AIIB構想で思い出したのは、ダンビサ・モヨの本の一節。途上国にとって、なぜ「中国は朋友」なのか

 中国が提唱するAIIB(アジアインフラ投資銀行)設立構想。いつの間にか英国、ドイツが参加してしまい、米国、日本は一段と中国批判を強めている感じだが、AIIB構想を聞いて、まず思い出したのは、この一節。

 一般的に、多くのアフリカ人は、中国がアフリカの汚職やならず者の政治家たちを間接的に支援し、そのために欧米諸国が駆逐されるとは考えていない。なぜなら、アフリカには、ザイールのモブツ大統領、ウガンダのイディ・アミン大統領、中央アフリカのボカサ「皇帝」(彼は殺害された犠牲者の頭部を冷蔵庫に保存していたといわれている)などの悪名高い略奪者や独裁者がいるが、彼らは、欧米諸国による善意と透明性に満ちた援助が行われる中で、出現し、繁栄してきたのだから。
 アフリカのリーダーたちは、かつては国際機関による細かい政策指導を受け入れてきたが、今では、たとえお金と引き換えであっても、それには前向きではないようである。おそらく、大量のペーパーワークと次々に訪れる欧米のうるさいドナーにうんざりしたのかもしれない。あるいは、単に、中国の「面倒なし、質問なし」方式を、実際に機能する新しい開発モデルとして考えるようになったのかもしれない。たとえば、アンゴラでは、インフラの再建設が緊急に必要であるが、そのために、IMFとパリクラブの債権者たちのしらみ潰しのような、永遠に終わりそうもない条件交渉に付き合うより、中国の単純アプローチのほうが魅力的に見えるのだろう。アンゴラエコノミストであるホセ・セルケリアによると、IMFにとって理想的な途上国の態度は、威張らず、「耳だけもって、口はいらない」というものだが、中国はこのような方針をは取っていないため、中国は歓迎だという。
 少なくともアフリカでは、誰しも、中国が、オイル、金、銅、その他の地下資源を求めていることを否定できない。しかし、平均的アフリカ人にとっては何の利益もないというのは、偽りであり、中国を批判する人たちさえも、それは承知している。

 ザンビア生まれのエコノミスト、ダンビサ・モヨの『援助じゃアフリカは発展しない』の「中国人は朋友なり」に出てくるフレーズ。AIIBは、アジアのインフラ整備を目的にしたものだが、投資を受ける側の心情はアフリカと大差がないかもしれない。カネと一緒に米国的な価値観まを押し付けられたり、途上国を見下すような官僚のあら探し、お役所仕事に付き合わされるのに辟易しているところもあるのだろう。シンガポールリー・クアンユーのように人権の前に国民の生活水準の向上と考えている指導者は途上国に少ないないのかもしれない。
 そうした諸事情を考えると、AIIBが出てくることに不思議はない。中国には中国の野心があったとしても、それでも、そっちのカネのほうが米国主導型よりまだいいと思う需要もあるのだろう。むしろ、世界銀行IMFアジア開発銀行などが途上国の不満に対応しつつ、どのように透明性、経済性、倫理性とのバランスをとっていくのか、進化が必要になっているのかも。「中国人は朋友なり」というタイトル自体、欧米社会に対する問題提起とも言える。AIIBも同じように捉える話なのかもしれない。
 財務省アジア開発銀行総裁のAIIB批判をみていると、アジア開発銀行の総裁ポストをほぼ独占している財務省(大蔵省)が天下りポストを失うのではないかという不安がAIIB批判の原動力ではないかと思えてしまう(歴代総裁9人中8人。2代目だけが日銀出身)。AIIBの金融的、実務的な問題よりも、まずポストを脅かされることが許せないんじゃないかと。
 勘ぐり過ぎだとは思うけど、だとしたら、総合商社のプロジェクト・ファイナンスのノウハウを提供しましょうとか何とかいって、商社の所管官庁である経済産業省がAIIBのほうに食い込むとか、日本も欧州勢のように老獪に立ちまわる手もあるのかも。財務省が透徹した思考の上で行動しているのならばいいけど、ポストの打算で動いているならば...。まさか省益あって国益なしの人々じゃないと思うけど...。万が一、省益の人ならば、経産省に省益を追求してもらって国益のバランスを取るとか...。
中国主導のインフラ銀行を拒絶する愚 | 英 Financial Times(JBpress)
ダンビサ・モヨ『援助じゃアフリカは発展しない』を飛ばし読み;「援助」という国際・貧困ビジネス - やぶしらず通信

援助じゃアフリカは発展しない

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