デイヴィッド・カービー『フィンランドの歴史』

フィンランドの歴史 (世界歴史叢書)

フィンランドの歴史 (世界歴史叢書)

 中世から現代(2000年)に至るまでのフィンランドの歴史を語る。スウェーデンとロシアという強国に挟まれ、独立を宣言したのは第一世界大戦の最中、ロシア革命の混乱期の1917年12月だったということは知らなかった。独立国家としては、まだ100周年にもならない若い国だったのだ。ちょっと意外な感じもする。
 目次から内容を見ると...

第1章 中世の辺境地方として
第2章 スウェーデンの遺産
第3章 ストックホルムからサンクト・ペテルブルク(1780〜1860年
第4章 萌芽期の国家(1860〜1907年)
第5章 独立国家(1907〜37年)
第6章 戦争と平和(1939〜56年)
第7章 ケッコネンの時代(1956〜81年)
第8章 国民国家からユーロステートへ

 独立してからも平坦な歴史だったわけではなく、ロシア革命の影響を受けた赤衛軍と白衛軍の間の内戦もあったし、第2次世界大戦ではソ連とドイツの間で翻弄される。特に、圧倒的な大軍によるソ連の侵略に抵抗して全国民が死に物狂いで戦い(冬戦争)、「1カ月でフィランド全土を制圧する」というスターリンの野望を挫く。最後は敗北に終わったにせよ、超大国を相手に領土の一部割譲という条件闘争へと持ち込む。この戦争が内戦によって分裂した国民意識を統一し、フィンランド国民国家として完成させたという説もあるらしい。
 戦後は一貫してソ連の圧力を受けるが、東欧のように完全な支配下に入ることもなかった。スウェーデンノルウェーとは違って、完全な自立、独立とは言い切れないかもしれないが、共産国家となって完全に支配されるわけでもない状況を作り出す。厳しい冷戦の時代を、いま菅政権の仙石官房長官がいっているような「したたかで、しなやかな国」として生き抜く。
 フィンランドには、ソ連に対する批判を禁じる検閲制度もあったらしいが、ソ連と西欧の間という地政学的環境にありながら、ともあれ中立国としての地位を確保したことはすごいことだ。西側には、「ソ連に言いなりの名ばかりの中立」として「フィンランド化」などという揶揄する政治用語もあったが、ともあれ、東西が敵か味方かを各国に厳しく問うなかで、形でも中立的な立場を保てたことはやはり巧みな政治力の成果だろう。
 冷戦崩壊後は、EUに参加。日本と同じようにバブル崩壊に見舞われながら、構造改革で乗り切る。その象徴が情報っ新産業に変身したノキアといえる。国の規模が違うとはいえ、フィンランドの政治手腕、リーダーシップは学ぶべきものがあると思う。日本は今に至るも「失われた20年」の中にいて、米国や中国などの超大国との間合いをどう取ったらいいのか、定まらないのだから。
 まあ理屈を抜きにして、あまり良く知らない国の歴史を読むのは面白い。スウェーデンに支配されているときは公用語スウェーデン語、帝政ロシアに支配されたときはロシア語に変わり、エリート・支配層と国民層の言語に断層ができたなどという話を読むと、超大国の狭間に生きる国の悲哀を感じる。自国の言語(フィンランド語)を自由に使うために自由と独立を勝ち取らなければならない国が存在するのだな。このあたりは異民族の支配を受けた経験がない国にはわからない感情かもしれない。
 また、米国と同じように禁酒法の時代があったというのも驚いた。厳冬に見舞われる国だけにロシア同様、飲酒に絡んだ社会問題があるということは別の本で読んだことがあったが、禁酒法があったとは知らなかった。

 禁酒法の施行は、当局にとって頭の痛い問題だった。なぜなら、密輸業者や酒の調達者を捕まえるために、徒労に終わることが多くても広範囲な監視が必要だったからだ。1921年から禁酒法が廃止される1932年まで、フィンランドで記録されている全犯罪のうち、およそ4分の3は禁酒法違反や飲酒に関連したものだった。明らかに禁酒法が機能していないことを示すあらゆる証拠にもかかわらず、スウェーデン語使用人民党の少数の勇敢な政治家を除いて、政治的信条にかかわらずあらゆる政治家が禁酒法は国民の教化のために必要だと主張し続けた。

 第一次大戦後の理想主義者たちが夢見た社会にとって国民に広がる飲酒の弊害は目にあまるものだったのだな。米国にしても、フィランドにしても、若い国ほど、そしてプロテスタントの色彩が強いほど、酒害のない理想の世界の実現へと走ったのだろうかーーなどと考えてしまった。
 ともあれ、フィンランドという名前はよく知っていても、歴史についてはあまり知らなかっただけに面白かった。