でイノベーションが起きるようになったのである。

 そうだなあ。このインターネットと経済活動をどう結びつけるかというところは、これからなのだろうなあ。あるいは、これからもないのか...。
 大統領選挙でも争点になっている減税派と所得再配分派。どちらも大停滞では、その政策は機能しないという。大停滞下では、減税をして景気が良くなって政府の歳入が増えるというのは絵に描いた餅。減税をすれば、政府の歳入も減る。そして...

 一方、左派の間では、〝大停滞〟が長引くほど、所得の再分配を求める声が強まる。たしかに、金持ちから金を取り上げて、貧しい人たちにわけ与えれば、低所得層と下位中所得層の実質所得を増やせるーー一時的には。しかし財源なき減税と同じように、この政策も永遠には続けられない。
 現段階ですでに、アメリカの所得上位5%の層が所得税の税収の43%以上、上位1%の層が27%以上を負担している。

 どちらにとっても〝容易に収奪できる果実〟はなく、「実質所得はしばらくは緩やかにしか伸びず、現在のペーで借金を重ねることはできない」というのが現実だが、それでは選挙に勝てない。「そこでアメリカの政治は、嘘と誇張であふれ返るようになった」というのが、これは日本でも同じだなあ。で、こんな話になる。

 経済成長が鈍化すれば、政府が利益団体を満足させることが難しくなる。アメリカの政治を単純化すると、「利益団体が経済のパイの大部分を奪おうとして政治にはたらきかけ、それを黙らせて政治の秩序を保つために、政府がなんらかの形で補助金の類を与える」という構図になる。企業向けの優遇税制、学校教師の過剰な雇用保険、メディケアにおける医療機器メーカーへの手厚い支払いは、そうした数ある「補助金」の一部にすぎない。利益団体はそれを受け取り、しばらくは満足する。その間に経済が成長し、利益団体への利益提供の財源がまかなわれる。こうした利益提供がなされないと、利益団体は引き下がらない。
 しかし、利益団体の飽くなき欲求は、やがて経済を窒息させてしまう。経済成長のペースが落ち込んだとき、どういう問題が持ち上がるかは、想像がつくだろう。政府の歳入が減るので、利益団体を利益提供で黙らせることが難しくなる。そこで、利益団体は政治に影響力を及ぼそうとして、いっそう運動を強化する。その結果、経済の効率が悪化し、悪循環に拍車がかかる。政治の機能不全がさらに深刻になり、それに足を引っ張られて、〝大停滞〟から抜け出すどころか、むしろ状況が悪化する。たとえ私たち一人ひとりが低成長下で満足して生きる道を見いだせたとしても、利益団体という貪欲な獣を飼っている現代政治の仕組みと、経済の低成長は相容れない。

 アメリカの話だけじゃないなあ。日本もこれに当てはまる。
 技術と統治について...

 自動車、飛行機、機関車が登場して、近代官僚制の影響力が及ぶ地理的範囲は大きく広がった。アメリカの南北戦争では、鉄道が北軍の勝利を後押しし、国家の分裂が避けられた。(略)連邦政府の職員、警察、軍隊が比較的容易に全国を移動できるようになり、税を取り立てやすくなった。あまりコストをかけずに、官僚機構の定めた規則が印刷された書類を津々浦々に送り届けることも可能になった。牛車の時代であれば、政府は巨大化することはありえなかった。

 電子的な通信手段、科学的マネジメントが国家管理の20世紀をつくったのだなあ。強制収容所も含めて。
 一方、金融危機が繰り返される理由はだた一つ

 私たちは、自分たちを実際以上に豊かだと誤解していた。

 科学や技術や知識を過信して、リスクを抱え込みすぎた。金融工学やら何やらを駆使して人間は、どんなリスクも管理できる神のような存在になった勘違いしたのだよなあ。そのくせ、金融工学の中身についてまで理解しようという人は少なかった。その点については...

 「社会的動物」である人間は、どうしてもほかの人たちの行動が気になる。その半面、私たちは、実際にどの程度のイノベーションが実現しているのかという無味乾燥なデータに目を向けない。

 そして、政治家がこうしたリスク管理の欠如に無頓着な理由...

 なぜ、政治家はこのようなリスクの大きな行動をやめさせず、ときにはそれを後押ししたがるのか。理由は単純だ。政治家は概して、2年、4年、6年といった短い時間の単位でしかものを考えない。目先の選挙を乗り切れれば、それでいいと思っている。当時、そのままにしておけば短期的に消費が増えることは明らかだったし、みんなが現状に満足しているように見えた。それに、アメリカの連邦議会選挙では、現職がたいてい再選される。こんなに都合のいいゲームをおしまいにする必要はないと、政治家は考えたのだ。

 これまた説得力があるし、日本も同じだなあ。官僚も自分の役職の任期しか考えないし...。
 最後に、この大停滞期を抜け出す出口に向って、好ましい変化も始まっているという。それは3つあって…

1)インドと中国で科学と工学への関心が高まっている
2)インターネットが従来より収入を生むようになる可能性がある
3)アメリカの有権者の間で、高校までの初等・中等教育の質を向上させ、学校に責任を持たせるために、目に見える措置を講じるべきだと考える人が増えている

 結局、技術革新が〝容易に収穫できる果実〟を生み出すのだな。そのために科学者の社会的地位を高めていく必要があるという。
 面白く、刺激的な本だったが、唯一、違和感を覚えたのは、日本が低成長へ移行していく社会のモデルケースだという部分。確かに治安の面からみたら、そうなのかもしれないけど…。これは外から見ているのと、中から見ているのと違いだろうなあ。低成長が続くなかで、さまざまな軋みが生まれているし、社会の奥深くに憎悪が蓄積され、それが時々、異様な事件になって噴出したりしている。それでも、暴動や暗殺が起きたりする国に比べれば、安定しているのだろうけど…。
 で、読み終わって思うのは、現代はモノもカネもヒトも溢れているが、イノベーションのアイデアが足りない時代であるということ。だからこそ、フェイスブックなどのアイデアに法外な値がつくというのだが、これもまた説得力があるなあ。そして、それがまた社会的な軋轢を大きくするんだけど。
 最後の最後に、もう一つ。この本、まず電子書籍として出版されたことで話題になったのだが、アマゾンで見ると、Kindle版は出ていないようだった。原作は、Kindle版があった。